二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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いい話だ。

2017年08月05日 07時04分28秒 | ニ言瓦版
CNNは、いい。
立派だ。
難民でも、人は、生まれたら、育つ、そして、才能が開花。




「30年前にアフガニスタンの難民キャンプで生まれた女性がパイロットになる夢を果たし、現在単独での世界一周飛行に挑戦している。
シャエスタ・ワイツさんが子ども時代に初めて飛行機を見たのは、テレビで放送された事故のニュースだった。「とても怖くて、飛行機には絶対に乗りたくないと母に話したのを覚えています」
そのワイツさんがパイロットの資格を取り、世界一周飛行に挑んでいる。すでにカナダから欧州、中東、アジアを回り、9月には自宅のある米フロリダ州デイトナビーチへ戻る予定。計18カ国、二十数都市をめぐる4万キロの旅になる。
「世界中の女の子たちに大きな夢を持ってほしい」――ワイツさんは寄航地スリランカからインターネット電話を通し、そう力説した。
ワイツさんが難民キャンプで生まれた直後の1987年、一家は紛争から逃れようと米カリフォルニア州へ渡った。6人姉妹の一人として育ったワイツさんは、パイロットになることなど考えたこともなかったという。
「私は女だから、子どもを持つのが一番だと思っていた。その子が何か立派なことを成し遂げてくれるかもしれない、と」
ワイツさんの記憶にある初めてのフライトは十代の頃、フロリダ州へ向かった国内線だった。「飛行機がロケットかジェットコースターのように空へ飛び出すのかと思っていた。ところが離陸してみると、空を飛ぶのはとてもロマンチックだった」と振り返る。

その時からワイツさんは夢を描き始めた。コミュニティー・カレッジ(地域住民向けの2年制大学)から航空大学へ進み、家族の反対を押し切ってパイロットを目指した。
おじからは「操縦席は女の座る場所ではない」と言われ、祖母からは「空を飛ぶような女性と結婚してくれるアフガン人男性なんていると思うの」と問い詰められた。
ワイツさんは常に、米国とアフガンの2つの文化に身を置いて育った。米国の学校に通っても、家で話すのはアフガンの言葉。パイロットの訓練を受ける間も門限を言い渡されていた。「両親からいつも、お前はアフガン人だと言われていた。米国人だという自覚はなかった。でもたまにアフガンのいとこたちと話をすると、米国人だと思われる。自分がいったいだれなのか混乱していた」
しかし空を飛べば、そんな混乱は消えた。「飛行機はただパイロットの技能に反応して飛ぶだけ。飛んでいる間、私はだれでもなりたい人になれるのです」
世界一周の途中で初めてアフガンへの里帰りも果たした。首都カブールに3日間滞在し、大統領と首相に会い、親戚一同と対面した。
「たくさんのいとこや女の子たちに会って気付いたのは、みんなが大きな望みを抱き、何かやりたくてたまらない気持ちだということ」――その一方で父親の同伴がなければ外出できないなど、アフガンの若い女性には制限も多い。
ワイツさんはパイロットや科学技術の分野で次世代の女性たちが活躍できるよう、非営利組織(NPO)を立ち上げた。カブールを訪れてからは新たに「アフガンの少女たちのために科学技術専門の学校をつくる」という夢もできた。
初めてのフライトで恐る恐る飛び立ったあの日から、ワイツさんの世界は開けた。「かつて地理の本でスリランカやインド、ギリシャ、イタリアのことを読んでいた頃、その国々はただ本に書かれた名前にすぎなかった。でもあの座席に座り、あの飛行機が飛び立った時に思ったのです。そんな名前がいつか、思い出になる日が来るかもしれない、と」」




いい話だ。
日本は、難民、移民、問われるのは、三十年後。
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