二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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2016年09月01日 04時25分16秒 | ニ言瓦版
週刊大衆は、面白い。
いろいろ、考えさせられる。


「“コンピュータ付きブルドーザー”の異名を取り、会う人すべてを魅了したとされる田中角栄元首相。ただ、それは彼に限ったことではない。戦後、1億人超の日本国民を牽引した歴代宰相たちは、皆、人間的魅力に溢れていた!

 終戦後の混乱が続く1945年5月に第1次吉田内閣を発足させた吉田茂元首相。“ワンマン宰相”として知られる彼は、豪快なエピソードには事欠かない。

「真冬に都内で選挙演説していた吉田首相に、聴衆から“話を聞いてやっているのに上着を着たままとは失礼だ。脱げ!”と野次が飛んだときのことです。彼はすかさず野次の相手を睨みつけ、“外套を着て話すから街頭演説と言うんだ。バカ者!”と一喝。聴衆の喝采を浴びたという話があります」(永田町関係者)

 そんな吉田元首相の口癖が、「戦争で負けても外交で勝った国はある」だった。「ある意味、彼はこれを実現しています。日本を極東共産化の防波堤としたい米政府は、吉田内閣に再軍備を執拗に迫ったといいます。ところが、経済を優先したい吉田首相はその要求をかわし続け、代わりに自衛隊を創設しました。いまだ自衛隊が公式に“日本軍”と認められていない不幸は、この吉田裁定が原因とも言えます」(政治ライターの鈴木文矢氏)

 吉田元首相は在日米軍を「番犬のようなもの」と言ってはばからず、日本独力で国防を担う場合のコストを大きく削減、余剰分を経済対策等に回した。「ただ、“中途半端”な立場に置かれることになった自衛官の苦衷は痛感しており、幹部自衛官を養成する防衛大学の第1期生の卒業式でこう訓示しています。“君たちは在職中、国民から感謝されたり歓迎されたりすることなく自衛隊を終わるかもしれない。ご苦労だと思う。だけど、君たちが日陰者であるほうが国民は幸せなのだ。耐えてくれ”自衛官の多くは、この言葉に声を詰まらせたといいます」(前同)

 この吉田元首相の孫にあたるのが、麻生太郎元首相(現・財務大臣)だ。「麻生さんは、裏表のない性格で地元でも愛されています。歯に衣着せぬ毒舌も持ち味で、口癖は“生まれは良いが、育ちは悪い”“いい若い者が、俺たちみたいな爺さんのような顔をしやがって、これじゃ日本の将来は暗い。明るい顔をしろ!”といったべらんめえ調のスピーチが得意で、よくも悪くも、口は悪いけど優しい“下町のおじさん”なんですよ(笑)」(同)

 吉田元首相の後、首相となった鳩山一郎氏は、吉田路線からの変革を目指していた。古参の自民党関係者が明かす。「鳩山先生は組閣後、側近を集め、“僕は多くの政策は君たちの言う通りにする。ただ、改憲とソ連との国交回復、この2点については僕についてきてほしい”と決意表明したといいます」

 政策は異なったものの、吉田、鳩山両元首相は、現在の自民党に続く派閥の二大源流になっている。「吉田派の流れを汲むのが宏池会(岸田派)、平成研(額賀派)、鳩山派のほうは清和研(細田派)がその系譜に連なります。虎は死して皮を残す……両者とも傑物だった証明でしょう」(前同)

 1956年の日ソ共同宣言でソ連との国交を回復後、内閣総辞職して政界を引退した鳩山元首相は、たすきを秘蔵っ子だった石橋湛山氏に託した。「鳩山首相引退後の総裁選の大本命は岸信介でした。そこで、2位の石橋は3位の石井光次郎と共同戦線を張ったのです。結果、見事、岸を破り首相の座を射止めていますが、これは石橋の参謀だった石田博英の存在が大きかった」(政治評論家の浅川博忠氏)

