風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

寄り添う間隔

2022-02-16 | 掌編

 おめェ、カカァと喧嘩したんだって。何でそうなったんだよ。はたから見ても、おめェにはもったいねぇような女房じゃねぇか。早くあやまっちまえ。とにかく早くあたま下げるんだ。

 

 そんなわけで

   (前ふりと本文には一切関わりがございません)

 母洋子の命日の一日が、何事もなく終わろうとしていた。突然訪れた悲しみの日から、早くも一年。そして、夫の浩之が家を出て行ってからは、すでに一ヶ月が過ぎていた。

 音ひとつしない、静かな夜だった。時計の針は八時を回っていた。若い由紀にとって、それは少しも遅い時間とは言えなかったが、微かな期待を諦めに変えるには、決して早過ぎる時間ではなかった。

 由紀の推測通りだとすれば、今日、浩之は仕事が休みのはずである。それがこの時間になっても姿を見せないということは、きっと心を決めたに違いない。そう思った途端、長かった一日の疲れが急にやって来た気がして、由紀は、いつしかぼんやりとしていた。

 ふと、外から、ごめんくださいという女性の声が聞こえた気がしてドアを開けると、はたして立っていたのは三人の女性だった。顔を出した由紀を見て、中の一人がほっとした表情になり、言葉を続けた。

 「突然ごめんなさい。私たち、洋子さんといっしょに太極拳をやっていたものです。今日は確か洋子さんの命日だったと思って、ご都合も伺わずにおじゃましてしまいました。ご迷惑でなければ、お線香をあげさせてもらえませんか」

 そう話した女性のことを、由紀はうっすらと思い出した。一年前のあの時も、母との関係を今と同じように話し、焼香してくれた人だった。

「ありがとうございます。母も喜びます。散らかっているのですけど、どうぞ入ってください」

 由紀は、恐縮しながら招き入れた。

 三人は、小さな仏壇の前で揃って手を合わせ終わると、それぞれが名乗り、改めて、遅い時間の訪問を詫びた。

「練習が始まる前、洋子さんの話が出たのをきっかけに、古くからの仲間三人で来たんです。あのぅ、こんなこと言ったらヘンに思われそうですけど、洋子さんを偲びながら、私が代表して、ここでやらせてもらって良いですか?」

 思いもかけない申し出に、由紀は一瞬驚いたが、すぐに笑顔になり、お願いしますと答えた。

 母が長く続けた太極拳。母は時々、それを居間でもやっていたのである。

 ある日のことだった。

「ねぇ、由紀。ちょっと見ていて」

 そう言うと、母は肩幅に広げた両足を前後に開き、一つの動作をゆっくりとやって見せた。

「これが、両手を前に伸ばしていって、相手を押す動き。両手が伸びきらないうちに、今度はゆっくりと引いてくるの。押してきた両手を受け止めながら、逆らわずに引き込んでいるのよ。で、もう一回こっちが両手で押していくんだけど、この時大事なのが、上体を真っ直ぐに保つこと。前のめりになると、後足の踵が浮いてしまうのよ。これは完全に押し過ぎっていうことなの。相手にスッと身をかわされたら、自分から倒れてしまうわ」

 言い終わると、母は由紀をじっと見た。

「母さん、いったい何が言いたいの。そんな回りくどいことをして見せなくても、はっきり言ったらいいじゃない」

 その少し前、由紀は浩之と口論をしていた。けれども実際には、由紀の強い口調だけが、家の中で響いていた。母が言っているのは、きっとそのことだと感じて、何度も踵を浮かす母に、つい強く当たってしまったのだった。

 

「ここだったのよねぇ」

 突然の言葉に、由紀は、ふと我に返った。

「そうそう、よりによって段位認定試験の時に踵を浮かせてしまうなんて、初心者ならともかく、洋子さんがするはずがないミスだったわよね。あれさえなければ、みんな揃って合格を喜べたのに、本当に残念だった…」

 三人は、その時の様子を次々に口にした。

「あらら、洋子さんが、早く続けてって言ってるみたいよ。ちゃんと最後までやらなくちゃ」

 少しの中断があったものの、五分ほどで一連の動作は終わった。何だか、洋子さんがそばで一緒にやってくれていたような気がしましたと言って、女性達は帰って行った。

 由紀の頭の中では、先ほどの会話とその直前の動作が、何度もくり返されていた。

 あの時以来、太極拳をやっているそばを通ると、決まって、先ほどの動作を見せ、時にはこう言った。

「由紀がイライラしてしまう気持が、母さんにもわからないわけじゃないのよ。でも、あまりにも押し過ぎてる。あなたは、ひとりで勝手に倒れそうになっているのを受け止めてもらっていることにも、気づいていない」

