黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

「ぬるま湯」と化した大学をどうすべきか?

2012-11-05 23:27:06 | 時事
 田中真紀子文部科学大臣が,3大学の新設を不認可とした件については,下記の引用記事など各所で問題視されています。

田中文科相の決定「学生の希望や夢壊す」と憤り(読売新聞) - goo ニュース

1 田中文部科学大臣の決定は違法か?
 マスコミの記事では十分に伝えられていませんが,法的観点からいえば,今回の田中文部科学大臣の決定は「違法です」と断言するしかないと思います。
 大学の設置認可は,学校教育法4条1項1号の規定に基づき文部科学大臣が行うものとされています。そして,文部科学大臣が大学設置の認可を行う際には,学校教育法95条・同施行令43条の規定により,大学設置・学校法人審議会に諮問しなければならないものとされていますが,一般的に「諮問」とは意見を聴くための手続きであり,諮問をした側が法律上その意見に拘束されるわけではないと解されています。
 一般的に,マスコミが伝えているのはこのあたりまでであり,それなら審議会の意見を覆した田中文部大臣の決定は,不当ではあっても違法とまでは言えないのではないか,と考えてしまう人がいるかも知れません。しかし,法的には単に「大臣が審議会の意見どおりにしなかった」で済まされる問題では全く無いのです。

 大学の設置認可処分は,行政手続法にいうところの「申請に対する処分」に該当するところ,同法5条1項では,処分を行う行政庁に対し,審査基準を定めることを義務づけています。これは,行政機関が許認可などの行政処分を行うにあたり,一定の審査基準に基づき公正かつ透明な取り扱いが行われることを担保するものであり,客観的な審査基準が定められているにもかかわらず,行政庁がこれによらないで処分をしたということであれば,その処分は裁量権の逸脱ないし濫用にあたるものとして,行政訴訟で取消しの対象になるということを当然の前提としています。
 そして,大学の設置認可についても,文部科学省では大学設置基準を定めています。従来は基本的に大学の新設を認めない方針でしたが,規制緩和の流れを受けて平成3年頃に設置基準が大幅に緩和され,現在では一定の設置基準を満たせば設置を認可するという内容のものになっています。
 このような「審査基準」が作成され公表されている場合,認可権者である文部科学大臣といえども,その自由な裁量により設置認可の可否を決められるわけではなく,従来から公表している審査基準に基づいて判断しなければならない法的義務を負います。その審査基準に照らし正当性を説明できないような判断は,裁量権の逸脱ないし濫用にあたり,仮に訴訟で争われれば司法判断による取消しの対象となります。このような考え方は,行政法学における判例・通説であると言って差し支えないでしょう。
 しかし,今回の田中文部科学大臣による判断は,どう見ても「審査基準」に基づく判断ではありません。大学の数が増えすぎて質に問題が生じているというのが主な理由のようですが,そのような考え方は,一定の基準を満たせば認可するという現行基準の考え方と相容れないものです。
 もちろん,文部科学大臣が政策的判断により審査基準を変更することはできますが,それは一定の手続きを経て変更後の審査基準を公表した上で,その後に行われた申請に対し適用できるものであり,既に行われた申請に対して,変更後の審査基準を遡及的に適用することは許されません。仮に遡及適用が認められるのであれば,申請者にとっての予測可能性が確保できない上に,審査基準の変更によって事実上恣意的な処分が可能になってしまい,審査基準を設けている意味がないからです。

 こうした行政法的見地から検討すると,田中文部科学大臣による今回の決定は,従来からの審査基準に照らせば問題なく認可すべき事案であるにもかかわらず,自らの政策的判断により敢えて不認可の決定をしたというものであり,従来の判例及び学説に照らせば,このような決定が裁量権の逸脱ないし濫用にあたり違法と判断されることはほぼ間違いなく,訴訟で争われればまず勝ち目はないでしょう。
 また,違法な不認可処分により申請した大学側に経済的損害が生じた場合には,国家賠償請求の対象となり,大学側の損害を国が賠償しなければならなくなる可能性もあります。

2 単に「違法」では済まされない根源的な問題
 このように,田中文部科学大臣による今回の判断は,法的には「違法」との評価を下すしかないものですが,個人的には,単に「違法である」の一言で済まされない,大学行政に関する根源的な問題が含まれているように思います。
 一定の人的・物的基準を満たしていれば大学設置を認可するという現在の審査基準は,前述のように規制緩和の流れを受けてのことであり,建前上は大学も市場の自由競争原理により質の向上を図るという考え方に立脚したものですが,現在のわが国における大学の現状は,「質の向上」が実現しているとはとても言えないからです。
 このブログでも,何年か前に『高学歴ワーキングプア(水口昭道著,光文社新書)』という本の書評めいた記事を書いたことがありますが,わが国における大学及び大学院の質は低下する一方であり,卒業してもまともな就職先がなくフリーターやニートになってしまう例が後を絶ちません。

