☆はらぺこあおっち☆

★戦争反対!!原発反対!!
経済を優先して、生命の安全が二の次にされている日本に、ほんと腹立ちます。

ママは原発いりません☆福岡パレード4/30

2011-04-30 23:20:45 | 原発反対!


3/11の大震災による福島原発の事故を受けて、水素爆発の日以来、忙しく過ごしていました。
関東の放射能汚染を深刻に受け止めて、東京在住の姉親子は長期避難してきてて、我が家と実家に身を寄せている状態です。

我が家の反原発ネツに再び火がつき、内閣府や電力会社や政治家、原子炉メーカーへの抗議電話や抗議メールや抗議の手紙など、個人でも出来るコトを日々やっているところです。チェルノブィリ原発事故以来、母たちがずっと反原発運動で訴えてきた恐怖が、現実のものとなってしまった今、未来ある幼い子供を抱えた子育て真っ最中の私は、絶望感でいっぱいでした。
姉達と知恵を出し合い個人行動を積み重ねている中、デモもやりたいという気もおきてきて、近県の福岡でのデモを知り、急遽駆けつけました。
一昨日の夜、パソコン検索でデモを知り、どうしよう…と思っていたら昨夜伯母から「私いきます」の連絡が。
じゃあ私も行く!と姉達に知らせると、私も・私も!と姉親子も母も行くことに。

九州電力本店前には、テントを張って座り込みの抗議活動をしている方たちもいて、今日はまずそこに行きました。
母の知り合いで、私も小さい頃カヌーに乗せてもらったことのある小坂さんというおじさんが、座り込み隊の一人でした。

デモに行くことを急に決めた為に準備が間に合わず、材料をもっていき現地でゼッケンや旗を作りました。
旗は、座り込みテント村にいた絵描きの様な人が描いてくれ、子ども達にも描いてもらって。
急ごしらえにしては中々ステキにできました。目も引くハタの写真は、また後日。。。


デモの歩調についていけない1歳の姪っ子と2歳のハー子は、当然抱っこでデモ行進。
ダンナが仕事でいけず、私が運転手だったので、結構ハードでした。
母も来てくれたので助かった。
とりあえず無事に帰ってきたので、簡単に報告まで。

5/8(日)にも福岡市中央区警固公園で反原発のデモがあるそうです。


放射能に国境はなく、ひとたび事故が起きれば、全世界が汚染されます。事故がなくても、年間1000トンもの放射性廃棄物が生み出されるのに、その処理方法は未だ確立されていない。今現在は、暫定処分地と暫定処分方法しか決まっていないのです。
放射性廃棄物は50年冷却した後に、何十万年も管理し続けなくてはならない。
私達の寿命を遥かに超える核のゴミ。これからも生み出し続けるなんて、とんでもない!!!
原発事故は、地元住民だけの問題ではなく、全ての人間が事故の当事者だと思う。
誰かが止めてくれるのを待っていたら、国の政策は変えられない。
一人一人が、自分に出来ることから意思表明していかなくちゃいけないって感じました。

チェルノブイリの時は、子供だった私も、今は大人になり、責任がある。子ども達を守る責任が。
そんな思いで、デモや抗議行動をやっています。



原発との出会い

2011-04-28 02:37:47 | 原発反対!
私が「原子力発電所=原発」という言葉を知ったのは、1987年、チェルノブィリ原発事故の翌年で、12歳だった。
母が広瀬隆さんの講演会を聴いたのがきっかけで、原発反対!原発反対!と言い始めたのだ。
「こんなキケンな物が日本にも35基もあるんや、とんでもない!原発の事をみんなに知らせよう、自分達も学ぼう」と地域のコミュニティーセンターに平井孝治さんなどを呼んで講演会を開いたりしはじめ、私はお手伝いがてら講演を聴き、母たちの交流会などにも一緒に連れていってもらっていた。
本が好きだった私は、広瀬隆さんの「危険な話」や「東京に原発を!」を読み、子供ながらに、「原発って、とんでもねー!」と思っていた。
この頃、家族の会話は、原発の事がほとんどだったと思う。

