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小説 「死に因んで」(その1)   文科系

2018年08月21日 06時34分45秒 | 文芸作品
 400字詰め原稿用紙30枚ほどの作品です。3回連載でと思っています。ご笑覧下さい



 例によってかなり早めに会場に着いてしまった。この都心まで三キロほどをわが家から歩いて来た。この大都会の繁華街に、賑わいと電飾などが日々増してきたような晩秋の日暮れのことだ。大きなビルの地下にある宴会場に通じた外階段まで来ると、階段途中の手すりを寄り添うようにゆっくりと下っていく二つの影が見える。見るからにひょろーっとして脚がおぼつかない吉田と、彼の脇で歩を進めているのは、ずんぐりがっちりの堀に違いない。俺はしばらく、二人を上から見つめていた。
 数年前にお連れ合いさんを亡くした吉田は、骨折などもあって歩行困難になっている。早く来合わせた堀と、吉田のリハビリも兼ねてこんな場面になったということだろう。七十歳の今日まで独身という堀が、吉田の左腕を肩で支えながら、彼らしいからっとした笑い顔でなにか応えている。吉田も上機嫌でお得意のながーいおしゃべりを繰り出しているらしい。その音声が、すっかり冷たくなった風の間から聞こえて来る。なかなか良い光景………そう微笑みつつ、二人の段まで下りていく。
「お二人とも、早く来たんだなー」
 ふり返った吉田がいつものように舌が縺れるように語り出す。
「いやぁーね、僕が堀君にちょっとー早く来てもらったんだよー。話し合いたいことがあってさー」
 あーっ、あのことかと心当たりが浮かんだ。堀がこの会で何か気分が悪いことがあったらしいとは聞いていたが、それを吉田が取りなしているのだ。吉田もこんな不自由な身体で毎回よく出て来て、よく気を回すもんだ。思わず浮かんだ苦が笑いを意識しながら、言った。
「堀よー、吉田もお前もいー奴だなー。吉田もちっとは歩けるようになったんだなー」
 人の美点や努力を口に出すのが好きなのである。もちろん批判も平気でするのだが、自分の汚点をも隠さず、自分にも他人にもわざわざ念を押すような人間だとも思っている。所属同人誌で、連れ合いをひどく殴ったという随筆さえ書いたことがある。もっともそんな自己嫌悪とか偽悪に近いものの方は素直に読んでくれない時代らしく、この作品をこう取った人がいたのには驚いた。「妻を殴ったという事を自慢げに吹聴している」と。まー普通に、亭主関白自慢とでも取ったのだろう。多分俺は、亭主関白とは正反対の人間だ。

「吉田も、前とはだいぶ違う。腰から背中までがちょっと伸びたな。聞くとなんか良い整体師に付いたらしいぞ」
 堀って昔たしか、柔道の黒帯だったはず。その堀の野太いような声に導かれるような感じで、吉田の姿勢に目をやった。確かに腰の方は伸びている。あとは首の下辺りかなーと思いつつ俺は聞いてみた。
「吉田ー、腰が伸びたら、あとはどうするんだ?」
 吉田ではなく、これも堀が引き取って応えた。
「頭と首の下と尻のそれぞれ背中側を壁にでも付けて、一直線にできるようになればよい。ここまでがんばったんだから、最後までがんばるよなー」
 立ち止まったそんなやりとりいくらかの後に、こう告げながら、俺は先を急ぐ。
「いつものようにみんなの注文しとくから、先に行くな」
 俺はこの会の言い出しっぺの一人であって、みんなの肴の注文係なのである。地下一階のいつもの店へ、その大きな店の畳一畳ほどの入り口以外は個室のように周りから隔離された特別室様の空間へと、入る。

