二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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株式の名言など。

この芝居みたいものだ。世の中のために。

2018年03月08日 04時27分42秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。

「夢を掴んだ人は、夢を諦めなかった人。」


                    
 岡崎 郁


勝手な解釈
欲情は、この世の性か、それとも、
あの世で、無縁地獄か。
欲情の地獄か。
人は、この世の行為であの世に逝くのかしれない。
自殺すれば、自殺の地獄かもしれない。
自分の夢、叶えることが、この世の試練、訓練。
最後は、果てても、誰が見て、継続するのかもしれない。

不思議は、犯罪は、繰り返して、悪人がでる。
婦女暴行、拉致、そして、不正の国の金とり。

考えると、江戸時代、金蔵破りで、その金で、商売繁盛したが、
犯罪者の仲間が、自慢話で、金蔵破りは、発覚して捕まり、処刑。

夢は、金蔵破りも、最後は、処刑の夢だろう。
人生は、最後は、自慢したくなるのが、人生かもしれない。
自慢話は、悪魔の囁きと、処刑の始まり。

思い出した。調べた。
ご金蔵破りの話は、歌舞伎にある。

「四千両小判梅葉
しせんりょうこばんのうめのは

歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。6幕。
河竹黙阿弥(もくあみ)作。通称「四千両」。
1885年(明治18)11月、東京・千歳(ちとせ)座で、
5世尾上(おのえ)菊五郎の富蔵、3世市川九蔵(くぞう)(後の7世団蔵)の藤十郎により初演。
安政(あんせい)年間(1854~60)に実在した江戸城御金蔵破りの事件を脚色。
野州無宿の富蔵が旧知の旗本浪人藤岡藤十郎と結んで、首尾よく城内から4000両を盗み出すが、
やがて捕らえられて死罪になるまで。
度胸のある富蔵と小心な藤十郎の対照的な性格が巧みに描かれ、
2人が出会う序幕の「堀端」をはじめ、千両箱を盗んで持ち帰る「藤十郎内」、
雪のなかを唐丸籠(とうまるかご)で送られる富蔵が妻子と名残(なごり)を惜しむ
「熊谷(くまがい)堤」など、それぞれ見どころがあるが、
とくに富蔵が伝馬町大牢(てんまちょうおおろう)の二番役となり、

遺恨ある悪党生馬(いきうま)の眼八(がんぱち)に仕返しする「牢内」の場は、
もと代言人であった興行師田村成義の資料によって、
江戸末期の大牢の風俗を写実的に描写、初演以来評判になっている。
大正以後では6世尾上菊五郎の富蔵、初世中村吉右衛門(きちえもん)の藤十郎のコンビが有名だった。」

歌舞伎で、また、見れるといい。
犯罪と、牢屋そして、怖いのは、処刑より、牢獄の生活かもしれない。

この芝居、見たいものだ。
人の欲と、最後は、処刑される姿と、牢屋の風景。

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名言、珍言。

「人というものは、
はじめから悪の道を知っているわけではない。
 何かの拍子で、小さな悪事を起こしてしまい、
それを世間の目にふれさせぬため、また、
つぎの悪事をする。
 そして、これを隠そうとして、
さらに大きな悪の道へ踏み込んで行くものなのだ」


(鬼平犯科帳/殺しの波紋)長谷川平蔵


勝手な解釈
生きていると、不正は、些細な猫糞。
些細な忖度から始まる。
よくよく、考えると、
性欲も、物欲も、恋愛も、不倫も、倒産する企業も、些細な事からは、始まる。
人は、性なのか、最初に失敗すると、反省するが、
なまじ、成功すると、正しい道でないと、悪に走る。


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