九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

1 日で親族48 名を喪ったある一家の物語     ネット虫

2009年01月26日 20時37分21秒 | Weblog
★藤野⇒岡⇒寺尾⇒ネット虫と転送されたメールです。怒りなしには読めませんでした。日本のマスコミには遠い事なのでしょうか? (ネット虫)
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1月19日付け英国のガーディアン紙に、「粉塵と死の只中で;戦争の恐怖を証言する一家族の物語」と題して、この一族を襲った悲劇が、より詳細かつ具体的に掲載されています。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jan/20/gaza-israel-samouni-family

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☆以下記事

ヒルミー・サムーニーは昨日、妻と5ヶ月になる息子とかつてともに過ごし
> た寝室の床にひざまづき、厚く降り積もった灰とガラスの破片のあいだを指
> でかき分けながら、ともに生きていた家族の形見を探していた。「指輪を見
> つけた。ほかにもまだ見つかるかもしれない」
>
> 妻のマハーと息子のムハンマドが殺されたのは、ガザに対する22日間におよ
> ぶイスラエルの戦争が2週目に入ったときだった。数十人の親族とともに家
> の近くに避難していたところにイスラエル軍による砲撃を受けたのだ。ガザ
> 市南部のゼイトゥーン地区で1月5日、月曜の朝、一家族の48名もの人間が
> 亡くなった。
>
> この戦争でガザの市民を襲ったもろもろの恐怖のなかで、おそらくサムー
> ニー家の運命はもっとも深刻なものであったかもしれない。サムーニー家は
> 農家で、親族たちがひとつ地域の隣近所に集まって、ブロックを積み上げた
> 簡素な家々に暮らしていた。
>
> この狭い地域で、10もの家々が破壊され、それらは昨日、砂のなかの瓦礫
> の山に変わり果てていた。ヒルミー・サムーニーの2階建ての家は、まだか
> ろうじて倒壊を免れている数少ない建物のひとつだ。とはいえ、巨大な戦車
> の砲弾が寝室の壁を貫いて、黒焦げになった壁には大きな穴が口を空けてい
> た。侵攻のあいだ、家はイスラエル兵に占拠された。兵士たちは家具を破壊
> し、そこらじゅうに射撃姿勢をとるための土嚢を積み上げた。
>
> 兵士たちは、独特な堆積物を置き土産に残していった;弾丸の包装、ヘブラ
> イ語が書かれた缶詰のピーナッツ、「高品質ボディ・ウォーマー」の入った
> ビニール袋、そして何十ものオリーブ色のゴミ袋。空の袋もあるが、満杯で
> 悪臭を放っているものもある。部隊の携帯便所だったのだ。
>
> だが、もっとも衝撃的なのが、1階の壁に彼らが書きなぐっていった落書き
> である。ヘブライ語もあるが、多くは稚拙な英語だ。「アラブ人は死ね」
> 「皆殺しだ」「和平ではなく戦争だ」・・・・・・そして、墓碑銘を思わせ
> る走り書きもあった「アラブ人1948-2009年」。
>
> ダビデの星もいくつかあった。その一つの傍らには「ガザ、俺たちはここに
> いるぞ」と書かれていた。
>
> ヒルミーの弟、サラーフ(30歳)も同じ建物の別の部屋に住んでいた。彼も
> また、ひっぱり出せるかぎりのものをひっぱり出していた。そのなかには、
> 彼の父がかつて発効してもらったイスラエルの労働許可証もあった。「彼ら
> は父に許可証を与え、それからイスラエルからやって来て、そして父を殺し
> た」とサラーフは言った。この攻撃で、彼は両親のタラールとラフマ、そし
> て2歳になる娘アッザを失った。
>
> この戦争のあいだ、イスラエルはジャーナリストがガザに入るのを禁じてい
> た。だが、昨日、瓦礫となった自宅の外でサラーフと彼の隣人たちが述べた
> ことは、攻撃のあと何日かのあいだに目撃者たちが述べたことを確証してい
> る。彼らの陳述によって、国連はゼイトゥーンにおける殺害をこの戦争の
> もっとも深刻な出来事の一つと表現し、赤十字もこれを「衝撃的な出来事」
> と呼んで、同団体としては珍しく、公的に非難したのだった。
>
> 10以上もの遺体が日曜、瓦礫の中から引き上げられ、さらに昨日、もう一体
> が引き上げられて、サムーニー家の死者の数は、ガザ緊急医療サービスの所
> 長、ムアーウィア・ハサネイン医師によれば、全部で48名になった。日
> 々、さらなる遺体が回収されており、3週間にわたるイスラエルの戦争によ
> る死者の数は今や1360名に達している。イスラエル側の死者は13名だ。
>
> 戦争中、イスラエルによる空からの攻撃が始まって1週間がたち、2回目の日
> 曜が訪れると、ガザの地上侵攻に先立って、大砲による激しい砲撃の波が
> 襲った。その晩、サラーフ・サムーニーは家族16名とともに、1階に避難し
> た。翌朝、1月4日日曜の朝までに、近所に住む親族たちがさらに避難して
> 来て、その数は50名近くになっていた。
>
> サラーフは言う、「彼らは2階に砲弾を発射し、2階が燃え始めました。私
> たちは救急車と消防車を呼びましたが、だれひとり、私たちのもとにたどり
> 着くことができませんでした」間もなくイスラエル兵の一団が近づいてき
