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分水嶺

2022-01-19 | 掌編

   ■それぞれの旅路 ー分水嶺ー

 

 島田恵津子が、長い苦悩の末に故郷を離れて秋田の片田舎にやってきたのは、秋の初めのことだった。移住の支援にあたった役場職員の柴田美喜子。すぐ近くに住む、農家の安田伸之。そして地域のさまざまな支えの中で、恵津子は二人の子どもと今日まで過ごし、気が付くと三年の月日が過ぎていた。

 上の子の祐一は六年生、妹の美穂は三年生になっていた。恵津子も移り住んで間もなく就いた仕事を、変わることなく続けていた。

 縁もゆかりもない新天地での暮らしが、どうにかなっていると、恵津子は思っていた。実際、頭を悩ませるような出来事は、それまで何もなかったのである。だから夏休み明けからの祐一の不登校は、突然の出来事のように感じられた。

 恵津子はどうにかして、元のように通わせたかった。そのためにいろいろなことをしてみたが、そのどれもが、祐一の足を学校に向けさせるまでには至らなかった。

 けれども、祐一は部屋に閉じこもっていたのではなかった。腹痛を訴えて寝ていたのも数日のことで、それ以降は農作業に励む安田のところに行って、ずっといっしょにいたらしかった。

 そのことに気が付いた時、恵津子は安田の家へ行き、祐一の行動について謝った。

「こちらから何にも言わなくて悪かったね。学校のことは心配だろうけど、僕の方は気にしなくて良いよ。それに、こう言っては何だけど、結構楽しそうにしているよ」

安田は笑顔を見せてそう言った

 祐一の様子に変化の兆しが見られないまま、時だけが過ぎて行った。いつしか村のあちこちでは稲刈りが始まり出し、好天の日が何日も続いたこともあってか、風景は一変していた。恵津子が安田を見かけた時、作業の進み具合を聞いてみたら、終わったとのことだった。その期間も度々行っていた祐一のことを、恵津子は何度も詫びた。

「本当に気にしなくて良いんだって。かえって僕の方が、学校に行かせないようにしていたみたいで、すまない気がしているよ。それより、今年は稲刈りが順調に進んだから、今度柴田さんもいっしょに、みんなで紅葉を見に行かないかい。少し遠いけど行ってみたい場所があるんだ」

 

 十月末、五人が乗った車は、南に向かって長い距離を走った。安田は車に乗ってからも行き先を告げなかった。県境を過ぎ、さらにしばらく走ってから、国道沿いの空き地に車はやっと止まった。

 みんなは車から降りると、安田の後に続いて歩き出した。それは大して広くない道で、その道に沿うように素掘りの細い水路が続いていた。

ほんの数分歩いた所には、ローカル線の駅舎があった。無人駅のようだった。入口には、木製の古い小さな黒板が掛かっていた。

「あっ、伝言板だ。なつかしいわ。今でも誰か使ったりするのかな」

そう言いながら美喜子は、秋田から来ました! と書き、改札口からホームに出た。恵津子は少しためらってから、Who am I ? と書いて後に続いた。少し遅れてきた子どもたちは、楽しそうに長いホームの中を走り回った。一緒だと思った安田の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。駅舎を出る時に二人がもう一度伝言板を見ると、恵津子の書いた英文の下には、風編愛の文字が書かれていた。

「あー、何てことなの。彼の特技もここまで来るとお見事と言うしかないわね。でも安田君らしいや」そう言って美喜子は笑った。

 祐一が学校に行かなくなってから、恵津子の頭には時折帰郷の二文字が浮かんできて、それをつい安田の前で口にしたことがあった。安田は賛成も反対もしなかったが、もっと苦しくなるんじゃないかなとだけ言った。見ず知らずの土地での暮らしに、恵津子なりに溶け込もうとして過ごしてきたが、幾度か、自分は誰なんだろうという思いが頭をよぎったこともあった。そんな自分に、この字を書いてくれたのだろうか。

「でも安田君が、今急に思いついたとは思えないな。きっと何かの機会に、彼もずっと同じような思いをして、いつかこんな言葉が浮かんで来たんじゃないかしら。彼もいろいろあったからね」

