読売新聞の記事は、面白い。
修学旅行も、民泊か。
トラブルは、あるだろうな。
「増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
まくら投げ、恋愛の打ち明け話、消灯後の寝たふり……。同級生と昼夜をともにする修学旅行は学生時代の思い出となる。ところが、最近の修学旅行はちょっと様子が違う。全員が同じホテルや旅館に泊まるのではなく、一般家庭に分散して滞在する「民泊修学旅行」が増えている。普段とは異なる体験を通じ、教育効果が期待できるとする声がある一方、トラブルを心配する保護者もいる。元教師で民泊修学旅行の事情に詳しい教育コンサルタントの近田直人氏に解説してもらった。
増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
多様化する修学旅行
秋もどんどん深まり、修学旅行の準備をしている中学や高校も少なくないだろう。
修学旅行は日常の学校生活から離れ、友だちや先生の意外な一面を見る機会でもある。先生の目を盗んで夜更かししたり、友だちと寝食をともにしたりする時間は、学生時代の忘れられない思い出になる。
京都・奈良の寺院や史跡を巡ったり、広島・長崎で平和学習をしたりする定番も根強い人気のコースだ。飛行機を使って北海道や沖縄へ足を延ばす学校も珍しくなくなった。東日本大震災の被災地を組み込むケースもある。海外修学旅行は、台湾、シンガポール、オーストラリアが人気の訪問先だ。
修学旅行が多様化する中、ここ最近もてはやされているのは「民泊」だ。
修学旅行で「民泊」とは?
市町村や地域の観光協会などが、数十~数百世帯の規模で修学旅行生を滞在させる一般家庭を募集。それぞれの家庭で、1~数人の生徒を宿泊させるホームステイだ。
大型の宿泊施設や目玉となる観光資源のない農山村地域で、“普段の生活”を活用した地域活性化策としても注目されている。受け入れ家庭は協力費などの名目で、滞在人数に応じて5000円~数万円を得られる。
生徒は一般家庭で寝泊まりすることで、田舎暮らしを実体験できる。農作物の収穫、魚釣り、地方ならではの家庭の味、伝統芸能、方言などを直接見聞きできるまたとない機会となる。
民泊修学旅行の受け入れに積極的な沖縄県では、受け入れ学校数が2013年度に618校、14年度971校、16年度1218校と増え続けている。全国修学旅行研究協会(東京)によると、民泊の滞在先を用意して修学旅行生を誘致している地域は、北海道、東日本大震災の被災3県、九州、沖縄など全国各地に広がっているという。
民泊修学旅行は「異文化体験」
民泊修学旅行のねらいは、いわゆる「異文化体験」だ。
沖縄県によると、離島では高校のない島もある沖縄ならではの風習として、修学旅行生たちを入村時に「お帰り」と歓迎。別れる際は、おじい、おばあが「いってらっしゃい」と見送ってくれるという。戦跡を巡る平和学習のほか、郷土菓子のサーターアンダギーを作ったり、伝統楽器の三線(さんしん)を体験したりする。
沖縄に限らず、民泊先となる家庭の多くは、生徒たちを「都会からきた孫(子)」のような気持ちで迎え、誠心誠意対応してくれる。
しかし、一部には問題となる状況も報告されている。旅行中にトラブルが発覚することもあれば、学校に戻ってから、アンケート調査や保護者からのクレームで問題が明らかになることもある。
なぜ、トラブルが多発する一方で、民泊修学旅行はもてはやされるのか?