> た。「彼らはやってくると扉を叩き、全員、家から出て行けと言いました」
> 彼らは舗装していない道を数メートル歩いて、ワーエル・サムーニーの大き
> な1階建ての家に入った。
>
> そこに彼らはその日、とどまった。一団は男、女、子どもあわせて100名
> あまり。食糧もなければ、水もほとんどなかった。彼らの家々の周りの野外
> ではパレスチナ人の戦闘員が作戦を展開していたのかもしれないが、目撃者
> たち全員がゆるぎなく主張しているところによれば、ワーエル・サムーニー
> の家に集まった者たちは全員、民間人であり、みな同じ一族の者たちだった。
>
> 月曜の朝、サラーフをはじめ男たち4人が煮炊きするための薪を持ってくる
> ため外に出た。「彼らは私たちに対して砲弾を直撃してきたのです」サラー
> フは言う。4人のうち2人が即死、あとの2人も怪我を負った。サラーフは
> 額と背中と両脚を砲弾の破片でやられた。彼によればその何秒後かにさらに
> 2発の砲弾が家を見舞い、そこにいた何十人もが殺された。
>
> サラーフと70人あまりもの人々の一団は家から逃げ出し、兵士たちに向
> かって、女子どもがいるのだと叫んだ。彼らは幹線道路に走り出て、1キロ
> ほど走り続け、ようやく救急車が彼らにたどり着いた。だが、ほかの者たち
> は取り残された。
>
> ワーエル・サムーニーの父、ファーリス(59歳)は、一団が避難していた
> 家の隣に住んでいた。トタンで葺いただけの1階建ての家だったため、彼の
> 家族も隣の家に避難していた。だが、彼は自宅にとどまった。撃たれるので
> はないかという恐怖で家を離れることができなかったのだ。しかし、火曜日
> に、生き残った者たちが彼に水を持って来てくれと叫んだ。彼は急いで短い
> 距離を走り、彼らに合流した。
>
> 「遺体が床に並んでいた。怪我人もいた。みな、互いに助け合っていた」と
> ファーリスは言う。ファーリスは死者のなかに妻のリズカ(50)、義理の
> 娘アナーン、そして孫のホダー(16)の姿を認める。
>
> 翌水曜の午後ようやく、生き延びた者たちは救出される。赤十字が到着し彼
> らを病院に搬送したのだ。イスラエル軍は、ゼイトゥーンで何が起きたか調
> 査中だという。部隊が住民に、一軒の家に集まれと命令したことはないと軍
> は繰り返し否定し、民間人を意図的に攻撃目標にしたこともないと言う。
>
> 一族のほかの者たちも別の形で、しかし、同じようにぞっとする運命に見舞
> われた。ファラジュ・サムーニー(22)はヒルミーとサラーフの家の隣に
> 家族とともに住んでいた。この家族も土曜の晩、激しい砲撃から避難するた
> め、18名ほどの一団で一つ部屋に身を寄せて、その夜を過ごした。日曜の
> 朝、イスラエル兵がやって来た。「家の持ち主は出てこいと彼らは叫びまし
> た。父が扉を開けて出て行くと、彼らはその場で父を撃ったのです」ファラ
> ジュは言った。
>
> 彼の父アティヤ(45歳)の体は、前のめりに地面に倒れた。兵士たちは部
> 屋のなかにむけてさらに発砲し、4歳になるファラジュの腹違いの弟アフマ
> ドとその母が殺された。アフマドが座っていた小さな部屋の壁には、昨日も
> 血の跡があった。
>
> 部隊は彼らに床に横たわるよう命令した。しかし、隣の部屋が燃え始め、苦
> い煙が立ち込めてきたので、彼らは、外に出してくれるよう叫び始めた。
> 「私たちは叫び続けました、赤ん坊も子どもたちも」ファラジュは言う。よ
> うやく兵士たちが彼らを外に出し、彼らは通りを走って、ワーエル・サムー
> ニーの家に集まっている人々の傍らを通り過ぎ、幹線道路に達し、事なきを
> 得た。
>
> ファラジュが戻ってきたときには、自宅は完全に破壊され、捻じ曲がった鉄
> 筋とコンクリートの山になっていた。屋外の小さなグリルの上に、日曜の朝
> 食に彼らが調理していた8つのナスが黒こげになって残っていた。彼が父の
> 遺体を埋葬することが出来たのはようやく日曜になってからだった。そのと
> き、最後の、あってはならないことが起こった。ガザの墓地は今や満杯で、
> イスラエルによる長期にわたる封鎖でコンクリートも欠乏しているため、彼
> は一族の古い墓をあばいて、ほかの遺体とともに父の遺体をそのなかに収め
> たのだった。
>
> 「どうして平和など望める? 彼らは民間人、子どもさえ殺しているという
> のに」ファラジュは言った。「今は停戦を支持する。わたしたちには何の力
> もない。停戦がなければ死者さえ葬れない」
>
> ガザの人間たちのなかには、自分たちがこの紛争に引きずり込まれたのは、
> この小さな領土を統治するイスラーム主義運動のせいだといって、私的にハ
> マースに対する怒りをうちあける者もいる。だが、それよりはるかに多い、
> 大多数の者たちがイスラエルに対する苦い怒りと、破壊と殺人を止めること
> ができなかったアラブ世界およびその他国際社会の無気力に対する憤懣につ
> いて語っている。
>
> 「みなに咎がある」イブラーヒーム・サムーニー(45)は言う。彼は、妻
> と息子4人をゼイトゥーンの殺戮で失った。「みなに私たちのことを見ても
> らわねば、そして、ここで何が起きたのかも。私たちは抵抗戦士ではない。
> ごく普通の人間だのに・・・」
>
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「青・白」時代到来   落石

