ピロソピア愛知

幼年期のピロソピーかんがえる

(沖縄)に潜むチュチェ思想の正体~篠原常一郎氏/ 狂気のリベラリズム// 【NHKの反日工作】「関東大震災と朝鮮人」が隠ぺいした一次資料// 村田春樹 敗戦後朝鮮人はなにをしたか

2019-02-25 | 平和ボケ!覚醒!子々孫々のために!2019

 

 

 

 

  

山口組三代目 田岡一雄自伝 徳間文庫より 
 ◆酸鼻をきわめる地獄絵図◆ 
  その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。敗戦の報に呆然自失する市民とは対照的に、これまで苛酷な労働で軍部から抑圧されてきた朝鮮人、台湾人たちの一部は欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。その日の午後七時。徒党を組んだ一団は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件が起こり、一般市民の不安もたかまった。終戦当時、国内には強制連行された人も含めて朝鮮人、中国人は二百万人以上いたが、とくに兵庫に多く、昭和十八年に十三万五千人、四十八都道府県の七パーセント強を占め、大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。(中略)彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた。通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風をきって街をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器をひっさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。警察が駆けつけても手も足もでない。「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」警官は小突きまわされ、サーベルはヘシ曲げられ、街には暴漢の跳梁に無警察状態だ。さらにこれにくわえて一部の悪質な米兵の暴行も目にあまった。・・・ 

  Naimon Oshie3 年前

 

在日韓国・朝鮮人の事件年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 この記事は在日韓国・朝鮮人の事件年表(ざいにちかんこく・ちょうせんじんのじけんねんぴょう)である。
 
 

 

 

 


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