ひっそり主婦のこっそり学び

今日は気分が良い。
だが、これからは老化も忍びよってくる。
戦わずして勝つには・・・

近江旅行失敗編

2018年11月15日 | 旅行



数少ない旅に出る時は、
衣類持ち物などは、いつも早めに用意して、
チェックしておく方なので忘れ物はない。

けれど電車に乗ってから腕時計をはめたら止まってる・・・
これには真っ青になった。

衣類や用途で時計を変えて行くのだけれど、
まさか、この時計が止まっているとは・・・
京都駅の時計屋さんなどで電池を変えてもらおうにも、
スケジュールが乱れるので時間は携帯で見ることにした。

何が不便てこれが一番不便だった。
ショルダーバッグではなくナップザックにしたので、
時計を見るたび一々下ろさねばならない。
帰ってから足は痛まなかったが腕が痛んだほど(笑)

もう一つの失敗はファーデーション(笑)
少しでも荷物を軽くするためにスポンジに付けてジップ袋に入れておいた。

朝方頬に塗ろうとしたら水分はスポンジに吸い取られ、
右頬に汚れが付いただけ!
何やってんだか!

まっ!次に生かしていこう。
来年!の旅行計画も入り始めていることだし。

(*^^*)




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近江の旅 後編

2018年11月15日 | 旅行
さて二日目の朝。
37Fから琵琶湖を見ながら朝食を。
いいですね~~
こういう朝食タイムも♬
♪♪♪
そしてケーブル坂本駅からケーブルカーで比叡山山頂を目指していく。



延暦寺を後回しにして、
山頂のガーデンミュージアムを先に見ることにした。
シャトルバスで延暦寺とつながっていて簡単に行けられ、
延暦寺チケットを先に買って受付で提示すれば100円引きになる。
だが、ここは滋賀県ではなく京都府だ。



11月で花が少ないかなと思っていたが、
薔薇も咲いていたし、
晩秋の枯れ野の風情も良いものだと思って見て歩いた。



モネの池には、もう睡蓮は咲いていなかったけど、
それはそれで静かな佇まいで良いと思った。




要所要所に陶板製の印象画が飾られている。



比叡山山頂なので眺望は良いのだが、
この日は遠くはかすんでいてはっきりしなかった。
でも、それも神秘的で良し!



楽しかったのは足湯。



熱い湯に入りながらの友とのんびりおしゃべりタイムを。
友曰く、
薔薇がいっぱいで、
ひとひとの時期よりも静かに足湯へつかれて最高と。

ここでお土産に買ったものはお菓子と小皿5枚。



そして、またシャトルバスで移動し延暦寺東塔へ。
(東塔はとうどうって読むんだって)

慈円は、比叡山について
「世の中に山てふ山は多かれど、山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」
と比叡山を日本一の山と崇めた。

それは比叡山延暦寺が、世界の平和や平安を祈る寺院として、
さらには国宝的人材育成の学問と修行の道場として、日本仏教各宗各派の祖師高僧を輩出し、
日本仏教の母山と仰がれているからである。

(慈円は平安末期~鎌倉初期の僧で藤原忠道の子。4度天台座主。四天王寺別当)



比叡山は信長による焼き討ちにもあった。

比叡山焼き討ちは、元亀2年9月12日に現在の滋賀県大津市の比叡山延暦寺で行われた戦い。
この戦いで織田信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われている。
またこの戦いはルイス・フロイスの書簡にも記載されている。

さて、どの建物が焼き討ちにあったのか・・・・
そこまで確かめず回れるだけ回った。



比叡山は広大で、
延暦寺部分だけでも東塔、西棟、横川と三つのエリアに分かれている。
移動にシャトルバスを使っても、
半日ほどでは、とても回り切れない。
またいつか来れる日が来るだろうかと思いながら、
下りのケーブルに乗った。
その途中には紀貫之のお墓もあるのだから、
やっぱり、また来たいな。

☆☆☆

近江のまわった場所を年代順にまとめてみると、
皇子山古墳 4世紀
大津宮(天智天皇・弘文天皇の皇居) 667~672年
壬申の乱 672年
三井寺(天台宗) 創建 686年
石山寺(東寺真言宗) 創建 749年(747年とも)
比叡山延暦寺(天台宗) 創建 788年
比叡山焼き討ち 1571年
近江神宮(祭神 天智天皇) 創建 1940年 

比叡山からは銅鐸出土もあったようなので、
弥生時代にも大きな集落があったのではないだろうか。

変わっていくものがある中で、
古きものが残されていくのを見るのは喜ばしいものだ。

そんな近江の地へ平成の終わりに訪ねられた有難さ。
感謝感謝である。



 


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近江の旅 前編

2018年11月14日 | 旅行
さて晴れ女の私!