2009年01月26日 14時37分36秒 | Weblog
大相撲はおもしろかった。
白鳳に負けた朝青龍、決定戦で
みごとに白鳳に勝った。

観客も朝青龍の応援が結構多い。
これで竜虎がそろい、しばらくは
大相撲人気が続きそう。

興味深かったのは、決定戦の前の両者の態度。
しきりに体を動かす朝青龍。
じっと目をつむって気を集中させる白鳳。

日本人好みの横綱は白鳳。
先制攻撃ではなく、専守防衛。
横綱相撲は専守防衛、相手の先制攻撃を受け止める。
そして反撃に転ずる。

専守防衛は横綱なんだ。

でも結果は先手必勝。

悩ましいね。

青に白、青天白日。
日の丸の赤が早くこの一角に食い込んでほしいな。





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就任後もイスラエルの犯罪を追及しないオバマ新大統領

2009年01月26日 09時09分12秒 | Weblog
★私たちの共通のメル友「どすのメッキーから送られてきた手紙を紹介します。
                         (ネット虫)

どすのメッキーです

 今日、やっと映画「チェ★28歳の革命」を観てきました。続編の「39
歳別れの手紙」とともにすぐに予約券を購入していたのですが、所用でなか
なかいけませんでした。以前、「モーター・サイクル・ダイアリーズ」のガ
エル・ガルシア・ベルナルも似てると思いましたが、今回のベニチオ・デ
ル・トロはまるで生き写しですね。緻密な取材によって、ゲバラの人間性、
農民への愛情、不正義に対峙する勇気、いかなるときも揺らがない原則性が
見事に浮き彫りにされていました。一生のうち、一度でも他人のために命を
投げ出せる人間さえほとんどいませんが、ゲバラは自らの意思でそれを二度
も行ったのです。わたしは、どんなに優れた人物でもカリスマ化するのは嫌
いなのですが、人間の生き方を百万語使ってだらだら話すより、子ども達や
若者にはゲバラの生き方を映画や本で知ってほしいといつも思っています。

 世界は、オバマ新大統領の「チェンジ」の方向性も確かめないまま、それ
ぞれが自分に都合のいい夢を期待して酔っている様に見えます。そんな中、
ゲバラが求め、達成した本当の「変革」を知ってほしい、そう願っています。


