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サイケおやじの生活と音楽

ナンシー久美はストロングスタイルのアイドル

2013-02-24 15:08:47 | 歌謡曲

夢みるナンシー / ナンシー久美 (日本コロムビア)

ミミ萩原が女子プロレスで大ブレイクしていた頃、彼女に比べれば幾分地味ながら、根強い人気を集めていたのがナンシー久美でした。

それは本日掲載のシングル盤を出していた事でも証明されるとおり、ノーブルな面立ちのナチュラルなアイドル性に加えて、プロレスそのものの上手さが良かったんですねぇ~♪

なにしろリアルタイムでは「怪力ナンシー」と呼ばれたほどのパワフルな技の豪快さは、女子では珍しいほどの逆三角な上半身とグッと張った太股があればこそ!

ハイアングルなボディスラムや時には首のあたりを狙ったかのようなバックプリーカーの落し方は、野郎どものプロレスファンをも納得させる一撃だったと思います。

そして自らの上半身を持ち上げて反らせる足四の字固めは、必ずや相手から苦悶の表情を引き出すもので、前述したミミ萩原との対戦では、常にハイライトの拷問シーンでありましたですねぇ~♪

また、もうひとつ、ナンシー久美が本物のプロレスラーであった事は、その「受け」の上手さでしょう。つまり対戦相手は、ナンシー久美には遠慮せずに得意技を出せていたようですから、所謂スンイグした試合を見せる力量は流石!

さらに当然ながら場外乱闘も上手くて、ミミ萩原や未だ可愛らしかった時代のジャガー横田といった人気者を、如何にもスケベおやじが集まっていそうな客席へ投げ飛ばしたり、自らも率先(!?)して、そういう生贄(!?)になる展開の作り方は、本当に分かっているとしか思えませんでした。

しかし、そんな物分かりの良さが裏目というか、ビクトリア富士美とのゴールデン・ペアがビューティ・ペアの後継者的な扱いで売り出され、タッグタイトルも獲得しながら、ど~してもイマイチ、地味なムードから抜け出せず……。

ちなみにナンシー久美は基本的にベビーフェイス=善玉だったんですが、そんなこんなからジャガー横田の売り出しにおいては所謂「かませ犬」をやらされた感もありますし、ミミ萩原との人気対決ではヒールであり、露骨に相手に有利なジャッジをやらかすレフリーをボコボコにする男気(!?)を持ち併せたプロレスラー魂の味わいの深さが、今も強い印象を残しているというわけです。

さて、そこで掲載のシングル盤は昭和52(1977)年に発売された彼女のデビュー曲「夢みるナンシー」をA面に入れた、これが典型的な当時のアイドルポップスなんですねぇ~♪

作詞:千家和也、作曲:菊池俊輔、そして編曲:高田弘というヒットメーカートリオの手際の素晴らしさは、オールディズ風味と彼女の素人っぽさを逆手に活かした仕上がりに顕著であり、極言すればターヘなナンシー久美の歌いまわしが結果オーライでしょう。

逆に言えば、それが上手かったりしたら、ほとんどリードのバックコーラスや愛情(?)溢れる演奏パートのハートウォームな雰囲気が台無しになるんじゃ~ないでしょうか。

ご存じのとおり、当時の女子プロレス興業では、人気レスラーが出したレコードの持ち歌を本人が試合前にライプで披露する事が定番のリング演出があり、彼女もジャケ写どおりのアイドル風情モロ出しで登場しては、ファンを熱くさせていましたですねぇ~♪

確か前述したゴールデン・ペア名義で発売されたレコードもあったはずなんですが、一般的に有名な「アマゾネス女王」よりは、個人的にこちらが好きなんですよ♪♪~♪

ということで、ナンシー久美は当時の全日本女子プロレスの掟に従い、昭和58(1983)年に引退という年齢制限的退職まで、なかなか素敵な存在でありました。一応、3年ほど後にジャパン女子で現役復帰は果たすのですが、やはり……。

ですからミミ萩原で人気沸騰していた時代の全女のリングで思いっきり暴れ、同時にアイドルレスラーの仕事でもあったセクシーなアクションを両立させていた彼女が忘れられないというファンは、サイケおやじだけのはずがありません。

以下は全く個人の記憶、あるいは妄想ではありますが、テレビが入らない地方の試合では、幾分スケスケっぽい水着だったり、大袈裟とも言える開脚の関節技やポロリ寸前の意図的なコスチューム掴み等々、そういう「お約束」は誰よりもきっちり自然体で見せてくれた女子レスラーだったように思います。

あぁ~、もう一度、ナンシー久美が見たい!

コメント (5)
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