二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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問題だろう。

2016年07月07日 02時49分59秒 | ニ言瓦版
自民党は、問題かもしれない。
これが、影響するのかもしれない。
考えると、地方、自民党、大阪も、そう。
地方の政党は、問題。
いや、党は、問題なのかもしれない。



「自民党の小池百合子・元防衛相(63)は6日、衆院議員会館で記者会見し、自民党の推薦がなくても東京都知事選(14日告示、31日投開票)に立候補することを正式に表明した。

 「しがらみなく戦えるので、ある意味、吹っ切れた」と語り、増田寛也・元総務相(64)の擁立を目指す都連との対決姿勢を鮮明にした。批判票を取り込む狙いがあるとみられ、参院選を前に分裂選挙の可能性が高まった。

 都連会長の石原経済再生相は5日、小池氏に対し、推薦の可否を参院選後に判断する方針を伝えた。このため、小池氏は記者会見で、「早期に決断してもらい、ともに戦うことを目指したが、(先送りでは)政策を論じる時間がなくなる。不本意ながらパラシュート(支援)なしの立候補になる」と述べた。」


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調べたら、酷い。
赤字は、岩手は、減ったのかな。


「東京都出身。父は農林官僚で参議院議員を務めた増田盛(ますだ さかり)。九品仏の農林省官舎で育つ。父が退官したのちは小山台に転居。東京都立戸山高等学校に進学するが、学生運動が盛んな時期で、授業には余り出席せず、本を読んで過ごした。卒業式では仲間とともに壇上で暴れ、式を中止させた。
高校卒業後は、予備校に通い、2年間の大学受験浪人生活を送り、1972年東京大学入学。東京大学法学部4年時には、2年間浪人しているため民間企業への就職は厳しく、旧司法試験も難関であったため、大学の定期試験を受けずに1年留年し、国家公務員試験を受験し、建設省に入省[1]。
1982年から千葉県警察本部交通部交通指導課長に出向し、ひき逃げ事故の捜査などにあたった。また射撃訓練に熱中し、柔道段位も取得。結婚もした。1986年から、建設省の先輩にあたる知事・竹内藤男の下、茨城県企画部鉄道交通課長を務め、4年半首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス建設の準備を進め、鈴木俊一東京都知事の説得などにあたった。1993年から建設省河川局河川総務課企画官を務め、大蔵省総括主査の香川俊介と共に、ダム削減のため技官との交渉にあたった[2]。
国政選挙への出馬打診は断っていたが、1994年岩手県知事選出馬を決意。建設省上層部や妻の反対を受けたが、夫婦に子供がなかったことから落選しても何とかなると妻を説得し、退官した[3]。小沢一郎らの支援を受け1995年に当選。岩手県知事在任中は、2期目から小沢一郎と決別し、宮城県知事の浅野史郎や三重県知事の北川正恭、高知県知事の橋本大二郎などと親しみ、改革派知事の代表格として知られた。第1次安倍改造内閣、福田康夫内閣、福田康夫改造内閣では知事出身の民間閣僚として地方再生に取り組んだ。
発言[編集]
民団と総連などによる合同式典が開かれた際、「本県で就労された数多くの朝鮮半島の方々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに深い哀悼の意を表する。あらためて過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら国際親善、国際交流の一層の推進に努める」と誓いの言葉を述べ、徴用犠牲となった韓国人を悼んだ[4]。
財政[編集]
財政悪化の原因について、増田は2005年3月2日の岩手県議会本会議で、「財政悪化の原因は3つある」と指摘したうえで、「このような結果を招いたことを深く反省している」と陳謝した。
1.岩手県立大学の設立・東北新幹線の延伸工事
2.公共事業の連発
3.臨時財政対策債の発行」

将来は、赤字は、他人の任せるのかもしれない。
福田内閣の時も、酷かった。
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