本日、ワールドカップ・第3次アジア予選、タイ戦がある。その見所を書いてみたい。
①タイの監督は「攻める」と語っているが、これは眉唾。初めからそうしてくれれば、日本の防御(何度も言うように現代サッカーで防御というのは、敵ボールを出来るだけ前で奪うことです)が極めて容易になり、点も取りやすいからだ。
「ボールを前で奪って即敵陣までみなで運び、皆がゴールに詰めあって、連動して点を奪う」。オシムの最後のころも、岡田の着手も、この練習が中心だった。そして、この点が非常に上達してきた。オシム最後のスイス、エジプト戦や、岡田のボスニア戦にそれがよく表現されていた。
チリ戦がうまくいかなかったのは、過渡期の混乱でオシム流ボール運びがちょっと崩れたからだ。敵が下手に見えたボスニア戦は、日本のボール奪取が優れていたから敵が引いたのである。引いて守るだけで、それでもボスニアは疲れ切ってしまい、後半半ば過ぎに3得点された。
②今の日本は強い。世界20位のスイス相手に敵地で戦い2点先取されても、4対3で勝つほどのチームなのだ。この時いた中村俊輔と松井大輔が今回はいない。が、俊輔の代役は日本には多い。問題は松井の役割を誰がするかであろう。FW以外で、ゴールに突っ込んでいき「多数で連動して組織的に点を奪う」という、突っ込む人間がどうしても必要なのである。山瀬に加えて、遠藤、中村憲剛も時に突っ込むはずだ。サイドDFの内田、駒野もクロスをあげるだけではないと思う。タイは小さいが屈強であり、個人技も良い。でも、小さい選手は、日本人には怖くはないから、突っ込みやすい。突っ込みが多くなれば点が近いということである。
③ゲーム展開はこう読む。最初5~10分様子を見て、それから日本が攻め始めるだろう。それでも、今回はテストマッチではないので、前半は無理はしないと思う。攻めながら、敵を走らせて疲れさせる。そのためにはとにかく、ボール支配率を高め、敵を振り回すことだ。これが最も安全な勝利への策であって、アジアカップ頃までオシムが最も精魂傾けてきたところである。
よってゲームは、ボスニア戦とよく似た展開になるのではないか。ただし、敵が個人プレーで攻めてくる局面もあるとは思う。が、それは日本の堅い組織的防御にボールを奪われて、縮こまってしまい、後半などはカウンターサッカーしかしないと思う。
以上の予想を立てるが、アトランタオリンピックで日本がブラジルを破ったゲームのように、サッカーは番狂わせの多い競技だから覆ることはある。③のような展開がその通りだとしても、ラッキー得点はありうる。
①タイの監督は「攻める」と語っているが、これは眉唾。初めからそうしてくれれば、日本の防御(何度も言うように現代サッカーで防御というのは、敵ボールを出来るだけ前で奪うことです)が極めて容易になり、点も取りやすいからだ。
「ボールを前で奪って即敵陣までみなで運び、皆がゴールに詰めあって、連動して点を奪う」。オシムの最後のころも、岡田の着手も、この練習が中心だった。そして、この点が非常に上達してきた。オシム最後のスイス、エジプト戦や、岡田のボスニア戦にそれがよく表現されていた。
チリ戦がうまくいかなかったのは、過渡期の混乱でオシム流ボール運びがちょっと崩れたからだ。敵が下手に見えたボスニア戦は、日本のボール奪取が優れていたから敵が引いたのである。引いて守るだけで、それでもボスニアは疲れ切ってしまい、後半半ば過ぎに3得点された。
②今の日本は強い。世界20位のスイス相手に敵地で戦い2点先取されても、4対3で勝つほどのチームなのだ。この時いた中村俊輔と松井大輔が今回はいない。が、俊輔の代役は日本には多い。問題は松井の役割を誰がするかであろう。FW以外で、ゴールに突っ込んでいき「多数で連動して組織的に点を奪う」という、突っ込む人間がどうしても必要なのである。山瀬に加えて、遠藤、中村憲剛も時に突っ込むはずだ。サイドDFの内田、駒野もクロスをあげるだけではないと思う。タイは小さいが屈強であり、個人技も良い。でも、小さい選手は、日本人には怖くはないから、突っ込みやすい。突っ込みが多くなれば点が近いということである。
③ゲーム展開はこう読む。最初5~10分様子を見て、それから日本が攻め始めるだろう。それでも、今回はテストマッチではないので、前半は無理はしないと思う。攻めながら、敵を走らせて疲れさせる。そのためにはとにかく、ボール支配率を高め、敵を振り回すことだ。これが最も安全な勝利への策であって、アジアカップ頃までオシムが最も精魂傾けてきたところである。
