第60回の発信です。 茅ヶ崎は、金木犀の香りが全開、そして晴天。
1か月ぶりに、湘南工科大図書館に行って来ました。季節は進み、大学の構内も秋風(少々強い)を感じ、快適です。早速、週刊東洋経済の8月後半分をチェック。8人掛けの長テーブルにひとり私。活字に、のめり込み、何というのでしょうか、頭の隅々に何かが浸み込む快感です。図書館前(上記写真)に鐘を発見し、パチリ。次回勉強Cafeのコンテを確認する等、充実した時間となりました。茅ヶ崎赤羽根の田んぼも、稲刈りが進んでいます。風が吹くたびに、稲の色身の変化+影が後からついてゆく感じが素敵です。
次回11/1勉強Cafeの追加連絡です。
湯川秀樹・梅棹忠夫「人間にとって科学とは何か」中公新書より、二人の対談中の二つの疑問をゼミの問いとして、挙げたいと思います。
①P45湯川: ところが、数にならんものがある。たとえば言葉です。言葉そのものは、数にならなんと思うのです。
②P46梅棹: 「史記」を読んで、ものすごく感動する。そして納得がゆくんです。そこに書いてあることは、みんな一度限りのものです。しかし、ぱっとわかるところがある。これはどういうことでしょうか。
対談の中から抜粋していますので、意味がとりにくいかと思いますが、お許しください。もう少し詳しいところは、私ナラまで、問い合わせください。 TEL 090-3572-0202
著者 いせひでこ 「七つめの絵の具」平凡社 です。www.amazon.co.jp
この本も出会いです。図書館にて、茨木のり子史の本を本棚に戻す際、横にありました。著者は自らを絵描きと称し、自分の記憶の原初体験を色に絡ませて綴っています。項目ごとの氏の誌も素敵ですが、P142のここがいいです。「絵は説明やいいわけをするために描いてきたのではなかった。解説するくらいなら描かないほうがよい。表現通りに受けとってもらえないことに不満をもつようだったらそんな創作やめたほうがよい。思いもかけない解釈や感想に出会って、世界の広さに気づかされる。人の心にふみこむことができないように、創作の真意なんて強要するものでもひきずり出すものでもない。その人の今の瞬間で切り取り、時間や偶然がその瞬間を永遠にしてくれるにすぎないのだ」
次回の勉強Cafeも心が絡んできます。氏の感じ方と自分に共通する部分を確認し、自分自身、忘れていた感覚がよみがえりました。
今日はここまで...では失敬!ナラ