三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

諸富祥彦『人生に意味はあるか』(1)

2006年07月10日 | 問題のある考え

東本願寺の御遠忌テーマが「今、いのちがあなたを生きている」に決められたのは、諸富祥彦明治大学教授の影響が大ではないかと邪推している。
というのも、諸富祥彦氏のHPに「いのちが、私している」とあり、御遠忌テーマそのままである。

そこで諸富祥彦『人生に意味はあるか』を読んでみました。
「人は何のために生まれ、いかに生きていくべきか」、「人生の、ほんとうの意味と目的」という問いに「真正面から」答えた本である。
諸富祥彦氏は断言する。

七年もの間、人生の意味と目的を求め続けた結果、私は「答え」を手に入れることができた。

その答えは何か?

「人生の意味」とは何かに答える前に、諸富祥彦氏は、学生たちの「人生に意味はない」理由、「人生に意味はある」理由の答えを紹介している。
学生たちのさまざまな答えは面白くて、これだけで充分という気がする。
人生の意味について、哲学や宗教の答えも紹介されているのだが、五木寛之、トルストイ、そしてなぜか親鸞会の本『なぜ生きる』が取り上げられている。
奇妙な選択ではあります。

諸富祥彦氏はスピリチュアリティに多くのページが費やしている。

宗教、特に組織宗教に足を運ぶのは、どこか抵抗がある。とにかく、「宗教」はアブナイ。かかわりあいにならないほうがよさそうだ。
現代人は「宗教に代わる新たな何か」を捜し求め続けてきました。私たちに、生きる意味と目的とを納得のいく形で感じさせてくれる、宗教ではない何か。
そこで今、宗教に代わる新たな選択肢として私たちの前に差し出されているのが、スピリチュアリティなのです。


そして、絶賛する。

「生きる意味を実感できる社会」に日本社会が生まれ変わるためには、必ず、スピリチュアリティの智恵が必要とされると思っています。


では、スピリチュアリティとは何か、諸富祥彦氏はどのように考えているのか。
江原啓之氏を次のように好意的に紹介しているのを読むと、カルマの浄化による人類の進化というお話を諸富祥彦氏も信じているようである。

私は、江原さんは、「あやしいけど、有益」なメッセージを発している方だと思います。
江原さんのメッセージは明快です。
「私たちが一番大切にしなければならないことは、『たましいの成長』です。それこそが私たちの『人生の目的』なのです」
さらに、次のような壮大な展望をも語っています。
「私たちは実は人間ばかりでなく、日本、そして地球人類全体の進化・向上をも担っているからです。地球のカルマは日本のカルマでもあり、それはまた私たち個人のカルマなのです。
私たちはこの宇宙を、地球という星を浄化させるために生きているのです。私たちの究極の目的は、この星を浄化させ神の国とし、神の光の粒子となっていくことなのです」
ただの霊能者でないことは、このことばだけでもわかりますね。

私には「ただの霊能者」のたわごととしか思えない。

諸富祥彦氏は日本トランスパーソナル学会会長である。
トランスパーソナル心理学とは何か、諸富祥彦氏の説明。

(トランスパーソナル心理学では)臨死体験などをある特定の意識状態(変性意識状態)におけるリアルな現実と認めていくのです。
変性意識状態とは何か。それはたとえば、夜見る夢や、宗教的な覚醒体験や宇宙や大自然との合一といった日常とは異なる意識体験のことです。神秘体験や臨死体験をはじめ、体外離脱体験、前世の体験、死者とのコミュニケーション体験などもここに含まれます。そして、こうしたさまざまな特殊体験の本質的な意味を理解するには、それぞれ意識状態に応じた科学が必要であると考えるのです。

本人にとって「リアルな現実」であっても、客観的事実とは限らないのだが、諸富祥彦氏は客観的真実だと考えているわけです。
ウィキペディアによると、トランスパーソナル心理学は「宗教やオカルトそのものであるとの批判がある」そうだが、会長さんがこれでは批判ももっともだと言わざるを得ない。

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8 コメント

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失礼いたします。 (tenjin95)
2006-07-10 17:51:05
> 管理人様



なんだか、最近はこういった抽象的な問い自体を否定しつつある拙僧としては、人生の意味なんて、その都度決まっていかざるを得ないという感じがしております。



人生の答えなんて、すぐにも見付かりますが、そんなに長くは使えない、むしろ長く使えるモノは自分の生き方を型に当て嵌める無駄なモノ、そんな感じでしょうか。
困った問題 (円)
2006-07-10 21:28:28
早速のコメント、ありがとうございます。

私も、フランクルのように人生の普遍的意味を求めることは意味がない、と考えています。

ところが、諸富氏にとって人生の意味とは抽象的な事柄ではありません。

そのことをこれからご紹介するつもりです。

東本願寺がスピリチュアリズムにどうして接近するのか、こちらのほうが人生の意味なんかより大きな問題です。
お西も (京都8月2日)
2006-11-15 15:56:39
管理人さん、こんにちは。
昨日の京都新聞夕刊の記事ですが。

