二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

出会いだろうな。

2016年03月23日 15時05分09秒 | ニ言瓦版
人生は、出会いだろう。
頭がいい、地位、学歴ではなく、出会いだろう。


「俳優の哀川翔(54)が23日、東京都内で行われた「週末人生ゲーム宣言!7代目人生ゲーム新発売記者発表会」に登場した。


 不朽のボードゲームに絡め、哀川が自身の半生を振り返る一幕も。「出会いがよかった。諸先輩方にかわがっていただいて」と回想。中でも歌手の長渕剛(59)との出会いが大きかったことを明かし「長渕さんいなかったら芝居の道に入ってないからね」と語り「(長渕と共演したドラマ)『とんぼ』がなかったら俳優やってない」と言い切っていた。


 また5児の父である哀川は「(妻との出会い)それが一番いい(マス)目だった」と述懐。5児の父で「孫も3人います。これからどんどん(家族が)増えていく。どうしようかな~」と苦笑い。同ゲームについても「家族でよくやってます」と告白。「ゴールを目指しながら道のりを楽しめる。それぞれの個性が出るから“こいつこういう奴なんだ”って分かる」と良さを熱弁。自身は「俺は最終的にはお金いっぱい持ってたいタイプ」と明かした。」




人は、普通の生活しているも、出会い。
いい学校に行っても、出会い。

人生は、貧しい、無能も、本当は、出会いがないから、酷い。

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2016年03月23日 03時28分23秒 | ニ言瓦版
歴史、考えると。
またまた、浅い。
女子の教育。
問われるのは、今後。


「女子教育と各大学設立の動きなど

1858(安政5) 福沢諭吉が「蘭学塾」を開く(現・慶応義塾大)
1870(明治3) キダーがヘボン施療所で授業(現・フェリス女学院大)、翌年から女子教育開始
1872(明治5) 学制発布。官立「東京女学校」開校(女子中等教育機関の端緒、1877閉鎖)
日本初の公立女学校「新英学校および女紅場(京都)」設立(新島八重が教師を務めたことも)
1875(明治8) 「東京女子師範学校」開校(現・お茶の水女子大)
新島襄が「同志社英学校」創立(現・同志社大)
1877(明治10) 「東京大学」(東京開成学校、東京医学校などが前身)創設
1879(明治12) 学制廃止、「教育令」公布(小学校の他は原則「男女別学」に)
1881(明治14) 「明治法律学校」開校(現・明治大)
1882(明治15) 大隈重信が「東京専門学校」を創設開校(現・早稲田大)
1886(明治19) 「関西法律学校」設立(現・関西大)。東京大が「帝国大学」に
1897(明治30) 「京都帝国大学」設立、帝国大学は「東京帝国大学」に
1900(明治33) 津田梅子が「女子英学塾」を開校(現・津田塾大)
吉岡弥生が「東京女医学校」を設立(現・東京女子医科大)

1901(明治34) 成瀬仁蔵が「日本女子大学校」を開校
「女子美術学校」開校(現・女子美術大)

1908(明治41) 「奈良女子高等師範学校」設置(現・奈良女子大)
1913(大正2) 「東北帝国大学」(1907年創立)が女子の入学を許可。「上智大学」開校
1918(大正7) 安井てつ他が「東京女子大学」設立。初代学長は新渡戸稲造
 
1949(昭和24) 学制改革で、各校が新制大学に(一部私立大は1948)。女子も希望大学に入学可能に
1950(昭和25) 短期大学制度が創設 」


明治でも、34年か。
女子の教育は、軽視されていたことは、歴史。
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記念館か、1

2016年03月23日 03時13分00秒 | ニ言瓦版
古い記事。
読んでなかった。
読売。

今度、行ってみよう。
成瀬記念館か。





 「佳境を迎えているNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」。主人公「あさ」のモデルとなった実業家広岡浅子は、「女に学問は不要」と言われた明治時代、日本女子大学校(現・日本女子大学=東京都文京区)の創立に奔走した。大隈重信や三井家が深く関わり、日本女子大学校は女子高等教育機関の先駆けとして開学。それから110年余り、女子大を取り巻く状況は大きく変わりつつある。

