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小紋潤さんのこと

2016年03月26日 22時47分18秒 | 小紋潤・心の花歌人

  「女の都」にいる歌人小紋潤
    (インターネットのある暮らし)


 近々、九州にある「女の都」という、楽しげな、というか、恐ろしげな、というか、そういうところへ飛んで行く次第となった。その経緯は次のとおりである。
 
 クンちゃん人には女房がひとりおって、つい先日、「JALのポイントが貯まり過ぎてて、どんどん無効になっている。どこへでもタダで行かれるから、好きなところへ行ってきなさいよ」と、のたもう。

 ところが、最近の私に、行きたいところは、ない。

 なぜか…というと、ここ数年のことなのだが、どこそこへ行って、なになにを見て、どんなもんを食って、あれこれを買って、とかいう、ふつうの人なら「旅の楽しみ」にあたることを考えるのが大っきらいな性質に変わってきてしまったからだ。(昨年の今頃は、ラオスの奥地へ10日ほど行ったが、これは主催者である畏友の研究者グループに入れてもらって、その指図に従ってただついてまわる方式だったので参加したのだ。)
     http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/8c14e1388b5a22d35bc156f732fc8a7a
 せっかくの古女房の勧めに対して即座に「No!」と答えたことに呆れ果てたのか、かの女は「会いたい人なんてのもいないんだねえ」と、心底気の毒そうにつぶやいている。

 そこで、しばらくぼーっと、またぽつねんと考えていたら、「そう言えば、小紋潤には3、40年会ってないなあ、どうしてるか。大酒呑みで、大タバコ吸い、のやつだったから、もう亡くなってるかもしれんなあ」という思いが、いずこからかふらふらっと立ちのぼってきた。

 小紋潤、というのは、古ーい友人である。学校が全学バリケード封鎖されている時代に知り合って、2、3年の間、とても親しく付き合った。私の実家にも泊まりに来たし、彼が三鷹のアパートを出た後に私が不動産屋抜きで入った。ところが、4年生になるころには彼は学校から姿を消してしまっていて、消息も絶えてしまった。だから、おそらく“横に出た口”なのだろう、と推察している。
 その後、再会したのは今から数えると35年も前になる。当時、旧浦和市役所内の記者クラブに詰めていた私に、突然、電話がかかってきて、池袋東口で会った。10年ぶりぐらいだった。私の姓が沖縄風なので彼は私を沖縄出身だと思い込んでいたのか、琉球舞踊などのアトラクションがあり、女性が横に座る高級そうな店に連れていってくれた。琉球泡盛で痛飲した。いまなにをやっているのか、というような話題は出たのか出なかったのか、まったく記憶にない。
 翌朝、目が覚めると荻窪と西荻窪の中間あたりの杉並区宮前の彼のねぐらだった。痛む頭と吐き気を抱えて起きだすと、自費出版らしい歌集が部屋中に積み上げられている。タイトルは忘れてしまったが、小紋潤歌集、とあった。その私家版歌集を何冊か持っていけ、と言うのをむげに断り(非道い!)、出勤するために外へ出たら、そこはプロテスタントの教会の横っちょにあるアパートで、教会の案内板を見るとそこのM牧師はなんと私の高校時代の同級生の父上だった。びっくりしたね、まったく、ホンマに。

 というようなわけで、いまになって長崎出身、カトリックの神学校を“横に出て上京”ということしかわからない小紋潤を探すことになった。
 ところが、ところがである。インターネット時代の光なのか影なのか、にわかに判別しがたいが、意外と簡単に彼の所在をつかむことができた、というか、つかむことが“できちゃった”のである。

