はさみの世界・出張版

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風の旗標 37

2018年06月12日 09時45分14秒 | 風の旗標


趙雲はろくに眠ることができず、月光のもと、ひたすら、まるで蓑虫のようになって地べたに横になっている民のすがたを見つめていた。
民のなかにも眠ることができないものがいるようだ。
闇の中で、もぞもぞと、何度も寝返りを打っている。
ふと、目についた女が寝返りを打って、寝具のかわりに身体に巻いていた衣が、肩からずり落ちた。
女は幼子を抱えていたらしく、夏の夜風を肌に受けた子供は、くしょん、とちいさく、くしゃみをした。
趙雲は立ち上がると、母子のために、ずりおちた衣をかけなおしてやった。
そして、だれも起こさないように、ふたたび足音を殺して、もとの座っていた場所にもどる。

だれが裏切り者であるかはわからない。
けれど、孔明であるはずがなかった。
ほんの数ヶ月でなにがわかるかと、趙雲に殴り倒されたあと、糜芳は言ったが、逆に趙雲は、おまえたちはこの数ヶ月なにを見てきたのかと思う。
地道ではあったけれど、毎日のように、冷たい敵意のなかで、けんめいに曹操の南下にそなえて準備をしていたのは、いったいだれのためだったと思っているのだろう。
そして、孔明や自分に対して疑いのまなざしを向けているのは、ひとりやふたりではないということが、趙雲の心を塞いでいた。

「こんな連中のために、とか思っていないか」

趙雲があわてて立ち上がろうとするのを、いつのまにか背後に座っていた劉備は、肩をつかんで止めさせた。
劉備が背後にいることすら気づかず、考え込んでいたおのれを恥じた。
「主公、お休みにならねば」
趙雲がいうのを、劉備はまた、手ぶりで止めた。
「固いことをいうなよ。わしも眠れないのだ。情けなくてな」
「なにをおっしゃいますか」
言いつつ、趙雲は、月光に輪郭を浮かび上がらせる劉備の横顔を見る。

その顔は、だれが見てもわかるほど、落ち込んでいた。
子供のようにしょんぼりしている。

短慮にも、怒りにまかせて糜芳を殴り倒したことを、趙雲は後悔して、謝罪しようとしたのだが、しかし、なかなか言葉をうまく選べない。
こういうとき、孔明ならなんと言うだろうか、などと考えたが、やはりうまくいかなかった。
「主公だ、将軍だ、劉予州だ、などと持ち上げられて、結局はこのザマだもの。裏切っちまえと思うやつがいたって、ちっともふしぎじゃねぇし、そいつを責められるだろうかね。
儂がもしガキで、逆に儂についていかなくちゃならん立場だったら、この親父は頼りにならねぇと、さっさと逃げたと思うのだ」
「けれど、民は逃げずに主公に従っております。主公の仁徳を慕ってのことでございますぞ」
「だといいがなあ。結局、ほかに道がないから、とりあえずこの親父に従うか、というところじゃねぇのかな、とも思うよ。
そして、わしはそういう民を責めることができないほど、無力で意気地のない親父なのさ」
「卑下なさいますな。それがしまで悲しくなります」
趙雲が言うと、劉備は、すこしだけ口角をあげて、趙雲の背中をかるく叩いた。
「おまえは、ほんとうに、この数ヶ月で変わったな。
もしも十五のときのおまえをここに連れてくることができて、いまのおまえを見せたなら、いったい、だれだ、こいつは、ってびっくりするのじゃねぇかな。いいことだよ」
「そうでしょうか」
「結局、人は人のなかにおのれを見い出す。
おまえは孔明という鏡の中に、自分の姿をようやく見つけたというわけだ」
「鏡、でございますか」
「ああ、大事にしろよ」
なにか遺言のようだと趙雲は思い、同時に、そんな連想をするおのれを、趙雲は恥じた。

劉備は、しばらく黙って、趙雲がそうしていたのと同じように、地面の上に横になる民の姿を、じっと見つめていた。
「民が儂にそっぽを向くのはかまわねぇ。そいつは『不徳の致すところ』ってやつだ。
儂がいやだなあと思うのは、おまえや孔明みたいに、どんなつらいことでも、黙って知恵をしぼってなんとかしようとしてくれる連中が、きちんと仲間から評価されずに、いじめられることなのだ。
そして、おまえたちが心をゆがませて、どうしてこんなやつらのために、命を削って戦わなくちゃならねぇんだと恨みに思うようになるのが、もっと怖い」