学問好きのお前の芽を摘もうとしていた」――。「あさが来た」で功なり名遂げた老実業家が、娘のあさに昔の失敗をわびた場面のセリフだ。その“つぐない”として実業家は女子大学校の用地提供を申し出る。

 このエピソードはフィクションかもしれないが、「あさ」のモデルとなった広岡浅子は13歳で読書を禁じられたとされ、40歳代で関わった日本女子大学校設立運動で実家・三井家は実際に学校用地を寄贈している。その日本女子大とはどんな大学なのか。


 同大にある創立者・成瀬仁蔵の名を冠した「成瀬記念館」で、4月8日まで企画展「女子大学校創立の恩人――広岡浅子展」が開かれているというので、同館のある目白キャンパスに行ってみた。JR山手線内側の東京都文京区目白台、そこの坂を下りれば早稲田大学という場所だ。 



 同展では、女子大学校設立運動期を中心に、1896年(明治29年)から1916年(大正5年)までの浅子から成瀬宛ての書簡20通や成瀬仁蔵著『女子教育』、寄付金簿、写真などを展示している。

 記者が訪れたのは平日の午前だったが、観覧の人は途切れない。「通常だと1日20人から30人くらいですが、テレビが始まってからは100人以上訪れる日も珍しくありません」と同館学芸員の岸本美香子さん。「NHK朝の連続ドラマ『あさが来た』を見て来た」という人が圧倒的で、500人以上が訪れた日もあり、1月からこれまでに企画展の来場者は1万人を突破したという。

 岸本さんは同大の卒業生。「成瀬仁蔵は知っていたが、浅子について私の大学時代は一部の講義でしか取り上げなかったようで、よく知らなかった」という。しかし、2002年から同館に勤務後、今回展示しているような文献を読んで浅子の魅力に気づき、機会があったら取り上げたいと思っていたそうだ。

 岸本さんは「浅子の書簡は虚飾が無くて実務的。一日中頭を使っている、頭の回転の速い人だったと感じます。率直にいろんなことに悩んだり、迷ったりして、そして解決しようとしていることが見て取れます」という。浅子のパワーに学ぶべき点は、平成の今もたくさんあるのかもしれない。

※成瀬記念館(日・月・祝日は休み)


 日本女子大、通称ポンジョはツダ(津田塾大)、トンジョ(東京女子大)と並び称される名門女子大だ。創立者の成瀬仁蔵は、梅花女学校(現・梅花女子大、大阪)校長も務めた。日本女子大の資料によると、成瀬は米国留学で女子教育の必要性を痛感し、帰国後の1896年(明治29年)、『女子教育』を出版。その中で「女子を先まず人として、第二に婦人として、第三に国民として、教育する。この順序を間違えてはならない」とした。この思いを実現させるため、1901年(明治34年)に日本女子大学校を創設した。創立委員長は、早稲田大学創立者の大隈重信だった。

 開学時の入学者は510人(家政学部84、国文学部91、英文学部10、英語予備科37、高等女学校288)。あえて少人数主義をとったという前年開校の「女子英学塾(現・津田塾大)」が当初塾生10人だったのに比べ、大規模で組織的な女子高等教育機関のスタートだったと言える。

 卒業者には平塚らいてう(「元始、女性は実に太陽であった」という雑誌『青鞜』発刊の辞で知られる女性解放運動家)、高村智恵子(洋画家。彫刻家高村光太郎の妻)、高良とみ(戦後初の女性議員の一人)、丹下ウメ(女性科学者。日本女子大卒業後、東北帝国大に日本初の女子学生として入学=後述)などがいる。

 ただし、当時の日本の教育は男女別であり、女子は高等学校や大学には原則として入学できず(「東北帝国大学」は1913年、日本の大学で初めて3人の女子の入学を許可)、日本女子大も専門学校だった。戦後、新制大学になった。