 理由は明確です。まず,現在の大学設置基準では,市場への新規参入を促進するという目的から入り口の審査は緩くなっており,入り口の審査では質を確保できません。そして,大学設置が認可された後になると,大学は「大学の自治」という憲法上の理念によって守られ,文部科学省の規制権限は余程のことがない限り発動できませんから,事後規制によっても質は確保されません。
 もっとも,規制権限を発動するのは難しいことから,文部科学省は大学への補助金や助成金によって間接的に大学をコントロールしています。要するに,文部科学省の政策方針に沿った運営をしている大学には補助金が増額されるわけですが,これによって大学は,基本的に文部科学省の言いなりになっていれば国の補助金で食べていける「ぬるま湯」のような存在になり果てています。しかも,文部科学省による諸々の政策は,法科大学院の例を見れば分かるとおり,教育の質を高めるために有効なものとはとても言えませんから,結論としては事前規制にしろ事後規制にしろ,国の政策による質の向上は全く機能していないことになります。

 教育の質が悪い大学は市場原理により淘汰されるはずだという人もいるかも知れませんが,実際には市場原理も有効に機能していません。教育の質が悪い大学(レベルの低い大学)でも,とりあえず学生を入学させて授業料を取れれば存続して行けますから,昭和の頃であれば学力レベルが低くとても大学など行けなかったような人でも,とにかく積極的に勧誘して学生として入学させようとします。
 なお,大学では,出来の良い学生でも悪い学生でも支払われる授業料の額は同じであり,人気が上がっても一気に定員を増やすわけにはいかないので,大学の収入増に直結するわけではありません。市場原理によって質を向上させようというインセンティブは,大学ではそれほど強く働かないのです。
 そして入学する側でも,就職して社会に出るのは大変なのでとりあえず大学で遊び暮らしたいという若者と,出来の悪い子供でもとりあえず大学卒の肩書きは与えたいという親と,経営のためとにかく学生を集めたいという大学という三者間の利害が一致するため,低レベルの大学でも一定数の学生数は確保されてしまい,なかなか潰れるには至りません。法科大学院も,あれだけ人気が低下し制度自体の破綻が叫ばれて久しいのに,学生の新規募集停止に至ったところは未だごく少数にとどまっています。
 結論としては,大学では市場原理による質の維持・向上も全く機能していないということになり,少なくとも現状の政策を維持する限り,わが国における大学の平均的な質は今後も下がる一方であり,わが国の大学が与える学位が国際的にも信用されないものとなってしまうことは避けられません。

 田中文部科学大臣としては,このような「ぬるま湯」体質では,今後大学の質が低下していくばかりであり,大学の質を維持・向上させるためには,少なくとも新規参入を当分規制する必要があると考えたのでしょう。そのような面に限って言えば,田中文部科学大臣による今回の判断も,心情的に理解できないわけではありません。
 今回の不認可は「学生の希望や夢を壊す」という大学関係者の主張も,黒猫のように厳しい入学試験を経て大学に入った人間から見れば,11月の段階では入試も行われておらず入学できるかどうかは全く確定していないのに,山ほどある大学の中で選択肢の一つ(それも新設なので,特にネームバリューがあるというわけでもない)が消えるというだけで夢や希望を奪われる学生がどれだけいるというのか,全く不可解です。まあ,実際には入学試験など無いに等しいのでしょうが。

3 性急すぎる判断が政治的には命取り?
 政治家の判断が,心情的には理解できるものであったとしても,国の大臣として政策を担当するのであれば,少なくとも法に則って政治を行ってもらう必要がありますし,政策としての一貫性・継続性も担保される必要があります。
 しかし,田中文部大臣による今回の判断は,前述のとおり法に則ったものとはとても言えませんし,いつ解散させられておかしくない第3次野田内閣の一閣僚という立場では,自分の考え方を政策として定着させることも難しいでしょう。官僚としても,わずかの任期で退任してしまうことがほぼ確実な,行政法もろくに知らない大臣の言うことを聞くよりは,マスコミに徹底的に非難させて早く更迭に追い込んでしまった方が楽だと考えるでしょう。
 結局,大学の質を何とかしたいという田中大臣の思惑は実現せず,この件は単なる「大臣の暴走」で片付けられてしまう可能性が非常に高いわけですが,大学に関する文部科学省の政策が根本的に間違っていること,そのように間違った文教政策に少なからず国費が投入され税金の無駄遣いが行われていることもまた事実であり,このような根源的問題に誰かがメスを入れなければ,日本は国際社会の波の中へ沈んでいくだけでしょう。

