88beeHive's blog

ステンドグラス作り人の出店と散歩の記録

銀杏

2016-11-18 17:25:06 | 思い出
   

  銀杏は美味しいですね。子供の頃は「こんなもん・・・」て感じでしたが。
  以前にも書いたかもしれませんが私の通っていた小学校は当時明治の終わり
  と昭和初期に建てられたもので校内には大きなイチョウの木が何本も植えて
  ありました。この時期になると校庭以外に敷き詰められた玉砂利の上に黄色く
  なった葉が一面に落ち広がった鮮やかな色と踏むと乾いた音を立てる砂利の音
  を時々思い出したりします。そして4年生になると落ちた銀杏を拾い集め敷地脇に
  流れる水路にさらして実を落として種を取り参観日に販売していました。まさにそ
  の作業後の休み時間にトイレに行った男子生徒の幾人はかぶれて苦しんだという。
  私もその不運な生徒の一人でありました。銀杏を見るとこのことも一緒に思い出し
  ます。
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チュウチュウ

2016-08-13 18:22:05 | 思い出
   

  チュウチュウ。他の地域でどう呼ばれているのかはわかりませんが
  私はそう呼んでいます。鉛筆のように細く先の尖った形をした氷菓の
  ことです。小学生まで住んでいた所はお隣が駄菓子屋さんでした。
  店先にはガチャガチャと瓶ジュースの販売機、そしてアイスクリームが
  入った箱が置いてあり夏になるとふたを開けてガサガサとアイスを選
  んから支払いのために店の中に入って行きました。当時よく食べた記
  憶があるのはホームランバー?ミルクアイスで銀紙に包んでありました。
  もうひとつはメロン形の容器に入ったシャーベットです。しかし、一番
  食べたのは20か30円位だった濃いオレンジ色をしたチュウチュウでした。
  お店にはおばあちゃんが居てチュウチュウを持っていくと持ち手の黒い
  大きなハサミで先が細くなりかけた所を切って食べやすくしてくれました。
  切取った先のほうは今思い返すとカクテルグラスのようでおまけをもらった
  気になって嬉しかった気がします。切り口から濃い液が染み出しこぼさぬ
  よう両方をチュウチュウしたものです。今日今年初めてチュウチュウを
  買ってきました。自分で凍らせて食べるものです。今はお尻の丸まった
  部分に犬歯を立て穴を開けてガリガリと食べます。なんか昔より無作法で
  野蛮になったかもしれません。
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高揚

2015-01-03 18:42:09 | 思い出
   

  今夜も丸い月ですがその前の月を夜の散歩の時に見て思い出し新年を迎えても
  頭の隅に残っているので記します。

   

  20数年前の秋口の頃の話です。友人と中国山西省五台山を訪れました。確か
  数年前に世界遺産になったと思いますが当時は中国仏教の四大名山の一つと
  されていますが五台と呼ばれる五つの峰に囲まれ数十の寺院が点在する小さな
  谷あいの村でした。

   

  雲崗石窟のある大同から長距離バスで7時間揺られて到着した村は既に秋の気配
  が濃く観光シーズンが終わってしまったのか人影は全く無くお土産屋さんや食堂
  などはほとんど閉まっていてより肌寒く感じました。中心地から大分歩く村外れ
  に宿を見つけましたが食堂も売店も営業していないため薄暗くなりかけた谷あい
  の道を村の中心の方へ歩いていきました。

   

  窓から灯りの漏れる食堂を見つけたので入るとテーブルの上でろうそくの炎が
  ゆらゆらしていました。2人とも慣れているので何でもありませんでしたが
  北京はまだ夏の余韻の残る秋口だったので冬支度を始めたような雰囲気にしん
  みりと食事をしたのを憶えています。

   

  食事を終えて外に出るとすっかり日は落ち小さな町中を過ぎると人工の灯りは
  無くなります。片側は山の斜面、もう片側は少し離れて小川が流れています。
  舗装されていない砂利道がぼんやりと白く滲んで行く道を教えてくれます。

   

