三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

青春の影

2013年04月23日 | 青草民人のコラム

青草民人さんです。

3月23日から小田急線の世田谷代田から東北沢間が地下化により、線路と駅が地上から姿を消した。周辺住民にとっては、騒音もなく、踏切による渋滞もなくなり、静かな安全な町になった。地上から線路が消え、駅が消えたことで、私の思い出の風景も一つ消えてしまった。

私は、住まいが小田急沿線だったので、最寄りの駅として世田谷代田から、高校と大学に通っていた。各駅停車しか止まらない小さな駅だったが、跨線橋からは毎朝、天気がいいと雄大な富士山が真正面に見えた。駅のホームには、大きな木でできた茶色のベンチがあった。私は、そのベンチに腰掛けて、いつまでも彼女が来るのを待っていた。

初恋の思い出は、甘酸っぱいかおりがするという。当時は思春期の真只中で、酸いも甘いもなかったのだろう。人目を気にして出かけた映画館。わくわくして出かけたときもあのベンチに腰掛けて彼女を待った。誕生日にもらった手編みの長いマフラーをちょっとはにかみながら首にまいて。


楽しかった日々も高校進学と同時に一変した。彼女との付き合いは、一進一退のほろ苦い毎日となった。若さゆえの、自分勝手な思いは、相手のことを思いやる気持ちに勝り、
次第に二人の間に溝をつくった。当時は、携帯やメールなんてなかった。お父さんが出ないかとひやひやしながら、公衆電話で十円玉をたくさん握りしめて電話をした。メールのかわりは手紙。すぐ近くに住んでいるのに、郵便配達が待ち遠しかった。

やっと会えることになったあの日。いそいそと出かけたあのベンチ。でも、約束の時間になっても彼女は来なかった。未練がましく、もうちょっと待ってみよう。もうちょっと待ってみようという繰り返しが、四時間にもなった。あんなに長く駅のベンチに座っていたことはおそらくこれまでの人生で一度だけかもしれない。とうとう諦めて、一駅乗って家に帰ってきた。ふとポストを見ると一通の手紙、いつもと違う真っ赤な花柄の封筒と便箋。そこには、「ごめんなさい。やっぱり行けません」と書かれていた。


失恋。これも青春ならではの味かも知れない。当時は彼女を恨んだこともあったが、今思えば、黙って手紙に書いてポストに入れた彼女の気持ちもわかるような気がする。ただ手紙が来るのが一日遅かった。メールがあったら、あんなに長く駅のベンチに座っていることはなかっただろう。でも、好きな人を思う気持ちは、メール世代よりも繊細で、深いものがあったように思う。


チューリップの財津和夫の「青春の影」という歌がある。
「君の心へ続く、長い一本道を、いま君を迎えに行こう」
家から駅までの間に彼女の家があった。駅へ行く道は、彼女を迎えに行く道でもあった。「恋の喜びは、愛のきびしさへのかけはしにすぎないと」やがて、淡い初恋は消えてしまった。


唯一残ったのがあのベンチ。時が経ち、家も何回か引っ越して、世田谷代田は通過するだけの駅になったが、通過するたびにあのベンチを見ると、あの甘酸っぱい日を思い出した。いつしか、地下化が決まり、工事が始まった。駅舎も変わり、いつしかあのベンチも姿を消した。もう、線路も駅もなくなった。
青春の思い出も、記憶になった。

環境が変わり、生活が便利になり、風景が変わる。そんな移り変わりの中で、人それぞれには、その場所に対する、それぞれの思い出がある。開発の名の下に、山を切り崩し、道路を拡張し、住宅が建ち、人が増え、町が大きくなる。仕方のないことなのかもしれないが、そこは、さまざまな人の小さな、でも大切な思い出の場所があったことも、忘れてはいけない。東北の方々の中には、地震や津波や原発事故でふるさとを追われ、思い出の地を失った方が大勢いらっしゃる。私のような個人的なセンチメンタルとは比べようもない現実がある。

私たちは、時と場所に生きている。時間と空間の移り変わりのなかで、今というときを生きている。私を取り巻く環境は変わっても、私が見ている風景は、私の心の中に確実に記憶として残っている。さらに、私を取り巻く環境もまた私を見つめてきたはずだ。あの今はない、あのベンチも、あのとき、あの場所で若い自分を見つめていた。こいつはどんな思いで自分に腰掛けているのか、おい、そんなにがっかりするなよって言っていたかもしれない。


毎日目にする風景、毎日出会うあのベンチ、あの改札口、あの看板。おい、どうした元気ないぞ。今日は機嫌がいいねえ。なんてささやいていたのかもしれない。


小田急線は、地下に潜ったが、地下の新しい駅のベンチで、また、誰かが彼女を待っているかもしれない。新しい思い出がきっと作られているに違いない。環境が変わっても、メイクドラマは、続いていく。

私も今年で五十歳。ちょっと春の陽気に誘われて、恥ずかしい青春の一ページを綴ってしまった。失恋話には事欠かない私のこと。思い出の地がたくさんあるのも困りもの。
そんなことが、他人様にいえるようになったというのは、年をとった故だろう。

恋に限らず、人との出会いというのはなんと不思議なものかと思うときがある。毎日出会っていても、縁がなければ、知り合いになることはない。結果には原因がある(因果)。同じ時間に駅に行くという原因があって、いつも同じ人に出会うという結果があっても、接点になる縁がなければ、すれ違うだけである。でもそこに、いつも見かける人だから、こんにちはとあいさつすると二人の間に縁が結ばれ(結縁)知り合いになる場合がある。


その縁がまた原因となり、今度お茶でもどうですかという縁を作り、恋に発展するという結果が生まれる。関係のスパイラルができれば、人間関係は深まっていく。


時と場所、そこに関わる人と人との関係がどんな因縁で結ばれているのか、たまには自分を振り返ってみるのもいいものだ。


今日は、卒業式だった。卒業式という時と場所が、卒業生にとってどんな縁となるか、人生の因果関係の一つの契機になる日であるとありがたい。

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