 さて、広岡浅子は1849年(嘉永2年)、豪商三井家に生まれ、満15歳でやはり豪商加島屋の次男・広岡信五郎に嫁いでいる。銀行の経営に加わり、大同生命保険会社の創業に参画した。この間、婦女子の教養としてのお稽古事に飽きたらず、独学で「論語」などを読み、嫁いだ後も学び続ける。



 そして、知人の紹介で知った元梅花女学校校長の成瀬から『女子教育』を贈られた。3度繰り返して読み、感銘を受けて支援を始めたという。浅子の実家・三井家による日本女子大学校設立への寄与は非常に大きく、多額の援助のほか目白台の学校用地約5500坪の寄贈もしている。また、浅子は大隈重信、渋沢栄一、岩崎弥之助らと並び同校の評議員になっているが、メンバーの中で女性は浅子1人であった

 





 同時期、女子教育に力を注いだ人々には、このほかにも、横井玉子(女子美術学校=現・女子美術大=創立の発起人)、鳩山春子(共立女子職業学校=現・共立女子大=創立に参加)、戸板関子(戸板裁縫学校=現・戸板女子短期大=を設立)らがいる。

 

 こうして女子教育に尽力してくれた先達のおかげで今日、多くの女性が高等教育を受けることができる。一方、戦前の教育令で定められた「男女別学」の原則は撤廃されたが、現在の教育にも一部引き継がれている。そのひとつが、現在も大きな存在感を示す「女子大」といえよう。続く(下)で、その状況を見てみることにしよう





朝ドラは、今回のは、大河ドラマだ。
資料は、現実の使うのか、ドラマの似ている。


このドラマは、本当、日本の再発見、女子教育の原点。
いや、よく調べた物語。

大河ドラマのへんなドラマより、はるかに、凄い朝ドラ「あさが来た」。

部分的に、物語の拡大もドラマ化してほしい。
朝ドラでは、物足りないことが多い。

資料の紹介とか、主人公が、いた場所、別荘地、など、
紹介するも、必要なことだ。
目白に行くと行きたい記念館。

日本のお札になる人だろうな。
広岡浅子氏は。


大河ドラマで、やっとほしい、ドラマだ、
明治維新の後も明治。
五代友厚、明治から、「坂之上の雲」関係した、ドラマが見たいものだ。
「あさが来た」入る。ドラマ。
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悪法だろう、あの内閣。もともと、無理こと。

2016年03月23日 02時36分59秒 | ニ言瓦版
誰が考えても、悪政だった、あの野田内閣。
消費税の増税法案、出した内閣、当時の官僚、大臣、党が酷いから、
今の酷い経済。
消費税が、上がらないで、いたら、今頃、税収は、増え、復興の簡単。
誰が考えても、消費税の上げたことが、すべては、影響。
それ以外にも、税金が上がった。
下がったのは、野田内閣の崩壊だけ。
原発の酷い処理も、増税の影響だろう。





「政府は22日、首相官邸で第3回の国際金融経済分析会合を開き、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン・米ニューヨーク市立大教授が来年4月の消費増税に疑問を呈した。安倍晋三首相は景気を見極めつつ、衆院解散も含めてフリーハンドを握る構えだが、政府・与党で増税への賛否の声が交錯し始めた。


 同氏は会合で日本経済について「消費税の問題もある」と指摘した。日銀のマイナス金利は「効果に限界がある」と述べ、財政出動の必要性を強調。その後、記者団に「日本はデフレを脱するスピードに達しておらず、消費税率アップを今やるべきではない」と明言した。16日にはスティグリッツ米コロンビア大教授も増税延期を提言した。」