民泊先、旅行代理店、教師、生徒、保護者の生の声と学校での実体験をもとに問題をひも解いていきたい。
増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
こんなトラブルが相次いでいる
受け入れ先の家庭のほとんどが、誠意をもって生徒を受け入れている。しかし、例外もあり、ビックリするようなトラブルが生じている。生徒や学校関係者に聞いたところ、以下のようなケースがあった。
「女子生徒が滞在した部屋に民泊先のおじさんが一緒に寝ていた」
「釣りをするはずが海水浴に変更になり、海に飛び込んでケガをした」
「農業体験の予定が収穫する農作物が何もなく、土を掘る作業ばかりだった」
「職業体験と聞いていたのに、実際は観光地ばかり回っていた」
受け入れる家庭が、生徒の身勝手な行動に頭を抱える例もある。
「生徒が夜更かしをし、昼過ぎまで寝ていて困った」
「生徒が勝手に家を抜け出し、友だちが滞在する別の家で寝泊まりしていた」
「食事中もスマートフォンばかりいじっていて、会話ができなかった」
全員が1か所の宿泊施設に滞在する修学旅行と異なり、生徒を複数の一般家庭で預かってもらうため、教師の見回りや注意の目が届かないという問題もある。
滞在先の家庭によっては、「はるばる来たのだから」「大目に見てやるから」と、生徒に地元の酒を勧めてしまったということもあったという。
回避できるはずの想定内リスク
事前に想定できるリスクもある。
一つは、それぞれの民泊先の家庭には、それぞれ違った生活があるという当たり前の事実だ。その生活スタイルの違いを含めて、「異文化」を味わうことが本来の民泊修学旅行の目的でもある。だが、その差異が許容範囲かどうか。それぞれの民泊先があまりにも違い過ぎ、平等性を担保できず、生徒の不満が噴出することもたびたび見られる。
「出された食事がほかの家庭よりも極端に少なかった」
「他人の家の風呂に入るのに抵抗があり、シャワーで済ませた」
二つ目は、民泊先の生活と普段の生活とのギャップだ。習慣の違いに、精神的なダメージを受ける生徒もいる。
「酪農作業を体験する機会があったが、家畜のにおいで気分が悪くなった」
「和式のトイレだったため、ずっと我慢していた」
それぞれの家庭は、ホテルのように清潔で均質というわけにはいかない。
極端に常識離れしたケースであれば問題外だが、一般家庭に滞在することを考えれば、想定できるようなリスクには十分な対応をすべきだ。保護者や生徒への十分な説明もなく、事前の指導不足も引き金となって、想定内だったはずのリスクをトラブルに変質させてしまうことはよくある。
増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
それでも修学旅行で民泊が選ばれる
旅行会社や学校は、このようなリスクとトラブルについて把握しているはずだ。にもかかわらず、なぜ民泊修学旅行が採用されるのか?
ある旅行会社の担当者はこんなことを言う。
「いろいろなプランを提案しても最終的に決定するのは学校。最近は旅程に民泊が入っている企画が好まれる」
民泊が採用される理由の一つは、教師の負担軽減につながる点だという。民泊先に生徒を預けている間、教師は生徒の管理から解放される。3泊4日の修学旅行なら2泊を民泊、2泊3日ならすべてが民泊という行程もある。
ある学校では、生徒は一般家庭に民泊だが、引率の教師たちはホテルなどに滞在する。そして、連絡係の教師以外はプールやビーチでのんびり過ごしているという。多忙化が問題となる教育現場で、教師の息抜きを否定するつもりはない。
しかし、リスクがあることが分かっている旅行中、まして他人に生徒を預けている最中に、トラブルの警戒を緩めてしまうのは問題である。