 石田氏の名は「博英=ひろひで」だが、その類いまれな博才から、周囲はそれを音読みし「バクエイ」と呼んだ。新聞記者から政治家になった石田氏は麻雀がめっぽう強く、「スエズ運河以東で一番」を自称していた。女性にもモテまくり、銀座では顔だったという。

 そんな男が惚れたのだから、石橋元首相の器量は相当なものだったのだろう。次に首相となった岸信介氏は戦後、A級戦犯に指定され、一時収監されていた人物(のちに不起訴)。「戦中の東條内閣で商工大臣を担当していた岸先生は、東條さん相手にも臆せず意見を述べたことで知られます。憲兵隊が大臣官舎に押しかけて、軍刀を突きつけられたこともありますが、“黙れ、兵隊! お前らみたいなのがいるから、最近東條さんの評判が悪いんだ!”と一喝し、追い返したというエピソードもあります」(前出の党関係者)

 豪胆で聞こえた岸元首相だが、悲願の改憲だけは成し遂げられなかった。「日米安保改定を実現しましたが、60年安保と呼ばれる反対派のデモは凄まじいもので、岸内閣は退陣を余儀なくされたのです。退陣を決意した岸は孫の晋三に対し、“憲法改正まで成し遂げたかったが、もう余力がない”と告げたといいます。その意味では、安倍首相は祖父の政治信条を純粋培養した宰相とも言えるでしょう」(前出の浅川氏)

 祖父のイメージも手伝ってか、とかく「タカ派」のレッテルがついて回る安倍晋三首相だが、実は細やかな気配りが得意だという。5月の伊勢志摩サミットでも、この“気配り”は発揮されている。サミットで来日したオバマ大統領は、直前に起きた沖縄の米軍属による日本人女性殺害事件の影響で、かなり神経質になっていたという。

「オバマ大統領は終始不機嫌で、米大統領の広島訪問という歴史的なイベントを控えていた外務省は気が気じゃなかった。実はオバマ大統領は遅刻魔として有名で、外務省は遅刻されて予定が狂うことを恐れていたわけです」(全国紙政治部デスク) こうした懸念は、ただちに安倍首相に伝えられた。

「そこで安倍首相は、米側に“大統領は長旅でお疲れでしょうから、次の会議は1時間遅く開始しましょう”と提案したのです。これですっかりオバマ大統領の機嫌が直ったというから、たいしたものです」(前同)

 岸元首相の後を継いだのが、「貧乏人は麦を食え」で有名な池田勇人氏だ。官僚出身で吉田学校の番頭格だった池田内閣の一丁目一番地が、所得倍増計画だった。

「彼は所得倍増計画をこう説明しています。“私の政策は社会党とは違う。池田は3つの卵を4人で分けることはしない。3つの卵を6つに増やして3人で分けて、残った3つは貯金する。これが経済であります!”。かなり乱暴ですが、大衆受けは抜群。彼はスピーチの名手だったのです」(同)

 前出の浅川氏は、こう述懐する。「何度か池田さんの食事会に顔を出したことがありますが、最後は決まって出席者が全員輪になって前の人の肩に両手を乗せるのです。そして昭和14年のヒット曲『旅の夜風』を大声で歌いながら回ると、池田さんは男泣きするんですね(笑)。おそらく、歌詞の内容と自分の人生を重ね合わせていたのでしょう」 首相の座は池田氏から佐藤栄作氏に、そして現在ブームとなっている角栄氏に移る。その角栄氏の息の根を止めたのが、三木武夫元首相だ。実は三木元首相に関しては、当人よりも奥方の器量を絶賛する声が多い。前出の浅川氏も、その一人だ。

「三木さんの死後、睦子夫人が中心となって政治家、マスコミ関係者が集う『一七会』が発足しました。会の冒頭では睦子夫人が、“もし三木が生きていたら……”と切り出して、政局分析をするのですが、その観察眼の鋭いこと。彼女は政局の節目で、三木さんに助言していたはずです」 三木元首相の後、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘と首相の座は移り変わるが、首相在任1806日を数えた中曽根氏の次に宰相となったのが、竹下登氏だった。

