二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

年齢からすると、

2018年02月25日 04時41分04秒 | ニ言瓦版
二月は、いろいろ、名脇役の役者が、死ぬ。



「 1970年代の大ヒットドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」で人気を博し、名バイプレーヤーとして知られた俳優の左とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)さんが24日午後3時、心不全のため都内の病院で死去した。80歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。左さんは昨年、急性心筋梗塞で倒れ、闘病を続けていた。

 復帰の夢はかなえられなかった。希代の名バイプレーヤーは家族にみとられながら旅立った。昨年6月、ミュージカルの舞台を直前に控えていた左さんは、自宅で胸の痛みを訴えて救急搬送され、急性心筋梗塞の緊急手術を受けた。手術後には誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、酸素呼吸器をつけながら闘病を続けていた。

 10月ごろには呼吸器を外し、自発呼吸できるまでに回復。関係者も「筋力を戻すためにリハビリが必要で入院している。良い方向に向かっている」と語っていたが、願いは届かなかった。親しい知人らは「後日、お別れの会ができれば」と話している。

 左さんは愛嬌(あいきょう)のある表情と、とぼけた味わいのある演技がお茶の間で愛された。舞台関係者は「チャーミングな人で誰からも慕われた。病気でミュージカルや全国巡業の舞台を降板したことが心残りだっただろう」と語った。

 1957年に同級生と劇団を結成。芸名の「左」は本名の「肥田木(ひだき)」からとったもの。20代の頃は10年ほど新宿コマ劇場で修業。先輩役者の芝居を見て学び、喜劇役者としてのキャリアを積んでザ・ドリフターズのコメディー映画にも出演した。70年代にはTBSの「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などさまざまなドラマでお茶の間の人気者に。86年にスタートした日本テレビ「女監察医 室生亜季子」では刑事役を熱演し、20年以上続く人気シリーズとなった。映画でも、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「楢山節考」(83年)や「吉原炎上」(87年)などに出演した。

 私生活では賭博事件で3度逮捕されるなど波瀾(はらん)万丈。助けてくれたのは仲間たち。
小林桂樹さんは自宅に来て「これが犯罪者の家か」と笑い飛ばし、憧れの森繁久弥さんや「お母さん」と慕った森光子さんは「左とん平を叱(しか)る会」を開いて叱咤(しった)激励した。

 さまざまな役柄を演じた左さん。役者人生の長くを脇役で過ごしてきたが、その存在感は主役に勝るものだった。

 ◆左 とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)1937年(昭12)5月30日、東京都生まれ。高校卒業後、実家の寿司店で働いていた時に友人に誘われて俳優活動を始めた。57年には三木鶏郎さんの「冗談工房」に参加。人気ドラマ「時間ですよ」などで注目を集め、「銭形平次」や「鬼平犯科帳」など時代劇でも名脇役として活躍した。」


80歳は、そうだろうな。

ご冥福を祈ります。


小林桂樹氏、森繁久弥氏、森光子氏も、彼の世で、待っているかもしれない。
どこかの、場所で、演劇しているかもしれない。




=======
考えるは、年金、税金。保険。


年金の年齢は、70とかすると、80歳だと、今まで、払っていた年金、国が、ぼったくり。
国は、十年で済む。


いや、今でも、65歳前に、死んだ人は、国にぼったくられる。

年金と生死、そして、本当に赤字になるのか、保険。
介護保険、健康保険、雇用保険、年金。
疑問でならない。

高齢者が死ぬと、払わなくてするのが、国。
それ以外に、消費税、所得税など、そう、死ぬと、相続税。

考えると、消費税が始まり、どのくらい、庶民は、払っているのか。

有名人が、死ぬと、その額は、凄いことかもしれない。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幸福感 | トップ | 仕事は、死ぬまで、するのかも。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニ言瓦版」カテゴリの最新記事