三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

田口真義「死刑について何を知った上で判断したのか」

2016年06月14日 | 死刑

「FORUM90」vol.146に、田口真義「死刑について何を知った上で判断したのか」という講義録が載っています。
2015年12月、裁判員裁判で判決を受けた死刑囚の中で初めて執行された津田寿美年さんの裁判をすべて傍聴した田口真義氏が一番印象に残っているのは、被害者ご遺族の存在だそうです。

とても苛烈な感情を露わにする。人定質問の時点から悲鳴のような叫び声、机を叩く、資料を投げる。津田さんが言葉を発するたびに、机を叩く、(机を)蹴る。そしてこれを裁判長も検察官も止めなかった。

裁判員3人の席からは見えているが、裁判長や他の裁判員には見えない状況だった。

被害者ご遺族の方々が感情を露わにするのにも波があって、約2週間の公判の中で泣く時もあれば、暴れるというのは言い過ぎかもしれませんが、そういう予兆みたいなものが何となく傍聴席にいても分かってくる。そういう空気が流れると、検察官がうつむきながら「したり顔」をする、ニヤリと笑うんです。

田口真義氏がショックだったのは、被害者遺族の意見陳述のとき、被害者のお孫さん(16歳の女子高生)が「犯人は消えてほしい」と言う横で、検察官はハンカチを目に当てながらニヤニヤしていること。

津田寿美年さんの裁判の裁判員経験者の話で、田口真義『裁判員のあたまの中 14人のはじめて物語』に載せていない言葉。

仮に被害者に処罰感情がなかったなら、無期になっていたと思う。死刑か無期かの境目は処罰感情なんだと思う。

田口真義氏はこう言います。

被害者が天涯孤独の、まったく無縁の方だった場合、その処罰感情はまったくないことになってしまう。そうすると、例えば同じ人数の被害者だったとしても、それが死刑かどうかの分かれ目になってしまう。


長谷川博一『殺人者はいかに誕生したか』に、裁判所は真実の解明が使命ではないとあります。
本来、法廷や裁判は、被害者のためではなく、被告人のためにあり、被告人が公正な裁判を受ける権利、つまりデュー・プロセス(適正手続き)は保障されなければいけない。
しかし、実際の裁判は真実をあきらかにする場ではなく、検察官と弁護人の闘い、駆け引きの場にすぎない。
真実を察していたとしても、検察官も弁護人も、ぞれぞれの立場から不利なことには触れない。

社会が抱く大きな誤解は、「刑事裁判によって事件の真相が明らかにされる」という思い込みだと、長谷川博一氏は言います。
量刑判断が刑事裁判の意味で、犯行心理が解明されないまま判決が下されて終わるケースが多くなる。
量刑を判断する上で専門家による調査(各種鑑定)がなされることがあるが、それは真実の究明を目的としているのではなく、判決を決める裁判の一プロセスに過ぎず、場合によって判断材料とすることがあるという程度のものだったそうです。
裁判員裁判は、儀式として一般市民が参加するだけなのかもしれません。

田口真義氏の話は興味深かったので、『裁判員のあたまの中』を読もうと探しました、図書館には納められていませんでした。
『裁判員のあたまの中』ですが、「裁判員制度はいらないインコのウェヴ大運動」というサイトによると、「本を読んだ感想を一言で言うなら「血まみれになってうれしがる人たち」」とのことです。

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3 コメント

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お久しぶりです (繊細居士)
2017-02-07 10:30:23
かなりお久しぶりです。円さん。
前来たとき、円さん、入院された(?)とおっしゃっていた気がしましたが、お具合はいかがですか?