 けれども、由紀の心は、そのたとえを受け入れることを、ずっと拒んでいた。それどころか、母が試験の結果を口にした時に、慰めの言葉をかけることさえしなかった。

 それがついさっき、事情が明らかになったことで、由紀の気持ちは動揺し始めていた。次々によみがえってきた母との何度かのやり取りや、肝心の浩之とのいさかいの場面が、今までとは少し違った色合いになっていることを感じないわけにはいかなかった。

 そして、思い出す度に悔やまれる、浩之が出て行く少し前のやり取りは、すっかり別の色となっていた。

「由紀、今のうちに言っておくけど、由紀には本当に感謝しているよ。もし別れるなんてことになってからだと、言えないだろうし、たとえ言えたとしても、素直に受け取ってはもらえないもんな。ま、今までも何度か言ったから、心残りはないけどさ」

 別れるなんて言葉は、浩之も冗談半分で言ったはずだった。でもその時、由紀はどうした弾みからか、つい言い返していた。

「何度も、って、私一度だって聞いた覚えは無いよ。浩之がちゃんと言ってくれたら、私だって言ってもいいかなって思ってたけど」

 深く考えずに出した言葉だった。その時の浩之の困惑した表情は、日数が経つに従って、一層鮮やかに由紀の心に浮かんで来ていたのである。

 チャイムの音がして、由紀は現実に戻った。ドアを開けると先ほどの女性が立っていた。

「ごめんなさい、大事なことを言い忘れていたの。洋子さん、あなたのことをほめていたのよ。いつも娘にだけ厳しく言ってしまっているんだけど、ダンナさんのこと、良く支えてるんだよって。じゃぁ、元気でね」

 それだけを言うと、忘れていた届け物をちゃんと渡しましたよ、とでも思えるような仕草をして、女性は帰った。

 

 もう一度チャイムが鳴ったのは、それから間もなくのことだった。浩之の声がしたのを聞き、由紀は急いでドアを開けた。

「ごめん、本当はもっと早く来ようと思ったんだけど、急に仕事が入ってしまって」

 すまなそうに言った浩之に、由紀はありがとうと口にして、居間に上がるよう、促した。

「もしかしたら来てくれるんじゃないかと思ってた。ううん、思ってたんじゃない。願ってた。でも諦めてもいたの。私はずっと、言うことばかりに夢中になっていた…」

 浩之は、それには返事をせず、仏壇の前に座り、ゆっくりと蝋燭に火を灯した。線香に火をつけ、それから合掌した後、しばらくそのままだった。

 「ねぇ、晩ごはんまだだったんでしょ。何にもないけど、良かったら食べない?今すぐ準備するけど」

 由紀は思い切って言ってみた。

「ありがとう。せっかくだからごちそうになるよ」

 一瞬の間を置いて浩之が発したのは、少し他人行儀にも思える答えだった。それが元々の浩之の口調から出たものなのか、それとも、自分達の最後を意識しての返事なのか、由紀にはすぐに判断ができなかった。それでも由紀は、用意した食事をテーブルに並べ、じゃまにならない程度に話しかけ、浩之の言葉を聞いた。そして、再び出て行く浩之に、いつでも戻って来てと、言葉を結んだ。

 

「母さん、今日は私、ちゃんと踵をついて浩之さんと話をしたよ。あわてないで、寄り添いながら」

 写真の中には、母がいつもと変わらずにいた。そこに向かってつぶやいた由紀の目に、母の笑顔が少し輝いて見えた気がした。

 

 *本文と当園は、一切?関係ありません(苦笑)。

 

 


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2 コメント

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Unknown (ポトス)
2022-02-20 18:05:53
こんばんは、久しぶりにお邪魔しました

小説、思わず引き込まれて読んでしまいました。あ~~~続きが気になる気になる。
余韻を残した最後で、読者の想像をさらに広げるのですね。うんうんとか、そうだったのかぁとか、良かったねとか、色々思いながら読ませていただきました。数少ない恋愛体験しかありませんが、それでも若い頃を思い出してしまいました。(*^^*)
Unknown (オリザそよそよ)
2022-02-20 21:05:42
ポトスさん、コメントをありがとうございます。
長い話はなかなか書けなくて、これくらいの長さが精いっぱいです。
どんな形になるにせよ、「今」が「未来」の糧になることを願いながら書きました。素敵な「続き」が、読んでくださった方の胸の中にふと浮かんだとしたら、書き手としては何よりの幸いです。

「数少ない恋愛体験」の方には、触れないでおきますね。気になりますけど(笑)。

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