標記のことで、1970さんと討論があった。そのここまで最後の僕の回答コメントを、ここに転載したい。僕としてはここで、サッカーと言う集団球技の本質、神髄を語っているつもりだ。なお、実際のコメントにかなりの補足修正を加えた。
『 勝敗の分かれ道こそ・・・ (文科系)2017-10-22 17:32:31
あなたが語ったのはどれも、このゲームで最も大切なことを外している。最も大事なのは勝敗。それも、一種のアップセットとして勝ったことがこのゲーム最大の意義である。
ちなみに、韓国や、ブラジル人世界的名選手を入れてからの中国に勝てなくなって、ほぼ10年ぶりに日本勢が勝ったことの意味をこそあなたも考えてみるべきだ。この痛快極まる出来事が何故今起こったかを外して物を述べるのは、この際脇道の話に過ぎない。
勝利とは、①彼我の相関関係で決まるもの。弱みを見せれば飲まれるし、強ければ相手を飲める。②潰しが弱ければ繋がれるし、繋ぎが弱ければ潰される。
③ただ、この潰しも繋ぎもまず個人力量とも言えるが、それ以上に組織としてのそれが肝腎。現在ブラジルが独に負けるのはそういうことだろう。組織的潰しと組織的繋ぎを、相手に合わせて色々に変形させるという大切なことこそ、監督の腕。
浦和はそのデュエル、当たりの強さと技術によって相手を飲んでいた。特に、外人4人以外は。その外人も、槙野や遠藤が吹っ飛ばしたりして、対等に闘ったのである。だからこそ、カウンターも鋭く、バーを叩くなどの際どいシュートも多かった。相手のシュートは外からの物が多かった。結果相手は、ただ繋いでいる時間が多いという、ハリル以前の日本代表のように見えなかったか。
得点はセットプレーによる物だが、拮抗したゲームではセットプレー得点も立派な得点。これは言い方を変えれば、これ以外は0対0、つまり相手を0点に抑える潰しがあったということである。
現に、敵監督もブラジル人選手も浦和の潰しをこそ最も褒めていた。「浦和とは4戦闘ったが、その守備には驚かされてばかりだった」。これは、ビラス・ボアスの言葉である。0対0の原因がそこにあったという何よりの証明になるだろう。欧州名監督の一人でもあったビラス・ボアスなのである。ちなみに、組織がヨーロッパよりも弱い南米チャンピオンも、現に去年鹿島の潰しに敗れていることだし・・・。
結論は、浦和の潰しに、上海の繋ぎが勝てなかったということになるのである。0点というのはそういう意味以外の何ものでもないはずだ。
以上のような観点全体に比べれば、結局こんな語り方になるしかないような「サッカー論」は、『究極の潰しを身に付けよ』と言っているに等しく、意味のある現実的なことを何も語っていないに等しい無意味な論議だというべきだろう。
【究極の繋ぎを身に付けよ】
【究極の組織的繋ぎを身に付けよ】
繋ぎを語り、潰しを語り、それぞれの両チーム組織における相関関係の推移を観ていき、語る。それこそがまっとうなゲーム観戦記というものである。 』
『 勝敗の分かれ道こそ・・・ (文科系)2017-10-22 17:32:31
あなたが語ったのはどれも、このゲームで最も大切なことを外している。最も大事なのは勝敗。それも、一種のアップセットとして勝ったことがこのゲーム最大の意義である。
ちなみに、韓国や、ブラジル人世界的名選手を入れてからの中国に勝てなくなって、ほぼ10年ぶりに日本勢が勝ったことの意味をこそあなたも考えてみるべきだ。この痛快極まる出来事が何故今起こったかを外して物を述べるのは、この際脇道の話に過ぎない。
勝利とは、①彼我の相関関係で決まるもの。弱みを見せれば飲まれるし、強ければ相手を飲める。②潰しが弱ければ繋がれるし、繋ぎが弱ければ潰される。