すみません。今日は質問したいことがあって現れました。
円さんは、田中慈照さんとは別の方なんですよね?^^;
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/jisyou.htm

なぜこのような質問をするのかというと、1990年くらいの死刑廃止派の会報を読んでいたら、〝田中慈照〟という名前が出てきて、それで、上記のページを思い出したんですね(第五回全国死刑廃止合宿の話の所で名前が出てきていました)。
しかし、あの圓光寺のHPが円さんのHPだとしたら、「田中慈照さん」なんて書くわけないですもんね^^;
Unknown (繊細居士)
2017-02-07 10:56:35
田口真義さんのこのお話は、去年の1月13日、参議院議員会館にて、死刑執行抗議集会でされた話なのですが…
(その様子を撮影した写真は、この記事の下に載ってます。)
http://blog.livedoor.jp/norio_nagayama/archives/8236359.html
私も田口さんの話を直接聞いていたのですが…驚きました。

私が死刑反対派になってから、まだ1年半くらいしか経過してないのですが…最近、「左傾、リベラル、死刑反対派も色々なんだな」と気が付いてきてガッカリしたり、精神的に冷めた部分が出てきてます^^;(でも、私が死刑反対派であることは変わらないです。今のところは、ですが…)

そして、私は、都内の死刑廃止イベントに行くのを去年の中ごろから止めてしまったんですが…死刑廃止イベントに行き続けていても、被害者やご遺族の話が全然出てこないのですね…。そして、出てきたかと思ったら、被害者参加制度を利用して遺族が裁判所に出てきて泣き叫んだ…そういう話…だんだん私の中に、遺族に対してネガティブな感情が生まれるようになってしまって、「これはまずい」と自覚するようになりました。それとフォーラム90に対する疑問が蓄積するようになり、死刑廃止イベントには行かなくなってしまいました。
去年5月の被害者主催のイベント「サリン21年目の集い」(東京・交通会館で開催)では、有名な死刑反対派弁護士が、ご遺族がたの前で
「アメリカでは死刑囚は死刑直前に食べたいものが食べれ、会いたい人に会えるのです!」と力説してしまった。
あのですね…死刑制度問題初心者講座で"海外ではこうなんですよ"と説明する分には問題ないと思いますが、ご遺族の前でそれを話すという神経が私は理解できなかった。やはりその後その弁護士はご遺族からやんわり注意されていました。そして私はフォーラム90の会報も受け取るのを止めてしまいまいました。
最近はなぜか女性裁判官のみしれっと叩く男尊女卑の死刑反対派弁護士まで現れ、他の死刑反対派も気が付いて「なんだこれ?」となってます。死刑反対とは差別をなくし、全ての者が共生できる社会を作ることだと思っていたのですが…もしも、死刑を廃止することだけが目的になってしまい、“死刑を無くすためだったら他の人権問題はどうでもよい”“人権問題に順位をつけよう”と思っている死刑反対派がいたら、私はそういう人達を支持する気は一切ありません。ここに来たのは1年ぶりくらいかなと思いますが…今の私の心境はそんな感じです。

話もどしますが…田口さんのおっしゃった「裁判の主役は被告のはずだ」というご意見には同意です。そうですよね。裁判で被告がひたすら黙って判決だけ聞いて大人しくしてるのなら“何のための裁判か”と私は思います。
コメントに気づきませんでした (円)
2017-02-09 17:18:09
前に書いたと思いますが、死刑廃止運動を長くしている人が「社会問題をしている人は変わった人が多いが、死刑問題に関わっている人は変な人が多い」と言ってました。
「変わった」と「変な」とちょっと似ているけど、ちょっと違いますよね。

平和運動や人権問題などに取り組んでいる人の中には、まずはまわりの人間との関係を平和にしたらいいのにと思う人がいるし、そんなに杓子定規では誰もついてこれないと感じることもあります。
自分は正しいことをやっているんだ、だから正しくない人を攻撃してもいいんだというような感じの人もいます。

被害者の救いは、怒りや恨みを手放すことだと思います。
そのためにはどうすればいいか、ほんとに難しいですけど。

田中慈照さんは四国の方です。

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