それはないと、趙雲はすぐには答えることができなかった。
昔なら、それこそ数日前のおのれなら、劉備のことばを何も考えずに否定することができただろうと思う。

「世の中には、けんめいに言葉を尽くしても、なかなか理解できねぇ、とんちんかんが、残念ながら、たしかにいる。
感覚が、さっぱりちがうのだろうな。
儂は若い頃、そういうやつらが許せなくて仕方がなかった。
どうしてやるべきことがたくさんあるってのに、逃げてしまうのか、無視できるのか、わからなかった。
けれど、いま、人の上に立つようになって、連中が逃げたくなった気持ちや、無視できた気持ちが、理解できるようになってきた。
許せるか、といったら、また別なんだが、『そう思うだろうな』とわかるようになった」
そう言って、劉備は、儂も丸くなったねぇ、などと言いながら、うすく笑った。
「おまえや孔明が、これから先に見るものは、きっと儂が見てきたものとはちがうものだろう。
けれど、そこにいるのが人間であるかぎり、儂は自信をもって言える。
人の心に絶望するな。愚かもののことばにつまずくな。
おまえの真実は、おまえの心がなにもかもから自由になった、その瞬間にあらわれる。
なんて、ちとわかりづらいかな」

劉備のことばに、趙雲は、しばらく沈黙し、つぎの言葉を待った。
なにかもっと奥に、言いたいことを隠しているように感じ取れたからである。

「子龍」
「はい」
「おまえは孔明といっしょに江東へ行け」
「もちろん。それがしは、軍師の主騎でございますゆえ」
当然のことだ、と言おうとした趙雲であるが、口をつぐんだ。
劉備の横顔は、いつになく厳しいものに転じていたからだ。
「これから言うことは、孔明にも言うな。おまえの胸だけにしまってほしい。約束できるか」
「はい」
「よし。それじゃあ言うが、もしも、孔明が江東に馴染めるようであったら、向こうが、ぜひに家臣にと言っているわけだし、おまえはそのまま、孔明を江東に置いて来い」

趙雲は、しばし言葉を口にすることができなかった。
まじまじと、民を見据えている劉備の、厳しい横顔を見つめる。
「おまえもおなじだ。もし、江東のほうがいいと思うのであれば、孔明といっしょに残れ。
そうなっても、儂はいっさい責めない。おまえたちの好きなようにするのだ」
「ありえませぬ。主公、もしもほかの者のことばに煽られているのであれば、それはちがいますぞ。
それがしはもちろん軍師も、なんのために江東に行くとお思いですか。
そのほうが悲しく思えます」
「儂はなにも、おまえらを疑って、ヤケになっているんじゃねぇよ」
「ならば、なぜでございますか」

批難をこめて趙雲が言うと、劉備は肩から大きく力を抜いて、答えた。
「子仲らを見ていたら、不安になってな。
儂はいままで、おのれのことしか考えてこなかったが、この状況で、江東を敵に回すことになったなら、孔明はどうなる。
たしかに親兄弟で敵味方になることも稀じゃない世の中ではあるが、あいつはこの先、ずっと兄貴の存在を気にしながら動かなくちゃならなくなるだろう。
ただでさえ苦労かけているってのに、儂は孔明の人生をこれ以上、ややこしいことにしたくないのだよ」
「それは、過小評価でございますぞ!」
「うん?」

劉備のことばに、趙雲はおおいに怒りを感じていた。
孔明がそれほどに小さいものだと思われていることも腹が立ったし、疲労困憊しているとはいえ、劉備の意気がすっかり下がってしまっていることに、腹が立った。

