三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

小西聖子『犯罪被害者の心の傷』2

2009年01月07日 | 

『犯罪被害者の心の傷』を読み、犯罪被害者の受けた心の傷は、家族などの身近な人の死別による心の傷と似ているように思った。
「被害者」を「近親者と死別した人」と受け取ってもいいように思われる点が多い。

被害者カウンセリングの目標は、被害者に力を取り戻させることであって、無力な人を依存させて苦しみを解消してあげることではない。
無力でよるべない状態にあるのは、圧倒的な衝撃を受けた人の特徴であるが、そのような状態をなるべく早く解消し、被害者が独力で考え、決定し、実行できるようにするのが被害者カウンセリングの役目である。

たとえば、被害者は事実から目を背けようとする。
子供が性的被害を受けた場合でも、周囲の大人は事件自体をなかったことにしようと思いがちである。しかしそのような態度は、子どもが傷ついた気持ちを表現することを阻んでしまう」

事実を隠すのではなく、まずは事実を認めることが大切だという。
「遺体の確認は、遺族にとってトラウマティックな作業であるが、その後の精神状況から考えると、したほうがいいと言われるのはこのためである。遺体と対面することはつらいことだけれども、心の中でその人の死を確認していく第一歩である」
事実を知ることから精神的な回復の試みが始まるのである。

事実と真向かいになるためには話すことが大切であるし、支援する側にとっては何かをしてあげるのではなくて話を聞くことが基本である。
夫を殺されたAさんは小西聖子氏のカウンセリングを受け、「この前ここで話をしたら、すっと胸が軽くなるような気がした」と言っている。

でも、ただ聞くだけではなく何かをしなければと思う。
小西聖子氏も恩人の葬式のとき、「(亡くなった恩人の)ご主人に言いたい。いたわりたい。感謝したい。ねぎらいたい」というふうに思ったという。
「しかし、実際に遺影の前に進んだとき、喪主のご主人に私はなにも言うことができなかった。(略)なにも言えなかった自分について、最初はプロのくせになんだという責める気持ちがわいてきた。でも、しばらくして、私にはわかってきた。
「聞くこと」なしに、人になにか言うことなんかできないのだ。喪主への挨拶なんかなにを言おうと関係ない。ひとことふたことで人を励ますことばなんてあるわけないのだ。すべてはまず「聞くこと」から始まる。それができないときに、人を力づけられるなんて思わないほうがいい」

被害者は話したいことがあるし、求めていることがある。
その一つが、なぜこういうことが起きたのかという説明、意味である。
「被害者のカウンセリングにおいて「被害の意味」は重要な地位を占めているのである」
「被害者は、つねに被害の意味を求めている。自分の受けたこんなにも重い被害が、なんの意味もなかったということに被害者は耐えられない」

意味を求めるのは被害者だけではなく、どんな人も、なぜ生きているのか、なぜ死ぬのか、なぜ苦しむのか、その意味を我々は求めている。
「子どもが死んだことがほんとうはなんの意味もなくて、ただの偶然だったなんて私には耐えられないんです。いま子どもはいなくなってなにもないだけだなんて。私がこんなに苦しいのに理不尽だとしかいえません。死ぬというのがこういうことだとしたら、あんまり残酷だと思います」

こうした実存的な問いには答えというものはない。
だけど、何か言わなくてはと思って失敗してしまう。
「中途半端なウソの答えは、カウンセリング全体をダメにしてしまう。
「亡くなっても心の中で生きています」
「これから必ずいいことがありますよ」
「お子さんは一生分を充実して、短い間に生きたのですよ」
これらの答えは、実際に遺族の人から、人に言われて傷ついたことばとして聞いたものである」

ほんと話を聞くことは難しい
私の経験だが、家族と死別した方の思いを、最初のうちは「そうだったのか」とただただ聞くだけだったのだが、だんだんとパターン化して聞くようになり、ちょっと話を聞いただけで「こういうことなんだろう」とさもわかった気になってしまい、「こういう気持ちなんでしょう」というようなことを言ってしまうようになった。
「どんなに被害の様相が似ていても、ひとつひとつの被害は同じではない。また被害者は同じ「子どもを亡くした母親」であっても、これまでの生活も性格も家族の状態もみなちがっている。喪失のあり方はそれぞれちがう」
初めての時のように聞くのは難しい。

それに慣れは感性を鈍らせる。
「無力感や自責感をいっさい感じずに、トラウマティックな話を聞ける人がいるとしたら、その人は聞き手にふさわしくない人である」
身近な人を亡くしてつらい思いをしている人は、聞き手のこうしたパターン化や無神経さを敏感に察知するだろうと思う。
「被害者が心を開くことに用心深くなるのは、まわりの人たちが被害者の心情を理解していないし、話してもわからないと思っているからである」

カウンセリングの終わりは悲しめるようになることだと、小西聖子氏は言う。
「もし穏やかに悲しめるようになったら、それはカウンセリングの終結である」
被害者は悲嘆に暮れていると考えがちであるが、「被害者のほんとうの姿はそうではない。トラウマティックに大事なものを奪われた人は、悲しむことさえできないのである。ただ苦しく、自分を責め、怒りをもっている」

「なにかを悲しめるということは、とても健康なことだと私は思うようになった」
うれしいことがあれば喜び、つらいことがあれば悲しき、理不尽なことには怒る。
こうした当たり前のことが当たり前にできるのは当たり前ではないのである。

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3 コメント

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犯罪被害 (花子)
2017-02-23 05:37:19
現在色々な場面で精神暴力な肉体暴力をうけています。警察に相談していますが、なかなか解決しません。話を聞いていただけないでしょうか
カウンセリング等 (花子)
2017-02-23 05:39:43
先生は武蔵野大学以外に病院やクリニックで診察しておられませんでしょうか。
コメントありがとうございます (円)
2017-02-23 08:34:02
つらい思いをされているんですね。
「先生」とは小西聖子さんのことでしょうか。
外来診療をされているかどうかは知りません。
ごめんなさい。

警察だけでなく、いろんなところに相談されたらいかがでしょうか。
東京都にお住まいでしたら、↓に相談機関のリンクがあります。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/10jinken/tobira/soudan/soudan02.htm
どの府県にもいろんな相談を受け付ける機関があります。

他にもたくさん相談窓口があります。
全国被害者支援ネットワーク
http://nnvs.org/request/

法テラス犯罪者被害者支援
http://www.houterasu.or.jp/higaishashien/

参考になればいいのですが。

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