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南方熊楠「やりあて」

2005年11月16日 | Weblog
南方熊楠は「やりあて」という言葉を使った。 これは「意図通り」に
偶然が重なって物事が上手く展開して行くということで
セレンディピティの対語にあたる。

熊楠は、地球の西半球と東半球のそれぞれの特徴的な二種の粘菌を
同時に近い場所で発見した時に使った。(インフルエンザ・ネタと違います)

明治三十六年七月十八日、土宜法竜(子分 法竜米虫殿)宛書簡から
「南方曼陀羅」に関する部分を抜粋する。

(こんなのが手元に沢山有る変わり者です=故に他人様には理解不能なんだろうか?)


ここに一言す。 不思議ということあり。 事不思議あり。 
物不思議あり。 心不思議あり。 理不思議あり。 大日如来の大不思議あり。
予は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけ
ざっと立てならべ得たることと思う。

(人は理由とか原理とかいう。しかし実際は原理にあらず。
不思議を解剖して現象《げんしょう》団とせしまでなり。
このこと、前書にいえり、故に省く。)

心不思議は、心理学というものあれど、これは脳とか諸感覚とかを離れずに
研究中ゆえ、物不思議をはなれず。 したがって、心ばかりの不思議の
学というもの今はなし、またはいまだなし・・・ 。

現に今の人にも tact というがあり。 何と訳してよいか知れぬが
予は久しく顕微鏡標品を作りおるに、同じ薬品、知れきったものを
一人がいろいろと、こまかく斗《はか》りて調合して
よき薬品のみ用うるも、たちまち欺れる。

予は乱妨にて大酒などして、むちゃに調合し、その薬品の中に何が入ったか知れず
また垢だらけの手でいろうなど、まるでむちゃなり。
しかれども、久しくやっておるゆえにや、予の作りし標品は敗れず。

この「久しくやっておるゆえ」という語は、まことに無意味の語にて
久しくなにか気をつけて改良に改良を加え
前度は失敗せし廉《かど》を心得おき、用心して避けて後に事業がすすむなら
「久しくやったゆえ」という意はあり。 
ここに余のいうは然らず。 何の気もなく、久しくやっておると
むちゃはむちゃながら事がすすむなり。

これすなわち本論の主意なる、宇宙のことは、よき理にさえつかまえ中《あた》れぱ
知らぬながら、うまく行くようになっておるというところなり。
故にこの tact(何と訳してよいか知らず。) 石きりやが長く仕事するときは
話しながら臼の目を正しく実用あるようにきるごとし。
コンパスで斗り、筋ひいてきったりとて実用に立たぬものできる。

熟練と訳せる人あり。 しかし、それでは多年ついやせし
またはなはだ精力を労せし意に聞こゆ。
実は「やりあて」(やりあてるの名詞とでも言ってよい)ということは
口筆にて伝えようにも、自分もそのことを知らぬゆえ(気がつかぬ)
何とも伝うることならぬなり。されども、伝うることならぬから
そのことなしとも、そのことの用なしともいいがたし。

現に化学などに、硫黄と錫と合し、窒素と水素と合して、硫黄にも正反し
錫にも正しく異なり、また窒素とも水素ともまるで異なる性質の
もの出ること多い。 窒素は無害なり、炭素は大営養品なり。(養だよな)
しかるに、その化合物たる青素《シアン》は人をころす。

酸素は火を熾《さか》んにし、水素は火にあえぱ強熱を発して燃える。
しかるに、この二者を合してできる水は、火とははなはだ中《なか》悪きごとく
またタピオカという大滋養品は病人にはなはだよきものなるに
これを産出する植物の生《なま》の汁は人を殺す毒あるごとし。

故に一度そのことを発見して後でこそ、数量が役に立つ
(実は同じことをくりかえすに、前の試験と少しもたがわぬために)が
発見ということは、予期よりもやりあての方が多いなり
(やりあて多くを一切概括して 運 という)。

それぞれが感じ取ってくださいな。

http://www.tanabe-kanko.jp/jinbutsu/kumagusu/  ← 人物参考

http://www.geocities.jp/riibs/biodennchi.htm  ← これは単なる覚え書き用。

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