 まず、Yahoo検索で「小紋潤」とやってみたら、案に相違して(こういう場合に使うのかどうか?!)たちまち関連記事が出てきた。
 
      http://blog.goo.ne.jp/yukitsuna/e/b15bc6bff18dca7ed96a6192567b3f7f


 歌集「サラダ記念日」で有名な俵万智さんの師でもある早稲田の佐佐木幸綱先生(いまは名誉教授。うちの弟は先生の講義を受けたはず)のブログ「ほろ酔い日記」だった。そこに、かなり古くなった小紋潤がいた。服装は50年前とまったく同じトーンである。まさか、同じものではないだろうけどね。杖をついているというのは、脳梗塞のようなものを患ったのかどうか。
 この幸綱先生ブログから、竹柏会「心の花」という先生の父上・佐佐木信綱時代から続く伝統雑誌のサイトに入っていったところ、小紋潤が「心の花」の歌人に列せられていることがわかった。短歌の門外漢で啖呵専門である私は、小紋潤がかの柳原白蓮(あの「アンと花子」にも出てきたよね)も名を連ねた短歌グループの同人として、ひとかどの歌人になっていることなど知りようもなかった。

 そこで、とりあえず心の花編集部にあまり期待せずにメールで問い合わせてみた。
 そうしたら、編集部の方が親切にも調べてくれたのであろう、何日かたって二度にわたり回答が来た。本日現在、小紋潤は長崎近郊の「女の都」(めのと)という地区にある療養施設におり、喉の手術の予後を養っていることがわかった。

 以下が私から編集部に送信したお礼のメールである。

*********

 心の花編集部御中

 重ねてのご連絡、感謝に堪えません。ありがとうございます。

 先にお知らせくださった電話番号は呼び出しはするものの、つながりませんでした。(廃止になっていないので、生きている、と思いました。)
 そこで、住所をグーグルアースで見てみましたら、浦上天主堂にほど近い、なにかタバコとか飲料などを商うお店が1階にある年季の入った「***マンション」というビルの画像が出てまいりました。
 その2階手すりに賃貸客向けの不動産屋の広告板がかかっていましたので、そこに電話して「1階の大家さん、小紋**さん」の電話番号を教えてもらいました。おそらく、身内の方でありましょう。(ここで追跡を中断)

「**さん」のところへいまから電話しようと思ってパソコンを立ち上げると、御編集部から再度のご連絡をいただいていることがわかりました。
 なんか、彼らしくはあるが、療養施設らしからぬ施設の名前にコンワクしつつ検索してみると、「女の都」は「めのと」で、地名でありました(笑)。
 彼の様子は、ご連絡にてわかりましたので、来週あたり出かけてみようと思っています。(中略)

 ところで、貴会の同人のお方のものか、「竹の子日記」 というブログ  http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-entry-24.html
の2011年6月27日の記事に、次のようなくだりがあり、いまさらながら時の流れを感じました。

    「短歌往来」7月号の 大口玲子さんの「逃げる」30首の中に次の歌を見つけてびっくり。

    ・小紋潤ちひさくなりて行儀よく煙草吸ひつつ肉焼きくるる

 焼肉屋での歌なのでしょうか、この歌を見まして、50年近く前の或る出来事を思い出しました。
 理工学部キャンパスから近い新宿区西大久保の小紋潤の下宿、屋根裏の安下宿でしたが、うまい長崎の味噌汁を食わせるから来い、というので何人かの貧乏仲間でご馳走になりに行きました。「うまいだろう!」と鯖の味噌汁が出てきたのですが、これがうまいどころか、生臭くてなんともまずいのです。一同、沈黙。やがて、それを口にした当の本人も「まずい!」とひとこと。長崎の生きのいい鯖と、東京のスーパーの鯖との違いと判明しました。なお、小紋潤は当時カネがないときは「しんせい」を吸っており、ほぼ年中それを吸っておりました。古いひきだしを引き出すようにそんなことを突然思い出しました。

 お名前も存じませんが、編集部の貴方様には大変お手数をおかけいたしました。
 本当にありがとうございました。
 貴会のますますのご発展を祈念いたしております。
 (いろいろと余談を書いてしまって恐縮しています。)

*********

 つう訳で、近々、長崎に行って参ります。
 では、また!


 

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