③ただ、この潰しも繋ぎもまず個人力量とも言えるが、それ以上に組織としてのそれが肝腎。現在ブラジルが独に負けるのはそういうことだろう。組織的潰しと組織的繋ぎを、相手に合わせて色々に変形させるという大切なことこそ、監督の腕。
浦和はそのデュエル、当たりの強さと技術によって相手を飲んでいた。特に、外人4人以外は。その外人も、槙野や遠藤が吹っ飛ばしたりして、対等に闘ったのである。だからこそ、カウンターも鋭く、バーを叩くなどの際どいシュートも多かった。相手のシュートは外からの物が多かった。結果相手は、ただ繋いでいる時間が多いという、ハリル以前の日本代表のように見えなかったか。
得点はセットプレーによる物だが、拮抗したゲームではセットプレー得点も立派な得点。これは言い方を変えれば、これ以外は0対0、つまり相手を0点に抑える潰しがあったということである。
現に、敵監督もブラジル人選手も浦和の潰しをこそ最も褒めていた。「浦和とは4戦闘ったが、その守備には驚かされてばかりだった」。これは、ビラス・ボアスの言葉である。0対0の原因がそこにあったという何よりの証明になるだろう。欧州名監督の一人でもあったビラス・ボアスなのである。ちなみに、組織がヨーロッパよりも弱い南米チャンピオンも、現に去年鹿島の潰しに敗れていることだし・・・。
結論は、浦和の潰しに、上海の繋ぎが勝てなかったということになるのである。0点というのはそういう意味以外の何ものでもないはずだ。
以上のような観点全体に比べれば、結局こんな語り方になるしかないような「サッカー論」は、『究極の潰しを身に付けよ』と言っているに等しく、意味のある現実的なことを何も語っていないに等しい無意味な論議だというべきだろう。
【究極の繋ぎを身に付けよ】
【究極の組織的繋ぎを身に付けよ】
繋ぎを語り、潰しを語り、それぞれの両チーム組織における相関関係の推移を観ていき、語る。それこそがまっとうなゲーム観戦記というものである。 』
①繋ぎだけでなく潰しも重視して、彼我の相関関係を語ること。例として
『我らの繋ぎと敵の潰しとでは、敵の潰しが少々優っていた』
『我らの潰しと敵の繋ぎとは、ほぼ互角』
『よって、敵が、少少優勢であった』
②この①を、各1対1の局面ではなく、組織として見て、語ることである。
③ そして得点は、この本質に絡む所で敵の1点とか、この本質に絡まないディテールの所で1得点という味方の不運とか述べて、終わる。前者なら重大な反省がいるが、後者なら苦笑いして済ませる。自信を持っていて良いと締めくくって。
日本には、このように意識したサッカー批評(方法)論が、乏しすぎる。スポーツマスコミがそんな思いつきばったりの批評をしているだけでは、いつまで経っても国民の批評眼が出来ない。その顕れがこれである。
『所詮は、個人能力』
『絶対的個人、出でよ』
先ず、以下の命題は正しいだろう。
『所詮は、個人能力』
『絶対的個人、出でよ』
ただし、この正しさは、これが実現すればという、まー漫画とかお伽噺の世界。非現実的な論議という他はないのである。クリロナやメッシ、イブラらは、幾多の偶然も加わってできた産物と言うべきで、育成しようと思って出来るわけではない。
日本人はこう言うのが大変お好きだったようで、「森本がー」とか「宮市がー」、今なら「久保健英がー」とかの、英雄待望論ばかりをやってきた。これについては、現実のJリーグ選手を見ず、励ましもしないと言うに等しい、現実のサッカー人気を盛り上げたくない誰かの陰謀なのではないかと思ってしまうほどだった。
思っても見よ。日本サッカー史上最大の英雄・中田英寿でさえ誰かが生み出したものではない。幾多の偶然が加わって20年に一人出るかという、基本的には「自らそうなった選手」なのである。