消費税、上げるのは、問題だった。
東日本大震災と、消費税が、影響して、
よく、維持しているのは、安倍内閣の経済だろう。

継続して野田内閣だったら、今頃、破滅の日本だろう。


誰が、考えても、消費税の歴史みれば、3から5も、大変な時間と、経済、デフレ。
5から8、10は、額が違う、経済の疲弊が出る。

誰が考えても、経済、金、誰が、買うのか。
千円で、一割が税金、利益は、三割あっても、一割は、税金。
5%<3%と違う。

必要なものしか、買わないものだ。
それも、税金、払わないものが、企業多い、野球賭博する野球選手の球団、
新聞社は、正しく、税金払わないで、選手は、賭博。
税金、正しく、5%とき、すべては、組織から取ることか、しないと。

増税するより、税金正しく払うものが、企業が、普通の国。

野球賭博した、プロ野球球団は、財産、国が没収する法でも、作ってほしいものだ。
税金、誤魔化したものは、財産没収とか。
薬物で、捕まったものは、財産没収とか、刑罰と、民事の法が、甘すぎるのと、
個人の資産、国がとる、消費税より、確実、犯罪したものは、財産が消えることが必要。


まずは、野田内閣の検証と、増税案の失敗の犯罪、捕まえることができないものか。
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まずは、警察、検察と、司法だろう。

2016年03月23日 02時20分51秒 | ニ言瓦版
解らない。
プロ野球の問題は、いろいろ、処分が違うもあるが、
なぜ、警察が捕まえないのか。
不思議でならない。
一年間の失格より、犯罪だろう。
公営ギャンブルではない。
野球の賭博は、犯罪だろう。

まず、裁判になるのが、普通、それから、裁定。





「プロ野球、巨人は、野球賭博に関与したとして、高木京介投手との契約を22日付けで解除しました。


巨人は、プロ野球の熊崎勝彦コミッショナーが高木京介投手に1年間の失格処分を出したのを受けて、22日夜、記者会見しました。この中で、巨人の久保博社長は、高木投手との契約を22日付けで解除したこと明らかにし、「多くの野球ファンの期待と信頼を大きく損ない、申し訳ありません」と述べ、陳謝しました。

また会見で、巨人は、高木投手の野球賭博への関与が明らかになったあと、すべての選手やコーチ、それに職員などを対象に行った球団の調査結果を公表しました。それによりますと、高木投手は、野球賭博以外に、3年前からおととしにかけて別の選手1人と違法とみられるスロット店に出入りしていたということです。
また、高木投手に加え、すでに無期の失格処分を受けた笠原将生元投手などの賭博の相手となった飲食店経営者とは、処分を受けた元選手以外にもチームの関係者8人が店に行き、面識があったということです。いずれも飲食店経営者が野球賭博常習者であったという認識はなかったということです。このほか、42人が現金を賭けてゴルフをし、14人が賭けマージャンをしたことがあるということです。
一方、新たな野球賭博への関与や野球協約に違反する行為は、なかったということです」



野球の組織も、疑問こと。
プロ野球選手の待遇と、選手会のいろいろ、意見。

現実、野球賭博は、犯罪だろう。

今週、公式の戦いする場合ではないだろう。
野球賭博。

それ以外に、声掛けの円陣の賭博。
現実、日本プロ野球は、崩壊ではないか。
一般企業で、日々、賭博行為すると、存続するのか。

不思議でならない。

なぜ、野球の調査が野球の関係のものは、しないのか。
プロ、アマでも、賭け事は、あるが、野球賭博は、問題だろう。

不思議、プロ野球の選手が、裁判にかけるか、かけないか、
警察、司法が、なぜ、動かない。


プロ野球の熊崎勝彦コミッショナーより、警察、検察が、なぜ、捕まえないのか。
暴力団の取締と、同じに、捕まえること。
そして、薬物もあるかもしれない。
野球賭博、八百長、薬物、関連するのが、多い。

野球など、している場合ではない。
不思議でならない。

プロ野球、選手会、危機管理がない。

廃止が理想かもしれない。
プロ野球の廃止と、新しい組織の作り直しが、
国会でも、読んで、現状説明させることだ。
各球団の責任者と、選手の代表、調べた、結果。
去年から、話だろう。

野球賭博した、もの、国会で、証人喚問でもすることだ。
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