「民泊だと教師が楽だから」。民泊修学旅行を採択する理由として、こんな本音を漏らす教師は多い。これでは、トラブルがなくならないばかりか、いつか、生徒が深刻な事故に巻き込まれる危険すらある。
学校は旅行会社に丸投げ
企画、手配、事前交渉、準備……。修学旅行は旅行会社に“丸投げ”状態という学校も珍しくない。もちろん、プロに任せたほうがいい部分もある。しかし、修学旅行は大事な学校行事の一つだ。旅行会社の協力やアドバイスを得つつ、安全・安心のイニシアチブは教師がしっかりとってほしい。
修学旅行に民泊を組み込むなら、次のようなことを心がけたい。
・想定できるリスクについて、旅行会社、受け入れ家庭、保護者らで情報を共有する
・下見の際に受け入れ先となる各家庭を訪ね、教師が注意事項を伝える
・生徒の滞在中も教師が受け入れ家庭とミーティングの機会を設ける
「先生はどうせ何もしない」「旅行会社に任せっぱなし」。修学旅行を長年担当してきた旅行会社のベテラン社員はこんなふうにこぼす。ホテルや旅館ならトラブルはその後の営業に影響するため、教師とともに目を光らせるスタッフがいる。
これが民泊となると、受け入れ家庭が、学校や教師からあれこれと注文をつけられるのを嫌う傾向がある。関係者みんなが、楽なほう楽なほうへと向かおうとする雰囲気になっているという。「驚いたことに、旅行当日まで滞在する自治体の名前を知らないという先生もいたほどです」
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増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
学校では得られない感動を持ち帰る
本来、修学旅行は、学校での教育活動の延長とされる。
日常を離れ、旅先で同級生とともに寝食をともにすることで、学校の中では得られない感動や体験を思い出とともに持ち帰ることができる。
限られた時間ではあるが、教師は、教室の中や部活動では知りえない生徒の思わぬ一面をのぞき見る機会にもなる。
普段は忙しくて生徒とのコミュニケーションもままならないという教師も多い。移動中のバスや電車で、隣の席に座り、ゆっくり会話を交わすこともできるだろう。夕食の輪に加われば、若者の興味や関心事をざっくばらんに打ち明けてもらえるかもしれない。普段は教室で物静かな子が、はしゃいでいる姿を見せることだってある。
修学旅行は教師冥利に尽きる
私は教師時代、修学旅行をこんなふうに捉えていた。
「生徒との距離を縮められる、こんなにありがたく、やりがいを満たす、教師冥利に尽きる行事はない」と。
民泊修学旅行を通して、生徒たちは、滞在先のおじさんやおばさんに深い感謝の気持ちを持つだろう。「第二のふるさと」を得て、手紙のやりとりや交流を続けることも素晴らしい経験となる。
「おやすみなさい」「いただきます」「ごちそうさまです」……。修学旅行で親代わりとなって、こんなあいさつを交わすのは教師の“特権”だった。そして、教師と生徒の絆を強める効用があったはずだ。なのに、その肝心の部分を民泊先のおじさん、おばさんたちに奪われてしまうのは、あまりにも惜しい気がする。
たとえ修学旅行のスタイルが変わったとしても、「教育活動の延長」という本質が損なわれてはならない。それは、旅行から教室へ戻ってきたときに気づく、教師と生徒の新たな絆や距離感に関わる重要なポイントだ。」
考えると、体験と、場所。
修学旅行は、問われるのかもしれない。
老いた人も、修学旅行のこと、思い出すのが、経験。
海外は、大変だろうな。
治安のいい場所は、なかなか、ない。
突然、天候と、いろいろ政治で、変わる。
都内、九州、京都、奈良、が、本当に必要なことかもしれない。
将来の転勤族か、左遷、栄転の体験のはじめは、修学旅行の体験からだろうな。
アメリカも、留学することで、体験。
とこかの王子は、海外留学がないから、酷い事件を起こする。
問われるは、修学旅行、留学が、必要な教育がしれない。
