OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

コルトレーンのアフリカ浄土

2009-01-03 13:04:09 | Jazz

Kulu Se Mama / John Coltrane (Impulse!)

本来、旅が好きではないサイケおやじは、何故か仕事ではいろんなところへ行かされています。まあ、それが仕事っていうものなんでしょうが、その中で、たった一度だけ、命じられて嬉しかったところが最初のアフリカ行きでした。

実はその某国は政情不安、内戦が一応は終わったところで、実際に着いていみると治安は予想以上に悪かったのですが、しかしそんなことは行く前には知らされていませんでしたから、大草原にキリンやシマウマがいて、原住民の素朴でエスニックな生活とか原始的なエロス、ヘミングウェイの小説のようなムードに接することが出来るのかと、ウキウキしていたのが怖いもの知らずの若さだったのでしょう。

で、そんな気持ちにジャストミートしていたというか、瞬時に思い出したのが、本日ご紹介のアルバムです。

結論から言うと、ここに収められた演奏は、ジョン・コルトレーンがフリージャズと精神性の強い展開を模索していた悪夢のような時期に残れさたものです。今となっては良く出来たデタラメのような「Ascension」とか、悪い冗談のような「OM」に代表される、所謂混濁の1枚という受け取り方が定着してかもしれません。しかし実際にはジョン・コルトレーンが独自の文法をきちんと確立して作った隠れ人気盤じゃないでしょうか?

録音は1965年6&10月、メンバーはジョン・コルトレーン(ts)、マッコイ・タイナー(p)、ジミー・ギャリソン(b)、エルビン・ジョーンズ(ds) という至高のカルテットを基本に、ファラオ・サンダース(ts)、ドナルド・ギャレット(bcl,b)、フランク・バトラー(ds,per) ジュノ・ルイス(per,vo) が新参加しています。

A-1 Kulu Se Mama (1965年10月14日録音)
 このセッションに打楽器とボーカルで参加したジュノ・ルイスが作った「母に捧げるバラード」という趣の名曲です。それはアフリカ現地語をメインに歌われる穏やかなメロディが、なかなかに素敵ですよ♪♪~♪ また歌詞そのものについてはジャケット中面に掲載されているとおり、英語も使われていますから、その意味も理解し易いと思います。
 そして肝心の演奏はテンションの高い打楽器とツインドラムス、ミステリアスにして混濁したアンサンブルが、テーマメロディを激しく追撃するような感じでしょうか。ステレオミックでは左チャンネルに混濁極まりないテナーサックスやバスクラリネット、右チャンネルにはピアノとベース、さらに打楽器による分厚いリズムとコードの響き、そして真ん中からはジュノ・ルイスの素朴にして奥深いボーカルと各種打楽器が定位していますから、決してデタラメをやっているわけではないのです。
 そのきちんと構成され、しかし自由度の高い展開は、明らかにフリージャズではないでしょう。これは実際に聞いていただければ、万人が納得されると思います。特にマッコイ・タイナーのピアノのアドリブは、後年になって人気を得たマッコイ独自のアフリカ系モードジャズそのものですよ。
 またジョン・コルトレーンやファラオ・サンダースのテナーサックスも、過激に咆哮するだけではなく、むしろ遠慮気味というか、曲と演奏の意図を大切にしたものでしょう。
 ちなみにここで主役を務めるジュノ・ルイスはアフリカ系黒人の地位向上に尽くした名士で、ジョン・コルトレーンとは共感しあっていたと言われています。
 ただし現実は、前述した「Ascension」よりも後の演奏ということで敬遠され……。
 ぜひとも虚心坦懐に聴いていただきたく、お願い申しあげます。
 ちなみにサイケおやじは、件のアフリカ某国へ赴く飛行機の中で、この曲をダビングしたテープをウォークマンで聴きながら、儚い夢を見ていたのでした。

B-1 Vigil (1965年6月16日録音)
 しかしB面に入ると事態は一転、ジョン・コルトレーンとエルビン・ジョーンズの過激な一騎打ちとなります。左チャンネルからは強烈に咆哮して音符過多症候群というテナーサックス、右チャンネルからはやけっぱちのドラムス! もうこれは意地と魂のぶつかりあいでしょうねぇ。
 実はこんな演奏は以前にも、例えば「Village Vanguard」のライブセッション盤でも聴けましたし、海賊盤を中心としたライブ音源にも多々残されています。それでもこのトラックが明らかに違うと感じるのは、演じている2人の間にスイングしているというか、かみあっている部分が少ないからだと思います。
 ピアノやベース、あるいはギターが弾ける皆様ならば、試しにこの演奏に介入してみてください。おそらくそれは非常に難しいと思うのは、なにもテクニックだけの問題ではなく、絶対に余人が入り込めない何かがあるから……。
 ということは、聴いていて疲れる演奏だということです。しかしそれが心地良い疲労と感じるのも、またひとつの真実かもしれません。それがこの演奏を「名演」と認定しているファンの多さじゃないでしょうか。

B-2 Welcome (1965年6月10日録音)
 そしてオーラスが、これまた素晴らしい安らぎに満ちた演奏で、メンバーはお馴染みのレギュラーカルテット♪♪
 マッコイ・タイナーの些か大袈裟なイントロから、美しいテーマメロディがジョン・コルトレーンによって厳かに吹奏され、エルビン・ジョーンズがテンションの高いビートでそれを彩り、ジミー・ギャリソンのペースが全体を支えるという、まさに至高のカルテットならではの構成と展開には、素直に気持ちが高ぶります。
 もちろんジョン・コルトレーンだけの「バラードの世界」は、強い精神性と美の追求でありますから、これは聴かず嫌いが勿体無いかぎりでしょうねぇ~~♪ それが完全に無視されがちなのは、得体のしれないアルバムタイトルとか、演奏時期の問題でしょう。
 これもまた、虚心坦懐に聴いて下さいませ。

ということで、これはやっぱり名盤だと思いますねぇ、良し悪しとか好き嫌いは別にしても……。アルバム全体の構成がこれだけビシッと決まったジョン・コルトレーンの作品は、そんなに無いと思います。

ちなみに再びサイケおやじの余談になりますが、これを聴きながら赴いた某国は全く酷いところで、着いたその日に現地の人から護身用の軍用拳銃を渡されたほどでした……。実際、銃撃戦に遭遇したり、悲惨な現地の一般人の様子とか、政治経済の状況の悪さは、このアルバムの「Kulu Se Mama」と「Vigil」の落差のようなもんです。

そしと残酷な現実を浄化するように静謐な「Welcome」の演奏こそが、泥の上にしか咲くことの出来ない蓮の花のように、限りなく美しいと痛感したあの日の思い出となっているのでした。

新年というのに殺し合いや失業に苦しむ世界を、つくづく思う本日です。

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