よってゲームは、ボスニア戦とよく似た展開になるのではないか。ただし、敵が個人プレーで攻めてくる局面もあるとは思う。が、それは日本の堅い組織的防御にボールを奪われて、縮こまってしまい、後半などはカウンターサッカーしかしないと思う。
以上の予想を立てるが、アトランタオリンピックで日本がブラジルを破ったゲームのように、サッカーは番狂わせの多い競技だから覆ることはある。③のような展開がその通りだとしても、ラッキー得点はありうる。
今後も精一杯こんなスタイルで書き続けていきたいと思っています。
気に入った物がありましたら、是非コメントをください。励みにします。
ただ、文化は自分のことを書くことになります。文化の抽象的な「演説」じゃつまりませんものね。ただ、自分のことを書くのは結構、苦痛も伴うんですよ。自意識を変に刺激します。こんな事書いて?、と、不安な自制感も働かざるをえませんしね。
明治などの私小説家も、ただ脳天気に自己をひけらかしていたわけじゃないということがつくづく分かりました。
僕の同人の主宰も私小説家なんですけど、彼もしきりにこんなふうに言っているようです。「どんどん自慢をしよう。みんなが自慢し合わなかったら良い物をどうやって伝え合うんだ」
その点、今の若者は違いますね。皆が自意識はもの凄く肥大していても、「目立たない感じで目立とうとする」。「受けた」を感じさせなくて「受けよう」とする。凄い技術です。
日本の古い習俗の「公では公で」、「公で私を出すのは悪いこと」という感じが、日本の文化を貧困にしてきたんじゃないかと、こんなことを考えこんできました。年寄りがこう(公)だけだから、その良い物が子に伝わらなくて、お笑いバラエティーに若者が奪われていく。そんな感じすらするのです。
僕はギター、小説、ランニングそしてこのブログ、これらを大いに周囲にも喋っていますよ。またあえて出しゃばるようにしています。飲み会にギターを持って行ったりね。そしてもちろん、周囲のがんばっている人を褒めまくっています。
価値観破壊、その「相対主義」、「なんでもあり主義」は資本主義の最大害悪の一つでしょう。
このブログは、9条・憲法関連だと理解していますが、何も9条や憲法に限ることはないと思います。
文化の匂いも、スポーツの汗も、食料問題、環境問題もあってよいと私は思います。
Unknownさん、どう思われます。
なお、8日の『へそ曲がり』さんへのコメントで文科系さんの名前を「文化系」と書いたことをこの場を
借りてお詫びします。
どれだけ言われても、永久に書きます。
ブログって本来日記だし、僕は主催者の一人だと思ってるし、どんな掲示板にも閑話休題があっても良いはず。閑話休題のない世界はろくなもんじゃない。
以下が、ここにもよく書いてきた僕にとって最も大事な言い分である。
政治を語る男たちが仕事人間でやってきて、かなり一般的に「必要なこと」、生活だけに心が傾きがちで、「望ましいこと」、文化が貧困という傾向が強いと思ってきた。よって、文化的なことを何でも書きあいたい。文化的なセンスがないから日本の政治も貧困になるという面があると、日ごろそうも考えてきた。これは自分にも言い聞かせていることである。
あなたもこういうのを書いてくださいよ。楽しみにしてます。
何でこの人は私物化が止められないかね?
①まず、ボスニア戦のようになったこと。日本のボール奪取力と攻撃が強かったから相手が縮こまって、ボールを前へ運べないくらいだった。ボール支配率は65対35ほどではなかったか。
②前半に思ったより点が取れなかったのは不満が残るが、無理をせず疲れさせて、後半勝負ということだったのだろう。
③攻撃であるが以下の予想通りだった。
「FW以外で、ゴールに突っ込んでいき「多数で連動して組織的に点を奪う」という、突っ込む人間がどうしても必要なのである。山瀬に加えて、遠藤、中村憲剛も時に突っ込むはずだ。サイドDFの内田、駒野もクロスをあげるだけではないと思う」
この通りだったが、中でも山瀬の突っ込みから、流れの中での唯一の得点が生まれた。
アジア相手には、しばらくこういうやり方でよいと思う。4-1-3-2で「攻撃は最大の防御」といく。昨日のように前の5人と、時に両サイドバックも入れて、7人で攻める。かわりに守備も「最前線からの全員守備」だ。全てオシムの遺産?を出し切るよう錬成するということである。
うまくいけば、海外組は入る余地がなくなるほどになるのではないか。