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 『隠岐に帰ってきてくださいね』 に 涙が溢れた

2016-11-08 12:38:16 | 隠岐しげさ節 
私は正直疲れていた  何かを一生懸命に行おうとするのだが・・ 思うように事は運ばなかった  太鼓を上手に叩ける人も私に力を貸そうと動いてはくれたもの・・ 師匠から許可は降りないままだった。 このままでは太鼓がいない  太鼓がいないと民謡にはならない。

だが幸運にも兵庫県のお夏さんが私に蜘蛛の糸を天から下ろしてきてくださった あの方は最初から不思議な人であった。 条件を求めず動くという普通じゃなかった。 誰だって条件というものを聞かねば、それと照らし合わせて自分が動く魅力があるのか どうかを判断しなければならないからである 

だけどもお夏さんは全く違った。 これまで多くの民謡人と少なかれお付き合いをしてきたのだが無条件で力を貸そうとしてくださったのは、隠岐の先生、赤田先生、そしてお夏さんだった。 私はこの方々様にこの世を終えても頭を上げることなど出来ません。 人間というものは、一番困った時に手を差し伸べようとする人が、その人にとっての本物の友情であると私は最近、考えるようになった。

それは、私が生まれて初めて人から支援を求めなくてはならない立場に立った時、誰も手を差し伸べてはくれない現実の厳しさに打ちひしがれたことが、苦しみだけでなく、その逆の反対側に立った人の気持ちも同時に考えることが出来るようになれたことが非常に良き経験となった。 昔から私は募金箱を避けて歩いてきた。 そんな心の狭い一人の男が壮大な夢を企画して、そこに支援を差し伸べてくれる者など、いるはずもありませんでした。

それは考えてみれば当然のこと。 それでも過去に隠岐の先生や赤田先生は無条件にて、私の夢に力を注いでくださったのであった。 自分がいかに甘い考え方を持つ人間であるのか、そして弱い人間であるのかを今回は学ぶことが出来ました。 今年の夏、隠岐の島から先生方が隠岐民謡講習会が広島にて開催されるとのことで来広され・・ ついでに足を伸ばしてということで・・ はるばる江田島は、私のお店まで会いにやってきてくださったことがございました。

その時の音源を私は大切に守り、そして私の尺八を吹き込みミキシングしてCDを作成して送りました。 それから2日間が経った頃・・ 一通のメールが隠岐の島から送られてきたのです。 その文の中に来年のしげさ節全国大会時に隠岐へどうぞという内容が書かれていたのを観て私は涙が溢れました。



 『隠岐へ帰ってきてくださいね』  



やっぱり民謡での私のふるさとは隠岐なのだと思いました。 今井さんや飯村さんとも、あそこで出会えていたのですから・・ 高梨先輩や宮廻さんとも・・ 懐かしいですね~ 里美さんは美しすぎて人間には見えませんでしたから 竹から生まれたかぐや姫が隠岐にいたんだと感じておりましたから。

隠岐はすごいんですよ。 本州から離れている分、人を大切にする気持ちが高いですから・・ もう二度と島に戻ってこないかもしれない、まさに一期一会の大切な方たち・・ その精神で毎年、接してくださるので、心の厚みが違うのだと私は感じておりますよ。

だからね、僕は思うんです。 僕が好きな民謡仲間には、特に一度は隠岐へ行ってみて欲しいのですよ。 生きているうちにね 来年まで命がある保証はございません。 誰だって・・ だったら行くしかないでしょ隠岐へ  渡るなら今でしょ  って言っておきながら・・ 私は来年の春に渡るのです  本日もご拝読、誠にありがとうございます 


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