また晴れた(^_-)-☆

とはいえ、
毎日遊んで歩いてれば、雨にあうのだから、それだけ、私はお出かけが少ないという事だろう。
簡単に旅の話を2~3回に分けて・・・
(青文字は全てネットからの借用です)



旅の始まりは石山寺参道前のランチ。
シジミ釜飯カレー。
美味しかったけれど量が沢山で夕方まで体中がカレー味のようだった(笑)

石山寺の門前に立った時、
なぜか懐かしい気分になった。
50年前から行きたいと思っていただけではないような不思議な感覚だった。
まさか亡き父が寄り添っていてくれたわけでもないでしょうが。



石山寺
大津市石山町にある真言宗御室派の別格本山。山号は石光山。
開創は天平勝宝元年(749)と伝え、開基は聖武天皇、開山は良弁(ろうべん)。
西国三十三所の第13番札所。永長元年(1096)再建の本堂、建久5年(1194)
建立の多宝塔は国宝。石山寺縁起など多数の文化財を所蔵。
本堂に紫式部が源氏物語を書いたという「源氏の間」がある。

紫式部の愛した風景は当時と今とは違うものではあったろうけれど、
広い園内を歩き回ってきた。



源氏物語が書かれた年代は平安時代中期と言われるが、
紫式部展を見てこなかったのは少し悔やまれる。
でも、
ここへはまた一人で行ってみようとの思いもあるので、
これからまた石山詣になるかもしれないな。

そして近江神宮へ。



七五三のお子さんたちの可愛らしい事。

第38代天智天皇をまつる近江神宮は、
天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社である。

ご鎮座は昭和15年11月7日であり、神社としての歴史は新しいが、
滋賀県・近江国の発展は大津宮に都をおかれたことに始まるとして、
明治30年ころから滋賀県民の間に天智天皇を祀る神宮の創建運動が高まり、
昭和に入って昭和天皇の御勅許を賜わり、滋賀県民を始め全国崇敬者の真心の奉賛により創建された。

 境内地は約6万坪。社殿は近江造りあるいは昭和造りと呼ばれ、
山麓の斜面に本殿・内外拝殿を回廊が取り囲み、近代神社建築の代表的なものとして、
平成10年より国の登録文化財として登録されている。



まだ80年ほどだから新しく明るい感じなのだが、
これからまた100年200年と維持していくには大変なことであろう。
でも、歴史を刻んでいく神社であり続けてほしい。

次に近くの皇子山古墳へ行った。
古墳は4世紀に建造されたものなので、
小山という感じだけであったが古いもの好きなので、
階段を上っていくだけでわくわくした。

4世紀後半に築かれた市内最古の古墳で、
 全長60m、堀の一部が残り葺石(ふきいし)が敷かれている。
形としては、奈良盆地に成立した大和朝廷の大王の墓によく見られるような前方後円墳ではなく、
前方後方墳の形をしていて、当時の地方首長の墓ではないかと考えられている。


湖の見える一等地に古墳。
誰なのか発掘調査をすればわかるのかもしれないが、
静かにしておいてあげたい気もする。

そして次は三井寺へ。

三井寺は古代最大の内乱・壬申の乱で敗れ自害した、
大友皇子(弘文天皇)の子・大友与太王(おおとものよたのおおきみ)によって創建された。

滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有する三井寺は、
正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山である。
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性により、天台別院として中興された。
以来今日まで続く千二百年以上の歴史の中で、
源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇したが、
智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられつつ、
苦難を乗り越えてきた様から、「不死鳥の寺」としても知られている。