「親鸞750回忌へ目標100万人~浄土真宗本願寺派
 門徒拡大へ東京に新拠点~
 無関心な人へ仏教色を薄め、まず季刊誌発刊から~」
季刊誌の内容を宗教に懐疑的な人や無関心な人の為に、仏教色を薄めてと云う所が気になります。

宗教に懐疑的・無関心な人と言っても、その人達が、東西本願寺だけに対して抱いている訳でも無いですし、若者が教会で結婚式を挙げるのが日常的になったと言っても、キリスト教信者が格段に増えているとも思えないのに・・・それに仏教色を抜いて一般の人と接触して、実は、本願寺でした・・・って、カルト宗教か創価学会みたいで、そういう事で逆に信用を落としていくと思うんですけどねぇ~

何でも、お西は築地本願寺に、有限責任中間法人「仏教総合研究所(仮称)」を新設して、季刊誌の編集は民間出版社に委託、全国の書店で販売する予定です。
雑誌めくったら、細木・江原・美輪が出てきたら・・・

そのうち、東西本願寺設立大学の学園祭で、講堂の阿弥陀如来を背に、前記3人のいずれかが講演をする日も出てくるかもしれません。特に本山設立でも仏教学部がおかれていない、特に女子大の学園祭とか
「呼ぼうよ~」と言う学生が出てくるかも知れません。
すいません、大袈裟なコメントになりました。
 
みんな信じられない気分 (円)
2006-11-15 20:56:16
>季刊誌の内容を宗教に懐疑的な人や無関心な人の為に、仏教色を薄めてと云う所が気になります。 (以下略)

まったくその通り。
無駄金づかいの本願寺、流行に媚びるけどセンスが悪い本願寺の皆様にぜひ聞いてもらいたいご意見です。

>雑誌めくったら、細木・江原・美輪が出てきたら・・・

江原啓之が編集した「新潮45」の別冊を私も立ち読みしました。
用語集を書いているのが心霊研究家ですから、江原啓之の立場もわかるというものです。
クオリアの茂木健一郎と江原啓之との対談がありました。
クオリアもうさんくさい概念なのでしょうか。
その他、あの雑誌に名前を出している人たちは信用できないなと思った次第です。
クオリア (京都8月2日)
2006-11-17 22:14:08
茂木健一郎は、ソニーの研究員なんですよね。あのオカルト研究者が多いと言われている。そして脳科学者という肩書きですが、医学者じゃないのですね。

従来の脳科学には限界があった、数値化できない意識やクオリア(質感)を脳科学の視点から見ていくという点においては、物質至上主義を批判し、霊性を説く江原やニューエイジと重なるものがあると思います。そして、二人とも英国留学経験者ですね。

しかし、脳科学の限界といわれても、一般素人の間で、脳に関する話題が出てきたのも最近の事。素人は、「はーそうですか?なるほど」と言うしかなくて、どういう疑問を持たなければいけないのか。はてさて・・・・

量子力学 (円)
2006-11-18 20:42:22
むむ、ソニーですか。
当然、土井氏の影響大でしょうね。

ニューエイジでは量子力学をすぐに持ち出します。
波動という言葉が出てきたら、こりゃうさんくさいと思いますもんね。
素粒子の世界で起きていることが日常でもあり得るなんて無茶苦茶ですよね。
http://www.hi-ho.ne.jp/luke852/bible/newageNews1.html
ちょっと似たところがあると、すぐに結びつけてどうこう言うことは私もよくしてまして、慎まないといけないと思っているのですが・・・。
関係ないですが、面白いサイトがありましたのでご紹介。
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/0x001.htm
御遠忌テーマ (nagaki)
2007-06-19 18:16:21
管理人様へ
御遠忌テーマを考えられたのは、大谷大学の現役教授(真宗学)とのことです。以前、教授周辺の人から直接聞きました。以前のコメントにもありましたが、その教授の傾向からして、曽我量深を現代風に表現した、といったところなのでしょう。
 著作等を拝読する限り、その教授が、教団外の人が理解できるかどうかということに関心があるとはとても思えないですね。
 諸富氏との共通性があるように見えるのは、意味不明な発言に居直るような独善性が共通するからではないでしょうか?
それは初耳 (円)
2007-06-19 20:34:05
コメントありがとうございます。
そうなんですか。
御遠忌テーマを決める委員会が考えて決定したのかと思っていました。
テーマとしては「いのちが、私している」のほうが短くて覚えやすいので、その点はずっとましかなとは思います。
高倉会館でスピリチュアルの講演があり、真宗会館で諸富氏の講演があり、親鸞仏教センターで帯津氏の講演があり、というぐあいに、教団がそちらへ流れつつあることは事実でしょう。
樋口先生が言われるように、親鸞はいのちという言葉を使っていないし、帰命の命はいのちという意味ではない、ということをまずははっきりさせるべきだと思います。

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