 200万人もの前で行われた20日のオバマ新大統領就任式の演説は、世
界中に配信されました。しかし、彼は、就任後直ちに中東和平問題に取り組
むと明言していながら、現在世界の関心が集まっているガザ危機に関する具
体的な方針はまったく語られず、中東諸国からは、「オバマは最近テレビを
見ていないのか」と失望の声もあがりました。

 就任式から一夜明けた21日、彼は最初の仕事のひとつとして、エジプト
のムバラク大統領、イスラエルのオルメルト首相、ヨルダンのアブドラ国
王、およびパレスチナ自治政府のアッバス議長に電話をかけ、「停戦」を支
持することを表明したうえで、「ハマスの再軍備を防ぐ効果的な密輸防止体
制の構築と、ガザのパレスチナ人のための復興事業を進めるためパレスチナ
当局と協力関係を促進する努力への決意」を表明しました。

 驚くべきことに、彼は、ハマスの武装解除を要求しながら、イスラエルの
戦争犯罪や、人権侵害行為の再発防止には言及していないのです。(「停
戦」後のハマスの勝利宣言も、あまりに無責任だと感じましたが…)

 わたしは、アメリカで市民がブッシュ政権の誤りを明らかにし、政策の転
換を国民大多数の意思につくりあげた努力、そして、史上初の黒人大統領誕
生の歴史的意義をいささかも軽視するものではありません。しかし、彼が黒
人であることによって、彼の大統領としての評価にあまりにもバイアスがか
かりすぎていると思わざるを得ません。

 イラクからの撤退、グアンタナモ収用所の閉鎖に着手したことは評価でき
ますが、彼は就任演説の中で、アメリカのこれまでの干渉政策、覇権主義を
反省しているわけでもないし、弱者救済の一義的責任が政府にあることを認
めたわけではありません。ブッシュはやり過ぎだった、と言っているに過ぎ
ないのです。

 アメリカ中が熱狂に包まれている中、シンディ・シーハンが、「マルチ
ン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の日」(アメリカの国民祝日、今年は
1月19日)を前に、Dandelion Salad(「たんぽぽサラダ」の意)という
メディアに寄稿して気を吐いています。キング牧師への尊敬を述べた後、オ
バマ氏について触れた箇所をご紹介します。

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 最後に、わたしは、キング牧師の遺志を思い泣きました。彼は1964年
「公民権」法が制定されてから「40年」以内に、アメリカは世界じゅうで
黒人が要職に就くのを見るだろう、と希望を込め語りましたが、わたしは、
オバマに、キング牧師の非暴力という遺産の継承も、構造的変革も期待する
ことができません。

 私は、白人以外の人が大統領に選出される時期が来たと思っていました
し、黒人社会が彼の勝利に沸く気持ちも分かります。それでも、オバマは、
キング牧師の遺産を実行するのではなく、むしろそれを裏切って反対のこと
をしようとしているのは間違いありません。

 彼は、閣僚に軍国主義者や白人指導者層ばかり起用して、黒人はほとんど
起用しませんでした。ウォール街を救うため彼が1兆ドルもの支援を決めた
ことからも、彼が自分自身と、銀行の道具にされた貧しい人々を裏切ったこ
とが分かります。

オバマがいかに戦争に献身的かは、「わたしは戦争自体否定しない。愚かな
戦争に反対するだけだ」という、彼が披露した発言だけでなく、彼の行動で
も同じく明らかです。イラクから「戦闘部隊」を引き上げると約束している
一方で、彼はアフガニスタンには劇的な軍の増派や、約10万人規模の軍備
増強を明言しています。オバマは、ガザに閉じ込められた人々に対するイス
ラエルの「自衛」権にも理解を示しています。

 わたしは、マルチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の日に国中でパ
レードを行う国が、必要な兵隊を確保するため、貧しい地域に軍が戦車とリ
クルーターを送り込んでいるという報告を、国中から聞きました。10万人
もの部隊をいったいどこから調達すると思いますか?戦争で大もうけする銀
行家や民主党員は、彼らの子どもや孫にオバマの戦争で喜んで戦うよう説得
しはじめるのでしょうか?

 さらに、シンディは20日別の場所で、「オバマが忌々しく偽ものの『対
テロ戦争』を本気で終わらせる積りなら、イラクとアフガン両方から軍を引
き上げ、パトリオット法を廃案にし、ブッシュ元大統領とチェイニー元副大
統領を逮捕して起訴するべきです。もしオバマが戦争屋ではなかったら、私
は頭を丸めてオバマ支持者に謝罪すると約束します」とまで宣言。この心意
気はただものではありません。

感謝と尊敬をこめて。

23/Jan./2009
どすのメッキー拝。
コメント (10)
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