海側生活

「今さら」ではなく「今から」

何かを一つ我慢して

2011年03月24日 | 感じるまま

A

沈丁花がどこからともなく香っていた事も、たどたどしく鶯が鳴いている事も、蕗の薹や土筆が出ている事も、桜の蕾が随分膨らんだ事も知っている。それらを何となく自分の鼻が、耳が、眼が捉え、春が来ていたのを分かってはいる。
いつもなら自分の心は、今年も春を迎えられた素直な喜びに躍っているはずなのに、気持ちが晴れない。
震災以来これまで日常行ってきた事が普通に出来ない。何となく気力が失せたままだ。一歩足が前に出ない、そんな日々が続く。

震災報道に接する度に、あまりもの現実に言葉もない。それでもテレビの報道で自分が目にしているのは、被害のほんの一部なのだろう。

原発の影響は注意をしたい。
震災地に近いところで栽培された野菜類や原乳が出荷停止・採取制限措置を採られているが、これらは農作物だけの、しかも一過性の問題ではない。土壌や水や大気、さらに海にも影響を及ぼし、今後10年単位で解決されていくべき終わりの無い無限の問題でもある。被災地の方々の生活は、今後、劇的に変わらざるを得ないのだろう。

自分は今でも三ヶ月に一度、X線CT(コンピュ-タ断層撮影)をしている。一回のCTで6.9ミリシーベルトを被爆している計算だ。被災者の方々の不安は分かりすぎるほど理解できる。

諸外国からも「日本、頑張れ!」と声が届いている。これは「日本、しっかりしろ!」の意味でもある。

この震災は極めて厳しい試練だが、これを乗り越えようとする個々の力によって、日本の未来が有るのだと思う。自分の父母達の世代が先の敗戦のどん底の中から復興させたように。
またあらゆるものを新たな尺度に切り替えながら、復興させるまたとないチャンスでもある。

自分も何時までも挫けてはいられない。
先ずこれまでと同じ生活を始めよう。ただ、文明との向き合い方を何かを一つは我慢して。

そして春に少しだけ触れてみたい。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
         喪いて得ること多し若緑 (宮本靖夫)
2011-04-07 11:14:11
         喪いて得ること多し若緑
全く同感です。ひところ文明病という言葉が流行りましたが、それも誰も彼もが罹ってしまうと、最早病気ではなくなって、通常となり、そうでない人の方が変わり者扱いされるものです。
あることが当たり前の状態のなかで、あえてない状態に生きることは、ない状態からある状態になるよりも難しいのかもしれません。日本人は喪うことに臆病になってしまい、回りばかりを気にして生きています。
ここらで、一歩踏みとどまって、持たないことの不便さを享受する贅沢を味わいたいものです。
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