 田中文部科学大臣による今回の騒動は,真っ当な政策理念を持ち,かつそれを実現できる法的・政治的なバランス感覚を持った政治家が,わが国ではあまりにも不足しているということを物語っています。真っ当な政策理念を持っていても,政治感覚に乏しく自らの理念を実行に移す力がないのであれば,政治の世界では空回りした挙げ句に自らの命取りになるだけです。逆に,バランス感覚はあっても理念が無いのであれば,ひたすら事なかれ主義に走るだけで,政策の改善などはとても見込めません。
 田中文部科学大臣には前者はあっても後者はなく,その他民主党政権の閣僚を務めた政治家の多くも,どちらか一方があればまだ良い方で,ひどい場合はそのどちらも欠けていたりします。この現状は自民党政権に戻ってもおそらく大差なく,また維新の会や石原新党などが政権を取っても,これらの小さな政党にレベルの高い人材が集まっているようにはとても見えませんから,おそらくはもっとひどくなるだけでしょう。
 質の良い政治家をどうやって育てるか。これからの日本は,特にこの問題を真剣に考えなければなりません。

5 コメント

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ほんとおっしゃるとおりです (佐藤)
2012-11-06 00:13:23
おっしゃるようなことは文部官僚も説明したハズですが、通じなかったのでしょうね。

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Unknown (ひとこと)
2012-11-07 00:30:57
小選挙区制では総投票数の半分近くを取らないと当選できませんからねえ。これは極端に現職有利・世襲有利であって優秀な新人はなかなか参入できません。むかしの中選挙区制だと、4人区では総得票数の15%も取れば十分に当選の可能性があったのですが。
 もちろん世襲が全員無能であると決め付けることはできませんが、競争がぬるくなれば平均的な人材の質が低下していくのは避けがたいでしょう。
 しかも、今の日本で世襲がはびこる「世襲病」に取り付かれているのは、政治の世界だけではありません。経営者だって世襲がごろごろしています。法科大学院制度が導入されたおかげで弁護士もずいぶん世襲しやすくなったようですね。大学の経営者にも世襲は結構います。黒猫さんが指摘しているように(4年制の)大学はそう簡単には経営破たんしませんから、一度大学を作ってしまえば子々孫々にわたって大学の経営を握り続けることが出来る。今のご時勢、これは大きな魅力でしょう。某国会議員なんて、31歳で大学学長になって、いまでも大学学長と国会議員を兼任している。大学の学長というのは、国会議員をやりながら片手まで出来る程度の仕事のようです。
 世襲が根絶されて、真の能力で人々が競争するようになれば、この国もずいぶん活性化するでしょうね。まあ、今の社会で権力を握っている連中の顔ぶれを見たら、「世襲禁止」なんてありえないと思うのですが。
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審査基準? (ロー卒)
2012-11-07 13:29:48
初めて失礼します。不認可の違法性については結論的には私見も同じですが、理由などについてちょっと問題を指摘させてください。

まず、申請後に審査基準が不利益に変更された場合についてですが、これに変更後の基準が適用できるのか従前の審査基準を適用すべきかは議論のあるところだと思います。学説上、申請予定者らの予測可能性を担保する点を重視する立場からは従前の基準を適用すべきと主張されていますが、審査基準の意義は恣意的な裁量権行使を予防し申請者間で裁量処分の公正さを保つ点に主に認められるのであって、予測可能性を与えることは副次的な目的と見ることもでき、このような立場からは不利益変更後の基準を適用できると主張されています。また、裁判例にも、後者の立場をとる高裁判例が見られるようです(名古屋高金沢支判昭和51・12・22)。

また、大学設置基準が単なる審査基準と位置づけられるものかは疑問があります。行手法制定前から学校教育法上の規定に基づいて制定されているもののようです。現行法の文言上も大学設置者に対する拘束力を前提とするような書き振りです。従って、法規の一種と見る余地もあり、そのほうが自然ではないかと思われます。そして、申請後の法令の改正については、法令の遡及適用すべきことが一般に認められているところです。

むしろ本件では、「間接的に質の確保に資するという観点からであっても需給調整的な考慮することが学校教育法上許されるのか」が、命令への委任の範囲の問題として、或いは裁量処分における判断要素の問題として検討されるべきだと思います。
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 (Unknown)
2012-11-07 13:53:00
黒猫先生は、旧試験組みだから
選択科目で行政法を選ばないと
あまりなじみがないじゃないか?
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Unknown (Unknown)
2012-11-07 21:38:39
そもそも従前の審査基準で審査されて、その審査基準には適合していたのにおかしな判断されちゃって認可しないって、遡及とか新基準とかそういう問題じゃないですよね。大臣怖い~。
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