泊まる場所は、とこでも、いいと思うが。
最後は、都内の電車の乗り方も、経験しないと、東京は、今でも、解らない、
変わる。
変わらないのは、京都、奈良かもしれない。
そう、日光も。
50年、百年たっても、変わらない。皇居の二重橋、明治神宮、靖国神社、浅草かもしれない。
奈良の大仏、金閣寺、銀閣寺かもしれない。
そう、鎌倉大仏。津波の怖さ知るのか、鎌倉大仏だろう。
修学旅行も、民泊か。
トラブルは、あるだろうな。
「増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
まくら投げ、恋愛の打ち明け話、消灯後の寝たふり……。同級生と昼夜をともにする修学旅行は学生時代の思い出となる。ところが、最近の修学旅行はちょっと様子が違う。全員が同じホテルや旅館に泊まるのではなく、一般家庭に分散して滞在する「民泊修学旅行」が増えている。普段とは異なる体験を通じ、教育効果が期待できるとする声がある一方、トラブルを心配する保護者もいる。元教師で民泊修学旅行の事情に詳しい教育コンサルタントの近田直人氏に解説してもらった。
増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
多様化する修学旅行
秋もどんどん深まり、修学旅行の準備をしている中学や高校も少なくないだろう。
修学旅行は日常の学校生活から離れ、友だちや先生の意外な一面を見る機会でもある。先生の目を盗んで夜更かししたり、友だちと寝食をともにしたりする時間は、学生時代の忘れられない思い出になる。
京都・奈良の寺院や史跡を巡ったり、広島・長崎で平和学習をしたりする定番も根強い人気のコースだ。飛行機を使って北海道や沖縄へ足を延ばす学校も珍しくなくなった。東日本大震災の被災地を組み込むケースもある。海外修学旅行は、台湾、シンガポール、オーストラリアが人気の訪問先だ。
修学旅行が多様化する中、ここ最近もてはやされているのは「民泊」だ。
修学旅行で「民泊」とは?
市町村や地域の観光協会などが、数十~数百世帯の規模で修学旅行生を滞在させる一般家庭を募集。それぞれの家庭で、1~数人の生徒を宿泊させるホームステイだ。
大型の宿泊施設や目玉となる観光資源のない農山村地域で、“普段の生活”を活用した地域活性化策としても注目されている。受け入れ家庭は協力費などの名目で、滞在人数に応じて5000円~数万円を得られる。
生徒は一般家庭で寝泊まりすることで、田舎暮らしを実体験できる。農作物の収穫、魚釣り、地方ならではの家庭の味、伝統芸能、方言などを直接見聞きできるまたとない機会となる。
民泊修学旅行の受け入れに積極的な沖縄県では、受け入れ学校数が2013年度に618校、14年度971校、16年度1218校と増え続けている。全国修学旅行研究協会(東京)によると、民泊の滞在先を用意して修学旅行生を誘致している地域は、北海道、東日本大震災の被災3県、九州、沖縄など全国各地に広がっているという。
民泊修学旅行は「異文化体験」
民泊修学旅行のねらいは、いわゆる「異文化体験」だ。
沖縄県によると、離島では高校のない島もある沖縄ならではの風習として、修学旅行生たちを入村時に「お帰り」と歓迎。別れる際は、おじい、おばあが「いってらっしゃい」と見送ってくれるという。戦跡を巡る平和学習のほか、郷土菓子のサーターアンダギーを作ったり、伝統楽器の三線(さんしん)を体験したりする。
沖縄に限らず、民泊先となる家庭の多くは、生徒たちを「都会からきた孫(子)」のような気持ちで迎え、誠心誠意対応してくれる。
しかし、一部には問題となる状況も報告されている。旅行中にトラブルが発覚することもあれば、学校に戻ってから、アンケート調査や保護者からのクレームで問題が明らかになることもある。
なぜ、トラブルが多発する一方で、民泊修学旅行はもてはやされるのか?