大晦日、大勢の善男善女で賑わった除夜の鐘。
一般には近江八景の「三井の晩鐘」として知られるこの梵鐘は、
「天下の三銘鐘」の一つにも数えられている。
姿の立派な宇治平等院の鐘、由緒の正しい高雄神護寺と、音色の美しさで選ばれた三井寺。
つまり、三井の晩鐘は、日本一の響きであると認められている。

落ち着いたいいお寺だった。
紅葉も綺麗で寺社の配置が美しいなと思った。
そのせいなのか時代劇の撮影にも使われてるそうだ。
最近では「るろうに剣心」とか。

こんな古都、大津京を満喫して夕食の予定が、
お昼が多すぎて、おなかが空かず、
お寿司屋さんのお寿司定食でサラリとすませた。

そしてホテルまでの湖畔を歩いた。



宿泊は客室が全て湖に面しているという大津琵琶湖プリンスホテル。
見る方角によっては薄っぺらに見えて怖い感じさえする。




歩道も美しく整備されていて琵琶湖の暮れなずむ夕景が美しかった。



部屋からの夜景も見事で、
突然花火も祝福してくれ言うことなし。
 ZZZ

後編に続く






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石山寺~三井寺~延暦寺の旅 計画編

2018年11月12日 | 旅行



かねてから行きたかった紫式部ゆかりの石山寺への旅が実現できた。
このお寺のことは亡き父から聞いた10代のことだから50年もたって叶ったのだ。
ここまで行けば延暦寺も行きたいと旅の計画を練り始めた。

この二つに挟まった三井寺や大津京へも行きたい。

大津京って1350年くらい前に天智天皇と弘文天皇がおられた所だ。
天武天皇や持統天皇に仕えた宮廷歌人の柿本人麻呂の、

近江のうみ夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしえ思ほゆ

という歌が万葉集に載っているが、
この歌は、
柿本人麻呂が壬申の乱(672)で滅ぼされた近江大津京の荒廃を見て、
琵琶湖のほとりで詠んだものだという。

・・・自分が仕える天武天皇は天智天皇の弟君であらせられる・・・
・・・かってはここは兄君の都だった・・・

人麻呂は複雑な気持ちで詠んだことであろう。
そんな古の都に立ってみたいと思ったのだ。

途中合流の友人は、
旅程はお任せと言われるので自分の好きなところだけ入れて計画(*^^*)
あっ!友人は18歳から付き合ってる女性です(*^^*)

ラッキーなことに、
ブロ友mobilさんが「法然」の記事を書かれておられたので、
延暦寺へ行くとコメントしたら、
「近くのガーデンミュージアム」がおすゝめですよって!
教えてくださった。
(追記 延暦寺は最澄により開かれたが、多くの僧侶がここで修行をしている)
計画というものは楽しいものだ。
実行編に続く。




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ほんのちょこっと鎌倉散策

2018年05月06日 | 旅行
桜の花の日干し

実妹宅のお婚礼で上京した。

今回も私一人の上京なのでなので、
家を早めに出て鎌倉の鶴岡八幡宮へ行ってみようと計画した。
なんといっても小学校の修学旅行以来だ。



行ったことは覚えていても大仏様ほどの強烈な印象はない。
だからなおのこと行って見たかったのだ。

なんといってもオダマキの花の咲くころには、
静御前の歌も思い出すのだから。

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

まず牡丹園を見て、


古式ゆかしい雅楽を横目に見て、


宝物殿も拝観し境内を歩き回った。

で、コーヒー店で一休みして、
頼朝と政子のお墓のある寿福寺へ行った。



上の写真のような岩を掘りぬいた中にお墓があり、
柏槙(ビャクシン)の大木が古きお寺だったことを偲ばせる感じだった。
寿福寺は1200年に政子が建てたものだと言われている。

お隣の英勝寺へも寄って竹林を見てきた。


鎌倉へ来たならば湘南カレーだと「湘南シラスカレー」を頂いた。




小町通りを楽しく歩いて六本木のホテル泊まり。


翌日は甥の婚礼出席。


美しいお嫁さんに美味しいお料理に堪能して、
親戚の方々と和やかに歓談し、
心温まった一日を過ごした。




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