「100年前、ある国はなぜ、新興近代国家として興隆の道を歩み、
別のある国はなぜ、列強によって頭痛の種と見なされ、
植民地支配の奈落に落ちたのか、率直に省察すべき時が来た。
わたしたちの民族感情は日帝の非道徳性を受け入れられないが
それと同時に、当時の韓国の歴史に対する加減なき反省が必要だ」
1990年代に外相を務めた孔魯明(コン・ロミョン)世宗財団理事長(78)は、
植民地支配を招いた100年前の韓国の歴史に対する省察を促した。
東北アジア歴史財団が今月4日、独島研究所オープン2周年に合わせ、
ソウルの大韓商工会議所で開催した国際学術会議
「近代東アジア国際秩序と韓半島(朝鮮半島)の100年:省察と展望」の
基調講演でのことだ。
孔理事長は、事前に配布した「朝鮮の没落と政治指導力」と題する発表文で、
国権喪失の原因として、支配層の分裂と国際情勢に対する無知を挙げた。
こうした記事が新聞に載るようになった韓国。
ようやく新しい日韓関係がつくれるような気がします。
こうした韓国の人々に話が出来るのは、
いわゆる愛国者でしょうか? 答えはNO
では、かっての左翼でしょうか? 答えはNO
では、誰?
別のある国はなぜ、列強によって頭痛の種と見なされ、
植民地支配の奈落に落ちたのか、率直に省察すべき時が来た。
わたしたちの民族感情は日帝の非道徳性を受け入れられないが
それと同時に、当時の韓国の歴史に対する加減なき反省が必要だ」
1990年代に外相を務めた孔魯明(コン・ロミョン)世宗財団理事長(78)は、
植民地支配を招いた100年前の韓国の歴史に対する省察を促した。
東北アジア歴史財団が今月4日、独島研究所オープン2周年に合わせ、
ソウルの大韓商工会議所で開催した国際学術会議
「近代東アジア国際秩序と韓半島(朝鮮半島)の100年:省察と展望」の
基調講演でのことだ。
孔理事長は、事前に配布した「朝鮮の没落と政治指導力」と題する発表文で、
国権喪失の原因として、支配層の分裂と国際情勢に対する無知を挙げた。
こうした記事が新聞に載るようになった韓国。
ようやく新しい日韓関係がつくれるような気がします。
こうした韓国の人々に話が出来るのは、
いわゆる愛国者でしょうか? 答えはNO
では、かっての左翼でしょうか? 答えはNO
では、誰?
ダム・箱物行政は終えたし、代わりに人、子どもへの投資を始めた。次官会議は止めて、記者クラブを開放した大臣も多い。各省などの審議会委員なんかもかなり替ったはずだし、仕分けも進んでいる。仕分け対象になるようなことがもうできなくなったという警鐘も限りなく大きい。国相手のいろんな訴訟などを前進させたし、NHKは少々当たり前に戻った。また、現在の日本で最大問題の一つ、最低賃金も08年に久しぶりの値上げがあったのに続けて、今年も上がった。
政権交代の意味ってこのように、目に見えないところで過去の習慣の見直しがいっぱいあるはずだ。そういうのが、将来に向かっては、意外に大きいことだと思う。単なることばではなく、習慣の具体的変化だから。
こういう全てを当たり前のことのように語ったり、普天間で帳消しになったように語るとしたら、大きな誤りだろう。
景気・経済は日本だけではどうしようもないのだし、日米関係も「安保は止めると通告(できる、せよ)」と主張するのは、圧倒的少数派だろう。100年に一度クラスの世界的矛盾噴出の中では、篠原さんが言うように、とにかくぼつぼつ行くしかないはずだ。菅が変質完了というぐらいにフラフラするのも、暫く見守っていたい。サボタージュが歴然としている官僚とやりあう立場になって始めて分かることも多いはずだから。
篠原一さんは1925年生まれの元東大教授。「市民の政治学」なる岩波新書の著書がある政治学者ですが、45歳の時に罹患したガンを丸山ワクチンで延命して以降、丸山ワクチンの擁護と普及といったことで有名になってしまいました。
引用した篠原一さんの言葉は、8月10日付『朝日新聞』の「オピニオン」面からの引用です。
それはそれ、小生もどかしく言い切れなかったことを文化系さんが繙いてくれました。
=国内の「根本問題」は、今や一国内だけでは解決できないという困難さを抱えてしまっている=
ご意見に、賛成。
今の国内の根本問題は、国内解決は不可能、世界的にしか解決できない。それを国内で解決できるように語るのは、良くて幻想、さもなくば何らか利己的な心があるデマだと思う。
レーニンの帝国主義段階でさえ、重大問題は国際的にしか解決できなかったから、やがてコミンテルンが作られた。ましてや金融・投資会社・マネーゲーム会社を規制できない現在においておや!
この談話に強硬に反対する人は、与党民主党内にもたくさんいて、それを押し切っての表明とあれば、少しは評価していいかと思うのですが、このことはまた、諸課題はますますどの党に所属しているかということと関係なく討議され、混乱進行していかざるを得なくなる。そうした事態の一現象であるように思われます。
菅首相は、ヒロシマ、ナガサキ市長の「核抑止力体制からの離脱」訴えを、困苦の表情もなくにべなく拒否し、何たることかと失望させられましたが、しかし篠原一さんの表現を借りれば、まだ体制移行の途上、今少しゆったりと見なくては、と思い直さぬでもなく…。
たとえば最近では、チームを編成しての「硫黄島の遺骨収集」などは、小さな事項であっても、政権交代の一つの象徴としてみることが必要ではでないか、といったことです。
さすれば、菅首相には「理念とリアリズムがともに大切だと反芻しつつ、じわじわと改革を進めることを期待したい」(篠原一)