「角さんに反旗を翻すかたちで、田中派を割って創政会を立ち上げた竹下さんですが、旗揚げのための極秘会合は政治生命を賭けたものだったといわれます。立ち上げメンバーの14人は、85年に築地の料亭『桂』に別々に集合します。個別行動にしたのは、激怒している角さんに動きを察知されないためでした」(前出の鈴木氏)

 その後、総理総裁の座を射止めた竹下氏の口癖が、「アイム・ソーリー、ボク・ソーリー(総理)」 また、こんな川柳も。「歌手1年 総理2年の使い捨て」 その答弁をして“言語明瞭、意味不明瞭”と揶揄された竹下元首相だったが、ギャグセンスは抜群だったようだ。リクルート疑獄が発覚し、竹下元首相が失脚してから9年後、創政会結成の盟友だった橋本龍太郎氏が首相に就任する

「無類の読書家で、オールバックにチェリーをくゆらすのがトレードマークでした。記者に禁煙を勧められても、“一度始めたことを止めるほど、意志薄弱ではない”と啖呵を切る人でしたね」(前出の浅川氏)

 短気ぶりも有名で、官僚を怒鳴り散らすのは日常茶飯事だったとか。加藤紘一氏らが野党の内閣不信任案に同調した「加藤の乱」の際は、「あいつには、熱いフライパンの上で猫踊りさせてやる」と激怒したという。「ただ女性にはとても優しく、私が取材した銀座の愛人は、“公務で海外に行くと必ず現地から電話があって、お土産は何がいいか聞いてくる”と話していました(笑)」(浅川氏)

 そんな橋本元首相と最も仲が良かったのが、小渕恵三氏だ。浅川氏が続ける。「“ブッチフォン”で知られるように、かなりの電話魔でしたね。1日に数回かかってくることもありましたが、必ず“官邸の小渕です”で始まりました。続けて“先生、夕刊フジのコメント読みましたよ。いやぁ~手厳しいですな。ありがたく受け止めさせてもらいます”という具合。こうしたやり取りを通じて相手を牽制しているわけで、場の空気を壊さず主張を伝えるのが上手でしたね」

 一方で、政治家としての凄味も持ち合わせていた。「政敵には厳しく接し、総裁選で争った加藤紘一氏が、小渕さんの組閣にクレームの電話を入れてくると、“あんたは俺を追い落とそうとしたじゃないか。政治とはそういうものだ”と冷徹に突き放しています。“人柄の小渕”とは宣伝のために言っていただけで、実際はしたたかな人でした。でなければ、群馬3区で中曽根康弘、福田赳夫両元首相と長年争って当選できませんよ」(前出のデスク)

 小渕氏以降でその人柄が特筆されるのは、「自民党をぶっ壊す」と言って首相になった小泉純一郎氏だ。彼が政治生命を賭けた政策が郵政民営化法案だった。

「法案を断念するよう説得するために武部勤幹事長、安倍幹事長代理が官邸を訪れると、執務室にはクラシック音楽が大音量でかかっており、涙を流した小泉さんが座っていたそうです。あっけにとられる両氏を前に彼は、“オレは、この法案が通れば殺されてもいいんだ”と言うや“衆院を解散する”と宣言。郵政解散となったわけです」(前同)

 この小泉元首相は、現在ブームの角栄元首相とは好対照な政治家だという。「角さんは叩き上げで、小泉さんは世襲政治家。角さんは金集めに腐心したけど、小泉さんは自分の選挙資金以外の金集めはしなかった。角さんはロッキード事件後も再登板を目指し権力に執着したが、小泉さんは引退してオペラと歌舞伎を楽しむ生活。本当に対照的ですよ」」


歴代の総理の話は、面白い。
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