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あの佐川一政氏の実弟インタビュー記事。なんで、また! 

2019年11月20日 10時06分23秒 | 日本文学館のコンテスト商法

  栗田工業・佐川元社長の息子たちの話

  なんでインタビューに応じたのかねえ?

7月に公開された映画の宣伝効果射程だったのか

 前々記事を書いていて、「そう言えば」と思い出したのですが、あの佐川一政氏の映画がことし7月に公開される前、彼の実弟のインタビュー記事がネットに出ました。それをおらは別の告発的ブログで紹介したのですが、当ブログに掲載しようと思っていて、すっかり忘れていました。いささか旧聞に過ぎるかねえ、とも思いますが、お時間のおありになる向きには、ヒマ潰しにご一読賜れば幸いです。

 いまごろになってあえら、じゃなくてあえてUPするのは、このインタビューには訂正加筆されるべきところがあるように思うからです。なお、この掲載形式にはクレームがつく可能性が高いので、著作権者から削除要請が来れば引用形式に書き改めるか、削除に応じる考えですので、関心がおありの方は早めにお読みください。

 実は2000年代の初めごろ、おらが勤めていた会社に佐川一政氏の“持ち込み原稿”が郵送されてきました。転載記事下線部分①のように生活苦があったのでしょう。おらがその審査をしたのですが、結果的に本にはならんと判断して“没”にしました。また、そのころ、阿川佐和子さんの著書の中に、彼女の著作のサイン会に一政氏があらわれ、サインを求める列に並んだのを見て肝をつぶしたというような経緯が書かれており、思わずニヤついた記憶があります。

 で、前述の訂正というか、実情とだいぶ乖離している箇所とでもいうか、そういうくだりですが、それは下の転載記事に太字と下線で示したところです。以下は、栗田工業のふたりの創業者・栗田春生氏、野崎貞雄氏のうち、野崎氏の著作をおらが担当して2011年に世に送った前後に栗田工業OBらから聴き取った話に基づくものです。

 一政氏の人肉事件の際、父親の当時栗田工業社長・佐川明氏が息子のためにひんぱんにフランスへ出向き、なかなか帰国しなかったケースもあったようです。それは下線部の「秘書を呼んで」という記述からも一部実情が窺えますが、旅費、滞在費、その他経費はすべて会社持ちであって、社内では大顰蹙をかっていたとのことでした。あたりまえですよね。

 また、記事にあるように明社長は結果的には退任するのですが、「息子のやったことは息子の責任であって、私の責任ではない。なにゆえ、社長を辞めねばならないのか」と、ある意味では正しい論拠を強硬に述べて退任すべきとの声を封じ、社長の座で居直っていたといいます。私見では、まったくもっともな明氏の言い分と思われますが、それならてめえのゼニと時間で全部まかなえば文句はなかったんだけどねえ、と思います。

 別に死者を鞭打つつもりもないですし、身内の言ってることですから、とは思いますが、ちょっとばかし、注釈をつけてみたい性格なんでね、ひとつご容赦ください。それにしても、重病の床で「もう一度イチゴを喰いたい」とか「もういっぺん熱燗をぐっとやりたい」などと言うお方はいると思いますが、一政氏下の線②については、何をか言わんや、ということでしょうな。

 記事中の「映画」とはこれです。  http://caniba-movie.com/

 

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パリ人肉事件・佐川一政を介護する弟が実名告白

  「バカな奴だけど、絶縁できなかった」   

   2019/5/23(木) 12:00配信 アエラ                    

【佐川一政氏の弟・純さんの画像あり】(撮影/西岡千史)

オリジナル記事は⇒https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190523-00000011-sasahi-soci&p=1

  ①パリに留学中の32歳の日本人男性が、恋心を抱いていたオランダ人女性を射殺、肉体の一部を食べた──。1981年に起きた前代未聞の「パリ人肉事件」は、世界を震撼させた。加害者の名は、佐川一政。女性の遺体を遺棄していたところで逮捕された
【入院中の佐川一政氏の最新写真あり】

   猟奇的な事件が発覚した直後から、家族のもとには報道陣が殺到した。その対応をしたのが、当時、大手広告会社に勤めていた弟の佐川純さん(68)だ。父は会社を辞めざるを得なくなり、純さん自身も一時休職に追い込まれた。
 事件はこれだけで終わらなかった。佐川氏はフランスでの精神鑑定で、犯行時は「心神喪失状態だった」と診断され、不起訴処分となる。すでに日本で有名人となっていた彼は、帰国後に家族の反対を無視して執筆・講演活動を開始する。彼を好奇の目で見る世間とは裏腹に、家族は被害者への罪悪感とやるせなさを感じ続けた日々だった。
 事件から38年。佐川氏の両親はすでに他界し、残された家族は佐川氏と純さんだけになった。その二人の今の暮らしを追ったフランスと米国合作ドキュメンタリー映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』(監督/ルーシァン・キャステーヌ=テイラー、ヴェレナ・パラヴェル)が、7月12日から全国公開される。佐川氏と純さんは、この長い時間をどのように生きてきたのか。そして、純さんは今、兄のことをどう思っているのか。 