民泊先、旅行代理店、教師、生徒、保護者の生の声と学校での実体験をもとに問題をひも解いていきたい。
増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
こんなトラブルが相次いでいる
受け入れ先の家庭のほとんどが、誠意をもって生徒を受け入れている。しかし、例外もあり、ビックリするようなトラブルが生じている。生徒や学校関係者に聞いたところ、以下のようなケースがあった。
「女子生徒が滞在した部屋に民泊先のおじさんが一緒に寝ていた」
「釣りをするはずが海水浴に変更になり、海に飛び込んでケガをした」
「農業体験の予定が収穫する農作物が何もなく、土を掘る作業ばかりだった」
「職業体験と聞いていたのに、実際は観光地ばかり回っていた」
受け入れる家庭が、生徒の身勝手な行動に頭を抱える例もある。
「生徒が夜更かしをし、昼過ぎまで寝ていて困った」
「生徒が勝手に家を抜け出し、友だちが滞在する別の家で寝泊まりしていた」
「食事中もスマートフォンばかりいじっていて、会話ができなかった」
全員が1か所の宿泊施設に滞在する修学旅行と異なり、生徒を複数の一般家庭で預かってもらうため、教師の見回りや注意の目が届かないという問題もある。
滞在先の家庭によっては、「はるばる来たのだから」「大目に見てやるから」と、生徒に地元の酒を勧めてしまったということもあったという。
回避できるはずの想定内リスク
事前に想定できるリスクもある。
一つは、それぞれの民泊先の家庭には、それぞれ違った生活があるという当たり前の事実だ。その生活スタイルの違いを含めて、「異文化」を味わうことが本来の民泊修学旅行の目的でもある。だが、その差異が許容範囲かどうか。それぞれの民泊先があまりにも違い過ぎ、平等性を担保できず、生徒の不満が噴出することもたびたび見られる。
「出された食事がほかの家庭よりも極端に少なかった」
「他人の家の風呂に入るのに抵抗があり、シャワーで済ませた」
二つ目は、民泊先の生活と普段の生活とのギャップだ。習慣の違いに、精神的なダメージを受ける生徒もいる。
「酪農作業を体験する機会があったが、家畜のにおいで気分が悪くなった」
「和式のトイレだったため、ずっと我慢していた」
それぞれの家庭は、ホテルのように清潔で均質というわけにはいかない。
極端に常識離れしたケースであれば問題外だが、一般家庭に滞在することを考えれば、想定できるようなリスクには十分な対応をすべきだ。保護者や生徒への十分な説明もなく、事前の指導不足も引き金となって、想定内だったはずのリスクをトラブルに変質させてしまうことはよくある。
増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
それでも修学旅行で民泊が選ばれる
旅行会社や学校は、このようなリスクとトラブルについて把握しているはずだ。にもかかわらず、なぜ民泊修学旅行が採用されるのか?
ある旅行会社の担当者はこんなことを言う。
「いろいろなプランを提案しても最終的に決定するのは学校。最近は旅程に民泊が入っている企画が好まれる」
民泊が採用される理由の一つは、教師の負担軽減につながる点だという。民泊先に生徒を預けている間、教師は生徒の管理から解放される。3泊4日の修学旅行なら2泊を民泊、2泊3日ならすべてが民泊という行程もある。
ある学校では、生徒は一般家庭に民泊だが、引率の教師たちはホテルなどに滞在する。そして、連絡係の教師以外はプールやビーチでのんびり過ごしているという。多忙化が問題となる教育現場で、教師の息抜きを否定するつもりはない。
しかし、リスクがあることが分かっている旅行中、まして他人に生徒を預けている最中に、トラブルの警戒を緩めてしまうのは問題である。
「民泊だと教師が楽だから」。民泊修学旅行を採択する理由として、こんな本音を漏らす教師は多い。これでは、トラブルがなくならないばかりか、いつか、生徒が深刻な事故に巻き込まれる危険すらある。
学校は旅行会社に丸投げ
企画、手配、事前交渉、準備……。修学旅行は旅行会社に“丸投げ”状態という学校も珍しくない。もちろん、プロに任せたほうがいい部分もある。しかし、修学旅行は大事な学校行事の一つだ。旅行会社の協力やアドバイスを得つつ、安全・安心のイニシアチブは教師がしっかりとってほしい。
修学旅行に民泊を組み込むなら、次のようなことを心がけたい。
・想定できるリスクについて、旅行会社、受け入れ家庭、保護者らで情報を共有する
・下見の際に受け入れ先となる各家庭を訪ね、教師が注意事項を伝える
・生徒の滞在中も教師が受け入れ家庭とミーティングの機会を設ける
「先生はどうせ何もしない」「旅行会社に任せっぱなし」。修学旅行を長年担当してきた旅行会社のベテラン社員はこんなふうにこぼす。ホテルや旅館ならトラブルはその後の営業に影響するため、教師とともに目を光らせるスタッフがいる。
これが民泊となると、受け入れ家庭が、学校や教師からあれこれと注文をつけられるのを嫌う傾向がある。関係者みんなが、楽なほう楽なほうへと向かおうとする雰囲気になっているという。「驚いたことに、旅行当日まで滞在する自治体の名前を知らないという先生もいたほどです」
.
