銅メダルは、立派だ。
「平昌(ピョンチャン)パラリンピックのスノーボードクロス男子下肢障害で成田緑夢(ぐりむ、24=近畿医療専門学校)が銅メダルを獲得したことを受け、06年トリノ五輪スノーボード代表の兄、童夢さん(32)が12日、祝福のコメントを寄せた。
「成田家初のメダル、すごくうれしいです!! フィニッシュラインを切った後、緑夢の笑顔が見られて感極まり涙してしまいました。夢、感動、希望、勇気をありがとう! そして、おめでとう!!」とコメント。
この日、ツイッターでも「成田緑夢、童夢ダル…いえ、銅メダル獲得!!!」と冗談を交えて「よく滑りきった!!! そして笑顔が良かった!!!」と称賛した。会場へ応援に駆け付けた父の隆史さん(68)も「一応、結果は残したが、まだ夢の途中」と“辛口評価”し、16日のバンクドスラロームに向けてさらなる活躍を期待した。」
今後も、スノーボードクロス男子下肢障害の大会に出ることだろう。
=========
「1998年の長野オリンピックではスノーボードのデモンストレーターを務め、小学校時代から国際大会に出場した。2010年の時点で、バンクーバーオリンピック金メダリストのショーン・ホワイトが見せた新技「ダブルマックツイスト1260。」を一発で決める技術を持っていた[1]。平行してトランポリン競技もこなし、上宮高等学校2年時の2010年8月、全国高校選手権の男子個人で歴代最高得点16.3点で最高難度賞を受賞した[2]。
2012年11月からフリースタイルスキー・ハーフパイプに取り組み始め、2013年1月、2月のFISワールドカップに3回出場した後、2013年フリースタイルスキー世界選手権の日本代表に選出され[3]出場。
しかし2013年4月、トランポリンの練習中の事故により左足の腓骨神経麻痺の重傷を負う(障害等級6)[4]。障害を克服してハープパイプ競技に復帰を果たし、さらに2020年開催の東京パラリンピックに出場するため、走り高跳びなどの障害者スポーツにも取り組むようになった。2017年12月、サニーサイドアップとアライアンス契約を結んだ。
2018年3月9日より開幕する平昌パラリンピックのスノーボード日本代表に選出[5]。」
を見ると、考えることだ。
子供、人、成人、生涯に影響することが、事故というより、危険な練習と、競技。
バイクも、危険なうスポーツも、何か、矛盾、無気力になるものだ。
野口英世の話ではないか、それと、違う、
手の怪我と違う。
何か、スポーツで、身体障害に影響するのは、本当のスポーツか、問われることもある。
柔道も、色々な格闘機、ボクシング、そして、野球でも、死球で。
ほどほどの危険の少ないスボーツが、いい。
国と身体障害者を増やさないために。
いや、本当は、トランポリンでも、スノーボードでも、種目の保険が必要かもしれない。
障害者の保険と、違う気がする。
保険制度、生命保険制度も、本当は、大会事に、身体に影響受けたら、年金のように、払う制度が必要かもしれない。
介護保険、国民健康保険、厚生年金基金など、何か、違う気がする。
大会に、賞金出すのと同じ、組織の年金が運用する大会が、理想ではないか。