 * * *  何かさしたる特徴もない、平凡な一日だった。1981年6月11日、純さん(当時30歳)は父と母と一緒に夕食をとったあと、将棋を指していた。18時半を過ぎたころ、神戸に住んでいる祖母から電話がかかってきた。その話は耳を疑うものだった。
「いま、ニュース見てる? 佐川一政という人がパリで誰かを殺したみたいだけど……」
 テレビを付けると、祖母の話した内容が報道されていた。驚く両親。衝撃的なニュースに、母は「これはウソだ」と言い続けた。我が子が人を殺すなんて、信じられるはずはない。ただ、純さんだけは違ったことが頭をよぎった。

 ②「実は事件が起きる7年前、兄は都内でドイツ人女性の家に侵入して、襲おうとしたことがあったんです。この時は未遂に終わって、父がお金を払って示談が成立したので事件にはなりませんでした。この時の記憶があったので、『またやったな』と思いました」(純さん)
 ほどなくして、自宅にはマスコミからの電話が殺到する。父は当時、ある大企業の社長をつとめていた。そのこともまた、世間の関心を誘うことになった。
 一方、大手広告会社に勤務していた純さんは、企業などが不祥事を起こしたときの対応マニュアルを理解していた。個別に取材対応をすれば、記者から際限なく質問が飛んでくる。そこで、自宅のリビングに記者を集め、緊急の記者会見を開くことにした。
「たしか、二十数人の記者が集まって父が対応しました。その間、私は母に『大丈夫だよ』となぐさめてました。記者がいなくなった後、父は秘書を呼んでパリ行きの航空券を手配して現地に向かい、母と私は、福岡に住んでいた知り合いの家に逃げました。その後のことは、実はよく覚えていません。テレビも見ていませんでしたから」(同)
 1カ月ほど経過したころ、父がパリから帰国した。その姿を見て、純さんは驚いた。食べるのも飲むのも大好きで、恰幅の良い体格だった父がやせ細っていたからだ。世間を騒がせた責任をとって、父は社長を辞任。会社を去った。純さんも、2カ月ほど休職せざるをえなかった。心労も影響したのだろう、翌冬、父は脳梗塞で倒れた。
 不幸中の幸いだったのが、純さんは会社を辞めなくてすんだことだ。むしろ、同僚たちは純さんの社会復帰を支えてくれた。
「勤務先が広告会社でメディアに知り合いが多いから、なかには兄のことが記事に出ないよう、雑誌に言ってくれた人もいたそうです。広告担当が編集に意見を言うことは御法度で、実際に記事を止めることはできなかったと思いますが。復帰した時には歓迎会も開いてくれました」(同)

 パリ人肉事件をめぐっては、ザ・ローリング・ストーンズが佐川氏を題材にして曲を作り、劇作家の唐十郎が『佐川君からの手紙』と題した小説を書いて芥川賞を受賞するなど、世界に影響を与えていた。それにしてもなぜ、佐川氏は女性を“食べる”ことに喜びを感じるようになったのか。そのことを知るには、生い立ちを振り返る必要がある。
 佐川氏は1949年4月26日、神戸市で生まれた。出産時は未熟児で、小さい頃は病気がち。家族からは「いつ死んでもおかしくない」と思われていたという。純さんは兄の誕生から約1年後の1950年に生まれた。子どものころから兄より体が大きく、そこで両親は、二人を兄弟ではなく双子のように育てた。
 
兄弟の幼年時代を撮影した映像は、いまでも残されている。1950年代に家族用の撮影機材を持っていたことから、佐川家がいかに裕福な家庭であったかがわかる。男同士だからケンカもしたが、仲は良かった。
 ただ、体の弱かった兄は、家で本を読みふけることを好んだ。両親は、そんな兄の性格に合わせるよう、純さんにも外で遊ぶことよりも家の中にいることを求めた。
「兄の性格は家庭環境の影響はあったと思います。兄は否定しますが、体が小さくて頭が大きいという見た目で、私に対する劣等感もあっただろうと思います。今さら言ってもしょうがないことですが……。家は過保護なところもありました。家庭では性的なことについて厳しくて、兄が漫画で女の人の裸を書いたりすると、ものすごく怒られました」
 そのような環境で、佐川氏はいつしか「人を食べること」に興味を持つようになった。
 話を事件後に戻そう。前述のとおり、フランスで逮捕された佐川氏は、精神鑑定で不起訴処分となった。84年に日本に帰国して都内の精神科病院に入院したが、そこも約1年で退院した。
 佐川氏はすでに、日本国内で「人肉を食べた男」として有名になっていた。退院後には執筆活動を開始し、自らの猟奇的犯罪の経験を語り、講演やトークショーにも呼ばれた。そこで得た金で、外国人女性と海外旅行に出かけた。アダルトビデオに男優として出演したこともある。人肉を食べた男の素性に、多くの日本人が興味を持ったのだ。その間、家族は複雑な気持ちだった。
 