増える「修学旅行の民泊」でトラブルや不安の声
学校では得られない感動を持ち帰る
本来、修学旅行は、学校での教育活動の延長とされる。
日常を離れ、旅先で同級生とともに寝食をともにすることで、学校の中では得られない感動や体験を思い出とともに持ち帰ることができる。
限られた時間ではあるが、教師は、教室の中や部活動では知りえない生徒の思わぬ一面をのぞき見る機会にもなる。
普段は忙しくて生徒とのコミュニケーションもままならないという教師も多い。移動中のバスや電車で、隣の席に座り、ゆっくり会話を交わすこともできるだろう。夕食の輪に加われば、若者の興味や関心事をざっくばらんに打ち明けてもらえるかもしれない。普段は教室で物静かな子が、はしゃいでいる姿を見せることだってある。
修学旅行は教師冥利に尽きる
私は教師時代、修学旅行をこんなふうに捉えていた。
「生徒との距離を縮められる、こんなにありがたく、やりがいを満たす、教師冥利に尽きる行事はない」と。
民泊修学旅行を通して、生徒たちは、滞在先のおじさんやおばさんに深い感謝の気持ちを持つだろう。「第二のふるさと」を得て、手紙のやりとりや交流を続けることも素晴らしい経験となる。
「おやすみなさい」「いただきます」「ごちそうさまです」……。修学旅行で親代わりとなって、こんなあいさつを交わすのは教師の“特権”だった。そして、教師と生徒の絆を強める効用があったはずだ。なのに、その肝心の部分を民泊先のおじさん、おばさんたちに奪われてしまうのは、あまりにも惜しい気がする。
たとえ修学旅行のスタイルが変わったとしても、「教育活動の延長」という本質が損なわれてはならない。それは、旅行から教室へ戻ってきたときに気づく、教師と生徒の新たな絆や距離感に関わる重要なポイントだ。」
考えると、体験と、場所。
修学旅行は、問われるのかもしれない。
老いた人も、修学旅行のこと、思い出すのが、経験。
海外は、大変だろうな。
治安のいい場所は、なかなか、ない。
突然、天候と、いろいろ政治で、変わる。
都内、九州、京都、奈良、が、本当に必要なことかもしれない。
将来の転勤族か、左遷、栄転の体験のはじめは、修学旅行の体験からだろうな。
アメリカも、留学することで、体験。
とこかの王子は、海外留学がないから、酷い事件を起こする。
問われるは、修学旅行、留学が、必要な教育がしれない。
泊まる場所は、とこでも、いいと思うが。
最後は、都内の電車の乗り方も、経験しないと、東京は、今でも、解らない、
変わる。
変わらないのは、京都、奈良かもしれない。
そう、日光も。
50年、百年たっても、変わらない。皇居の二重橋、明治神宮、靖国神社、浅草かもしれない。
奈良の大仏、金閣寺、銀閣寺かもしれない。
そう、鎌倉大仏。津波の怖さ知るのか、鎌倉大仏だろう。