  会話も無く黙々と歩んでいると雲間から月が覗いたようで薄くぼやけた砂利道が
  光の河のようにはっきりと私たちの前に浮かび上がりました。その瞬間それまで
  に、いやその後も感じたことのない高揚と衝動が湧き上がってきて我を忘れ、大
  きな奇声を上げて光の中を走り出しました。2人とも。
  20数年前、月明かりの下でこんなことがありました。

   

  平遥にて。
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意地張りの代償

2012-06-28 20:38:34 | 思い出
  

 昔に比べると改善されたようには自分では思うのですがやはり
 人よりは大分意地っ張りだと思います。これは仲が良くなれば
 なるほどこの傾向が強くなります。けんかをすればまず私から
 謝ることはありません。それで失くしたり捨ててしまったものも
 多くあったように思います。故に数少ない我が友は大体私より
 年下であっても私よりは大人です。

  

 ずっと昔のことです。たまに旅を共にする友人と2人の共通の友人と
 3人で中国内蒙古自治区赤峰へ出かけました。
 草原で馬に乗って楽しみ翌日の夕方北京に帰る汽車に乗ろうと駅に
 行くと事故でいつ到着するかはわからないとのことでした。このまま
 駅の待合室で待つか宿に泊るか相談して昨日宿泊した宿に向かいま
 した。欲しいものをできるだけ安く手に入れる主義の友人はこの不意
 の宿泊に昨日と同じ料金を払うのが嫌なようでカウンターで粘っこい
 交渉を始めました。昨日よりちょっと安くなればいいなと思って聞いて
 いた私は彼の主義に基づく粘り強い交渉に腹を立て「オレは駅で待つ」
 と2人を残して宿を出ました。

  

 一時間ぐらいあとに友人が駅のベンチに座っている私の所に来て「宿を
 取りましたから戻りましょう」と声を掛けてくれます。(大体このパターン)
 私もすでに冷静になりそれが良いと思うのですが我が性格が邪魔をします。
 「いや、ここで待つからいい」「宿に泊った方がいいですって」「いらん」の後
 彼は帰っていきました。
 木製のベンチに座り、抱え込んだリュックに頭を乗せてうつらうつら。目覚め
 て見渡しても深夜の待合室に人気はまばら。幸いなことに季節は初夏で凍え
 る心配はありません。が、冷えた頭で思い返すと心が凍えていきます。翌日
 帰りの汽車の中で普通に話す私たちを見てずっと年下の友人は「ハラハラし
 てましたよ」とため息をつきました。
 結局、汽車に乗り込めたのは午後2時過ぎ。片意地を張った代償は駅のベンチ
 で約20時間。

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クスリの呪文

2012-05-16 19:38:55 | 思い出
  

 数十年前のこと。小学校入学時の数日は校歌の練習が多かった
 ような気がします。伸びやかに流れていく曲は最後の校名を歌う
 前に低くつぶやくような曲調に変わります。その歌詞が「マナビヤノ
 レキシハトオクシュウトクノ・・・」でこれが何かの呪文のように聞こ
 えて、このフレーズに来るとニヤリと、イヤイヤ当時は純朴な少年
 だったはずなのでクスリとしていました。「学校の歴史は遠く修徳の
 ・・・」こう書けばなんでもないのですが、漢字はまだわからなかった
 し学校(まなびや)など意味さえわかりませんでした。要は意味も
 わからず音を覚えて歌っていたわけです。

  

 そのうち可笑しがっているのは自分だけなのかと思い周りを見るよう
 になりました。皆真面目に歌っています。自分だけかと思った時斜め前の
 女の子が歌いながらこちらを見ました。もちろんクスリと笑いながら。
 その子とは休み時間に話すことも特に親しくなることもありませんでしたが
 校歌のそのフレーズになると歌いながら顔を合わせてクスリと笑いあいました。

  

 入学して10日もしないうちにその女の子は私たちの前に出ておじぎをすると
 翌日から姿を見せなくなってしまいました。それからだと思います校歌のあの
 フレーズになってもクスリとしなくなったのは。
 クスリの呪文は何か別の感情を呼び起こす呪文になってしまったようです。

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