 「私としては『いい加減にしろ』という気持ちでした。被害者に申し訳ないですから。何度も執筆や講演活動をやめるように言ったことがあります。父親は、書店に行って並んでいる本の帯を、片っ端からはがしてきたこともあった。それでも、兄はやめようとしませんでした」
 佐川氏を好奇の目でみるのではなく、出版物などを通じて精神的な影響を受けた人もいる。神戸連続児童殺傷事件(1997年)の加害者である「少年A」だ。少年Aは2015年、事件の経緯を含んだ自らの手記『絶歌』(太田出版)を発表。本の中で、「殺人作家」として活動する佐川氏に、嫉妬や羨望を抱いていたことを告白している。
 ただ、「佐川一政ブーム」は長くは続かなかった。2000年代に入ってからは仕事がほとんど途絶え、一時は生活保護で暮らしていたという。佐川氏と口論しながらも暮らしを支えていた父と母は、2005年に相次いでこの世を去った。なお、インターネットでは、父の死の直後に母が自殺したことになっているが、「そのような事実はない」と純さんは証言している。
 両親が死去したことで、遺産となった実家を売却し、佐川氏の暮らしは改善した。兄弟で細々と年金生活を続けていたところ、2013年に佐川氏が脳梗塞で倒れた。からだが不自由になった佐川氏を、純さんが介護することになる。
「兄の住むアパートに私が通い、面倒をみていました。それが昨年6月、弁当をのどに詰まらせてしまったんです。誤嚥(ごえん)性肺炎になって、自分で食べ物が食べられなってしまって、胃ろうにせざるをえなくなりました」(純さん)
 胃ろうは、おなかに小さな穴を開け、チューブで胃に直接栄養を送り込む方法だ。それまでは歩くこともできたが、現在は神奈川県内の病院で寝たきりの生活が続いている。
 それでも純さんは、今でも2日に1回は佐川氏に会うため病院に通っている。
「今は会話も難しくなっていますが、病室に行くと私の手をずっと握ってくるんですよ」

 加害者の家族として、純さんはいろんな迷惑を受けてきたはずだ。そんな話も、今ではあっけらかんと話す。
「2000年代に入ってからでしょうか。私は趣味でオーケストラのチェロを演奏していたのですが、ある日、ハードケースに入れて部屋に置いていたら、なくなっていました。100万円ぐらいするものだったんですが、兄が売ってしまったんですね。警察も呼んだのですが『犯人はお兄さんではないですか』なんて言われてしまって」(純さん)
 兄の行動をめぐっては、父も純さんも批判することが多かった。それでも、家族は最後まで佐川氏を見捨てることができなかった。
「バカな奴だと思っていましたが、両親も、子どもに絶縁を迫るような性格ではなかったんでしょうね。ケンカもしていましたけど、年末年始なんかは家族4人で集まっていました」
 佐川氏と同じく、純さんも一度も結婚をしたことがない。そのため、両親が亡くなってからは、お互いが唯一の肉親となった。世界を震撼させた猟奇的殺人者を介護していることについて、純さんは「こういう風になってみないと、わからないでしょうね」と言う。というのも、佐川氏が脳梗塞で倒れた時、純さんの心にある変化があったからだ。
「胃ろうで、兄もいつ死ぬかわからなくなって、『かわいそうだな』と思ったんですよね。兄弟愛っていうんでしょうか。昔はとても仲の良かったですから、ようやくその頃に戻れた気がします。いろんなことがありましたけど、今では、わだかまりはまったくないです。むしろ、もっと一生懸命に介護しなきゃいけないなと」
 ちなみに、佐川氏は胃ろうとなった今でも女性を“食べたい”という願望を持っているそうだ。純さんは、そんな兄のことを「まったく理解できない」と笑う。
 最後に、寝たきりとなった兄の存在を今、どう思っているかをたずねてみたすると純さんは、「うーん……」と少し考えこんで、こう言った。
「いつまでも死んでほしくないですね。そう思います」
 双子のように育てられた二人の物語は、まもなく最終章を迎えようとしている。(AERA dot.編集部・西岡千史)

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