宅間守にしろ、神戸の少年Aにしろ、第二審でも死刑判決だった下関駅通り魔事件にしろ、みんな一種の自殺である。
死刑になって死にたいというので事件を起こしたわけだから。
仮に一千万円の借金があって、一発やってやろうというので誘拐とか保険金殺人とかする人がいれば、自殺する人もいる。
その違いは何なんだろうか。
大借金があるからといって、犯罪を犯さない人や自殺をしない人のほうが多い。
そこで一線を越えるというのは何があるんだろうか。
一線を越えないのは何か歯止めがあるからなんだろか。
野口善国弁護士は、
非行少年というのはみんな自分がダメだと思ってます。自己評価が低いわけです。これはたしかに言えます。
自己評価の低い人は自分を大切に思うことができない。自分を大切に思わない人は、他人を大切に思うことはできない。そして、自分をダメだと思っている子は、努力する意欲が少ない。
自己評価の低い人は自分を大切に思うことができない。自分を大切に思わない人は、他人を大切に思うことはできない。そして、自分をダメだと思っている子は、努力する意欲が少ない。
と話している。
自分を大切にできるならば、他人をも大切にする。
今の自分の状況に「なんで自分だけが」と不平、不満があり、他者の痛みが見えない。
自分と同じように他者も痛みを感じている、ということがわかれば違ってくるかもしれない。
に可能性を失った状態かとも思います。
それを犯罪(暴力)という形で表出(表現)するのだと思います。そこには、ひとつ
の可能性が見えてるのだと思います。そこに
は手前勝手な正当化があったりするのですが。自殺する人も、死にたいと思う一方で、生きたいという意志は見えます。
故聖人(親鸞)の仰せには、
「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、
宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。
【 歎 異 抄 】13
「縁」は、そこそこ見当がつく。
私も「縁」に合えば、親・子をも殺すかもしれない。(自殺も)
「宿業」(前世で行なった善悪の行為。また、現世に現れるその報い。)
においては、私の意識の領域を遙かに超えている。
私はヒンズー教の残骸としか、思えないのだが。
縁によってどういう結果が生じるかは誰もわからない、ということでしょうか。
>「宿業」(前世で行なった善悪の行為。また、現世に現れるその報い。)
> 私はヒンズー教の残骸としか、思えないのだが。
宿業が、私の行った前世の行為、およびその報い、ということだけなら、単純な話です。
私の話だけですむわけですから。
宿業とは、過去のあらゆる業(私のなした業に限らない)であり、私が、ここに、こうしていることを成り立たせる、すべての縁のことではないでしょうか。
もちろん、前世の報いなんてことは、私は認めません。
という思考法。従果向因というのは、結果か
ら原因にさかのぼる思考法。
言葉は遅いか、早いかのどっちかだともいわれます。つまり起きてしまってからあれこれ理屈をくっつける。けれど予測や予定をもとに対策を立てても外れてしまうことを避けられません。
物理学的な因果法則にもとづかないのが、
人の意志。だから倫理や自由という領域が人間に開かれているともいえます。死を選ぶと
いう自由。人を殺さないという倫理。
結果から原因を考えるのは、結果論ですから、どうとでも言えます。
自由意志の問題は難しいですね。
自由意志はある、といえばあるし、ない、といえばない。
結果をそのまま受け入れる、諦める、納得する、引き受ける・・・
ということなんでしょうか。
それにしても、年のせいか、すぐにプチッと切れ、簡単に落ち込みます。
これからどうなるのか。
人から愛される老人にはなれそうもありません。(゜_゜i)
ここで彼は社会きずな理論(ソーシャル・ボンド・セオリー)を提唱しました。
中高生17500人の聞き取りをもとに書かれたもので、愛着・投資・巻き込み・信念が、一線を越えない理由だという分析がなされています。
http://www.hanzaishinri.com/archives/2394720.html
①身近な人を悲しませたくない、②自分が積み上げてきたものを失いたくない、③目の前にあるものに取り組むのに忙しくて犯罪に手を染める余裕がない、④社会のルールを守るのは当然のことである
というもの。日本更生保護学会 副会長の生島(しょうじま)浩氏の本を読んでも、非行少年が悪いことをしたと思うのはまず親であり、親に誓ってもう悲しませたくないと思うそうです。
また次の論文を読むと、
https://www.syaanken.or.jp/wp-content/uploads/2013/01/A-01.pdf
少年たちの非行の分析をすると、社会的に逸脱した「仲間」からの誘いを断れないという傾向がある、と。保護観察所における「家族教室」では社会のきまりを守るSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)や同調傾向を絶ち切る「距離化スキル」を学ばせるのだそう。
非行少年たちの親の自助グループには、「あめあがりの会」があります。
http://shiochanman.com/hikou/
家族が歯止めになるのかもしれません。
壊れてしまった家族だったら歯止めになりませんが、大切な人を悲しませたくないということは重要で、そういう人間関係があるかどうかだと思います。
少年鑑別所では地域援助をしており、子供のことで悩んでいる人にアドバイスをしているそうです。
今はいろんな相談窓口がありますが、知らない人が多いと思います。
こういうところに行ってみたらと伝えることも大切です。