そんな中、私達の住む町の海を隔てた対岸にある伊方原発で、出力調整実験という実験が行われると知った。出力調整実験とは、100%フル稼働が原則の原発の出力を、上げたり下げたりやってみようという実験。電力使用量が減る夜間には下げて、昼間に上げる。福島原発の事故後の核燃料の状態を見ればわかる様に、核の臨界をコントロールする事はとても難しく、とても危険なのだ。
この出力調整実験は、結果的には成功したが、やはりリスクが大きすぎて実用化にはいたらず、夜間余った電力は、安く売ってオール電化を普及するという方針になった。
(35基の時代から、「電力は余っているのに、何故新しい原発を建設するのだ」と指摘されていた。)
当時、かなりの学者がこの実験はキケンだと警鐘を鳴らしていた。更に86年のチェルノブィリ原発事故から2年もたっていない88年2月にやるという。チェルノブィリ原発が爆発したのは、出力を人為的に下げた為で、実験的に下げたのではないかと言われている。まさにこの出力調整実験中の大爆発だったということだ。

母はこれは絶対にとめなきゃ!と、主婦仲間と四国電力への抗議を全国に呼びかける行動を始めた。
色んな団体に電話しまくる、チラシを作って郵便で送る、その他はどんな事をしていたのかは具体的には知らないけれど、主婦仲間の家族総出で、チラシを折り封筒に入れて切手を貼り宛名書き…と、パソコンのない時代に全て手作業でやるその様は、結構すさまじかった。私達子供たちは、連日家族どうしが集まり、遊びながらも内職を共同で手伝うのは非日常で、楽しかったし、大人の立派な活動を手伝っているという気持ちで誇らしかった。

その内、我が家の8畳の応接間は作業場となり、ダイニングキッチンは事務局となり、四国電力前行動の日が近づくにつれ、いろんな人たちが出入りする様になっていった。
地元で元々市民運動をしていた人たちをはじめ、大学生なども出入りして、全国からの返信は郵便屋さんが大きな黒いゴミ袋に入れて配達する毎日。母は呼びかけの為に全国を飛び回る日々でしょっちゅう家を空け、近くの祖母が夕飯を作りにきてくれていた。
中学1年の冬だった。

長くなってきたので続きはまた今度。

原発事故について。

2011-04-01 03:28:55 | 原発反対!
3月11日に発生した東北関東地震により被災されました方にこころよりお見舞い申し上げます。亡くなられた多くの方の、ご冥福をお祈り申し上げます。

1986年のチェルノブィリ原発事故以来、恐れ続けていた事が現実に起こってしまいました。
震災による影響で東京電力福島第一原発事故が発生し、放射能汚染がひろがっています。

万が一の放射能被曝を避けるために、被曝を最小限に抑えるためには、不必要な外出は控えた方がいいと思います。やむを得ず外出する時は肌の露出を抑えて、マスク、帽子、合羽などを着用してください。小さな子供には、おつまみ昆布やとろろ昆布など、毎日食べさせてあげてください。成長期の子ども達はヨウ素を多く必要としている為に、放射性ヨウ素を取り込み蓄積してしまいます。海藻類に含まれている栄養素のヨウ素が体内に足りている状態を保つことで、放射性ヨウ素の取り込み・蓄積を多少防ぐ事ができるといわれています。
しかし、残念ながらヨウ素以外の放射性物質を防ぐ薬品等はありません。

チェルノブィリ原発事故では、政府が事故を隠ぺいした為に、放射能が拡散していると知らなかった風下住民達は、事故の後降った小雨の中子ども達を戸外で遊ばせた事を7年後に心底後悔することになりました。

成長期の子ども達は、大人の5倍呼吸します。子供の育ちには、新鮮な水・空気・食物が必要不可欠です。そして太陽を浴び、泥にまみれて遊ぶことが情緒を育てる面でも非常に重要です。
しかし、そんな当たり前の育つ環境を保障してあげられない現状です。
せめて、放射能の害から少しでも守ってあげてください。