何年か前の申年
十二支について書かれた本を読んで
申年の魔除けカラーは赤なんだと知った
さるぼぼとか赤いのは何故かご存知でしょうか
申は金気に属しており
金 生 水 と言いまして
金が 水を 生じる
ので
水の害が起きる危険を避ける意味で
水の害が起きる危険を避ける意味で
赤=火を お守りにすると良い
という
発想だったようで
はー、
と思ったことがあります。
昔はこのように
風習における意味づけなどについて
もっと我々日本人には認識があったのではないか。
そして
それらはおそらく、戦後
「科学的ではない」「迷信だ」
という風に処理されて我々の目の前から
情報が消えて、認識する機会がなくなってしまった。
「迷信」「根拠なし」「昔の人は科学を知らなかったから、こんなコトを信じたのね」的な
さまざまなシンボル(鳥居、お札、御守り、神聖な場所、お祭り、節句など儀式的なもの)を、忘れ去り、「科学的な」「新しい」「裏付けのある(と言われている)」現代の情報の波に飲み込まれ、新しい情報に埋もれさせられ
日本という国はどこを目指しているのでしょうか
一方で
このコロ騒ぎやワク珍騒ぎによって多くの人々が
存在を初めて知った「ill海奈貞」(この当て字わかります?)やら「ネ●利●」(これはわからないかも)などの「阿久間的」(これも当て字です)なヒトビトが何をしてきたかというと
さまざまな彼らのシンボリズムの『これでもか』「うりゃ、うりゃ、これでもか、これでもか」というカンジの「誇示」
最初は何故、こんなに皆様 暗示的なことを好んでするのかニャー
と
いうくらいにしか思って中田です(ここを当て字にする意味は🍐)
が
脳を攻撃し
人間の精神を破壊するコトをどうもやっぱり目的として
さまざまなコウゲキをなさっていらっしゃった(敬語?)というか
さまざまなコウゲキを受け止めさせてイタダイタ(謙譲語?)
あのカタガタ
こそ
が
非科学的ともいえる『儀式』や『シンボリズム』など
念を込める行動、呪術類(類と言っていいのやら)を
彼らこそが
それらを
どれだけ重視して
モニュメントやら、映像作品やらさまざまな場所に散りばめて
ヒトビトの潜在意識にすりこんでこたことか
ということは
これら
『迷信』と言われるモノの価値を
過小評価させ
精神性や、信仰心を失わせ
人としての情緒を削ぎ落とす事が
かれらにとって
どれだけ「必要に駆られて」
行うべき 行動計画だったか。
つまり逆から言えば
これらの
念を込めた
呪術や儀式
(古代のヒトビトの知恵に裏付けられた)
を
行う
我ら
人民の思考 精神 思念の動きを
いかに制御しなければ
ならなかったか。
つまり
彼らが
じつは
なにが
最も
恐ろしいものだと
認識しているか。
が
次第に
炙り出されてくる
コロで集会をなくして
ネット社会にして情報の検閲をし
情報を隠し
ビョウキ情報でおそれさせ
脅し
奪い去った自由とひきかえに
精神を司る 脳を 破壊する惑沈を
どれだけ 用意周到に
お金をかけて
努力して
がんばって。。。
さて
祈るとするか✨