 この会は、俺ら中高一貫男女半々校同期生八人の飲み会である。〇九年の秋から年五回ほどの割合で持ってきたことになり、もう二年が過ぎた。笠原という中学時代からの俺の仲良しと二人で呼びかけて始まったものだ。一学年に二クラスしかなく、上下の学年も含めて皆が友達みたいな学校だったが、この八人が集まることになった理由はほんの偶然のせいとしか言いようがない。あまり付き合ったことが無い人もいたからである。吉田とか伊藤とかが、俺とはそういう間柄だった。なのに、もう十回目をこえて、俺が確認電話を忘れても全員が参加して来る。誰もぼけていないことは確かだし、それぞれ何かを楽しみにして来ることも確かなのだ。昔のこと今のことなどごちゃごちゃに語り合い、カラオケなどの二次会に流れていく。
〈吉田って、こんなにお喋りだったかな。それにしても、当時の男女関係によくこれだけ通じているもんだ! 昔の彼はよく知らないが、そんな情報集めに励んでたんだろうな。面白い話が多いけど、こんなに長く話す人、見たことない〉
〈伊藤って、カラオケ、歌がこんなに上手かったか? 確か、芸術部門の授業選択は音楽じゃなかった気がするけど。水原弘の「黒い花びら」かー。よく似合って、こんな良いバスも日本人にはちょっと少ないはずだ。音程や声量もちゃんとしとるし。カラオケ教室に入れ込んだ時期があるのか、それとも最近の笠原のシャンソン教室じゃないけど、歌謡教室かなんかに通ったことでもあるのかな〉
 この伊藤がまた歌というイメージからはちょっと遠いのだ。今でも自営業の現役社長さんで、そのごつい体にぴったりの強面は、〈トラブルなどが起こったら、側に立っていただくだけでも助かる〉という見かけである。この人がまたけっこう繊細な所があると最近気づいて、興味がそそられた。昔は全く気づかなかったのだが、ひとりひとりの水割りを作る役を自然に引き受けていて、それぞれその都度濃淡の好みなどを聞き、かいがいしくやっている。その姿がまた、楽しげそのものと見えるのである。俺が無神経な応答でもしようものなら、ちょっとあとにさり気ない探りらしきものが入ってくるし。これなら小島と親友関係が今日まで長く続いてきた理由も分かる。小島とはかなり付き合いもあったけれど、小島が伊藤と在学中からずーっと付き合ってきたとは全く知らなかったのである。小島は昔も今も変わっていない。若い女性たちとテニスに明け暮れているらしいが、若いと言っても中年女性たちだから「青い山脈」舞台の三十年後というところ。彼はさしずめ、あの舞台の先生の三十年あと………よりもかなり上だな。

 肴の注文係の任務をいつものように俺が終えたころには、唯一の女性、山中さんも本川もと八人がそろって、宴が始まる。これもいつものように、こんな調子だ。昔の話は男女のことがほとんど。それも一学年百人ちょっとで、その上下学年までごちゃごちゃにしての昔話だ。よって、それぞれの話の種をそれぞれ誰かがカラスのようにひっくり返していくから、つついてもつついても次から次へと限りがない。〈今現在のそんな話はないのかい!〉、たびたび雑ぜっ返したくなる自分を抑えるのに一苦労だった。そういう今の話の方は先ず、病気のこと。今現在の生活活動などは二の次というか、なかなか見えない気がしたものだ。これが俺にはずーっとイヤだったのだが、ここから始まるひと騒動への、大きな背景の一つになっていったのだろう。

 この日そのあと、盛り上がりのさなかに会場を一人飛び出して来た俺の心中は、どう表現したらよいのだろう。その時と今とでは感じがずい分違うし、あれから二年経った今でさえことの全貌がきちんとつかめているかどうか定かではない気がしている。一方で〈単にその時々の感情に左右されただけだよ〉という声が聞こえる。他方ではこう。〈やはりあの事件は、俺のこれまでのレゾンデートル、つまり存在理由だ。譲れるはずがない〉。と、これは今になって言えることであって、その時の俺の意識が後者一辺倒だったのは言うまでもないこと。言わば確信犯なのだが、その確信に感情の器すべてが占領された状態と言えて、他の感情は一切排除されていたようである。大変困ったものだが、大仰なことでもない。「あの時はその気だった」など誰でもあることだから、今も明日も十年後もその気かどうか、それが自分のためにも肝心なことだろう。こういった問題を抱えることは誰にでもあることだ。
 ともあれその夜、こんなことが起こった。

(続く)

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