 私もいろいろあったのよ。もちろん今でもと付け加えて、美喜子はもう一度笑った。恵津子は持っていた携帯で、その伝言板を写真に撮った。

 駅舎を出てみると、先に出ていたらしく、水路の所に安田が佇んでいた。水路はその場所で小さな池のようになり、そこから二方向に分かれていた。ゆっくりと流れてきた何枚もの葉がそこで左右に分かれていくのに、四人は気付いた。

「ここが、見てみたかった場所、分水嶺。片側は太平洋、もう一方は日本海に通じているんだって。ずっと一緒だった流れが、ここで正反対の方向に離れ離れになってしまうなんて、何だかすごい気がしないかい? いつもの変な癖で、こういうのを見ると、すぐ人生に重ね合わせてしまうんだよな」

「じゃあ、同じ木にいたのかもしれないのに二度と会うことは無いの?」

 それは、恵津子の思いを代弁したかのような祐一の言葉だった。時に反発し合いながらも、一緒にいられた日々を奇跡の連続とも思わず、すべてに別れを告げる日が、ある時突然訪れた。

 悲しいけどそうだよと、安田がやさしく言った。そして、

「海までのとても長い道のりの途中で、どっちに行った葉っぱたちにも、数えきれないほどいろんな事が起きるんだ。だから肩の力を抜いて、やれることをやって、できなかったことはあきらめても良いんだよ。人は葉っぱと違って後戻りはできるけど、会えるのは分かれた場所じゃない。そこから、自分が歩いたと同じくらい先まで行かなくちゃ会えないんだ。だから、簡単にはできない。でもさ、お互いにがんばろうなって心の中で言ったら、言った自分が元気になる。不思議だけどそうなんだ。それに、あまりに遠くてもう会えないと思っても、きっといつか会える日が来る。だって海はつながっているからね」

「さぁ、帰りは短いように感じるかもしれないけれど、それでも長いぞ。出発しよう。せっかくここまで来たんだから、五枚の葉っぱたちで、ついでに紅葉の名所も見て行かなくちゃ。あっ、ついでと言ったら名所に失礼か」 

 みんなは少しだけ笑った。

 今度は誰が先になるでもなく、車までの道を歩いた。分かれ道からの流れを、遡りながら見ていると、幾枚もの落葉がゆっくりと目の前を通り過ぎて行く。すぐ先で別々になってしまうのかもしれないのよ。でもいつかきっと会えるからね。恵津子は心の中で、そうつぶやいた。それは自分に言い聞かせているようでもあった。

 車中では、来る時と違って、子どもたちがたくさん話をした。祐一も美穂に負けないくらい、恵津子にいろんな話をしてきた。そして、いつの間にか二人は眠ってしまった。

 三人は、子どもたちを起こさないように気をつけながら、いろいろな話をした。恵津子さんの願うような早さではないかもしれないけど、佑ちゃんはきっと行くようになる。安田はそう言った。美喜子も、私もそう思うと口にした。

「祐ちゃんは賢くて優しいよ。強くなくてもしなやかさを大切にすれば、きっと道が開けるはずさ。壁を乗り越えようと一生懸命になるのも大事だろうけど、時には横道をするりと抜けるのも悪くないと思わないかい」

 今一緒の二人にどれだけ見守られてきたことだろう。恵津子は話をしながら、そう思っていた。風編愛は、揺れ動く自分の問いに対しての答えではなかったけれど、何かの思いが重なっている気がした。それが何なのかに思い当たる日が来るのは、まだずっと先のことだろうとも思った。

 県境を挟んでの長い山道がやっと終わり、車は街に入った。どこかのコンビニでコーヒーでも買って行こうか。いや、お腹もすいたなと安田が言った。

「子どもたちも起こして、好きなものを買わせることにしようよ」

 同じような三つの言葉が、わずかにずれながら重なったことで、三人は思わず笑い声を上げた。その楽しそうな声に、子どもたちが目を覚ましたようだった

 

 

 ■「それぞれの旅路」は、一昨々年、一昨年と書いたもので、連作となっています。自分の中では、ずっと登場人物たちが生き続けています。

 

 分水嶺という言葉を初めて耳にした時、高い山のてっぺんにあるものというイメージが湧いたのでした。もちろん、そういうところにもあることでしょうが、それほど高い場所で無くても、何気なく過ぎている場所にもそうした地点があることは、驚きでした。この掌編で書いた分水嶺は、山形県の内陸部、最上郡最上町というところにあります。案内が無ければそうとは気付けないような場所でした。


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