「主公はお疲れなのです。軍師は親族のしがらみに屈し、志をたやすく曲げるような変節漢ではございませぬぞ。
主公は、諸葛孔明という人間をかばっておられるようで、その実、低く見られておられるのでは!」
趙雲の声が高くなったため、しんと静まり返っていたあたりに反響し、おどろいて、身を起こした民が何人もいる。
劉備はあわてて、迷惑そうに身を起こした者に頭をさげ、すまねぇ、この莫迦が、と言いわけしつつ、趙雲の耳をぐっと引っ張った。
「莫迦、みんな疲れて寝ているんだぞ!」
「それがしも疲れておりますが、これまでは眠ることができませんでした」
「だな」
「しかし、これから眠ろうと思います」
「うん」
「そして、軍師に合流しましたなら、さっそく江東へ向かいます」
「おう」
「そして、みなが、疑って悪かったと平伏するような見事な勲功を土産に、かならず戻ってまいります! 
そして主公にも、くだらぬことを考えたものだと、ぜひ反省していただきたい!」
「ええ? なんでそこで怒る?」
趙雲がすっくと立ち上がると、劉備は、その剣幕に、しばらく口をぱくぱくとさせていたのであるが、趙雲が怒りにまかせてずんずんと、寝所へ向かうと、ようやく我にかえったのか、
「ばかー、みんな起きちまったじゃねぇかー! 戻ってこーい。戻って、儂といっしょにみんなにあやまれー!」
と背後から声をかけてきた。
趙雲は戻ることはなかったが、劉備の声は、さきほどのしょげたものとはちがって、うれしそうに笑っているように聞こえた。



朝が明けるまえに、民をつれた一行は三方に分かれた。
結局、趙雲にたいし悪感情のぬぐえない糜芳は、ずっと口をきくことはなく、かわりに糜竺が、しきりにすまなかったと謝って来た。
趙雲にしても、あまりに糜竺がすまなさそうにするので、申し訳なくなり、短慮にすぎたと謝罪したのであるが、受け入れたのは糜竺だけで、やはり糜芳はなにもいわずに、黙って荊南へと民をつれて去っていった。

それを見て、なにやら面白い見世物を見たようにわらっている劉封らを思い切りねめつけて、趙雲は、これではたしかに、劉備が、親族同士で争うことになるかもしれない孔明のことを心配する気持ちがわかると思った。
兄と弟、養父と養子。
一緒に苦難を乗り越えるべきこのときにあっても、なぜに争うことがあるのか。
劉備は絶望するなと言ったが、これと見込んだ若者が、このように和を乱す真似を平気でするのを目の当たりにしては、心穏やかであるはずがない。
それなのに、自分たちの将来を案じてくれる。
優しい方だと、趙雲はようやく気づいて、それに気づかなかった昨夜のおのれを責めた。

謝罪しようと劉備を見れば、これはどういうわけか酔っ払っている。
戸惑いつつも、劉備に頭を下げようとした趙雲であるが、劉備は薄暮のなか、うれしそうに歌まで唄いながら、言った。
「よお、子龍。ちゃんと眠れたか? おまえには感謝せねばならん。
なにせ、おまえの声で起きた民と話をすることができたのだよ。これがやたらと面白い。
連中が言うのだよ。先祖伝来の土地を捨てるのは、身を引き裂かれるような思いであったけれど、この七年間、ずっとおのれを守ってくれた父にも等しい劉予州を見捨てたら、男がすたると思ったので、家族を引き連れてついてきたと、こういうのだ」
劉備はそういって、愉快そうに、声をたてて笑った。
「儂を見捨てちゃいかんと思ったというのだぞ。
儂が民を見捨てずにつれてきたのではない。民が儂を見捨てないで、ここまで連れてきてくれておったのだ。
いや、儂はほんとうに思い上がっておったわ。
人というものは、ほんとうに愉快なものだな。
なんだか楽しくなっちまって、そのあと、こっそり持ってきた酒甕をあけて、みなで酒盛りよ。
いや、盛り上がること、盛り上がること。なあ、益徳」

劉備に呼びかけられて、馬上の張飛は、どうやらめずらしくも二日酔いにかかっているらしく、うるさそうに答えた。
「ひでぇ酒だよ。なにが入っていたのだかわかりゃしねぇ。
くそっ、いま敵が襲ってきたら、昨日の倍は相手にできるな
……って、そこ! 俺の耳のとどく範囲で銅鑼を鳴らすな! おとなしくしてろい!」
出立の合図をするための銅鑼を鳴らす係である怒られた兵士は、銅鑼がならないように、あわてて揺れる銅鑼に飛びついて止めた。

趙雲は、なんだかおかしくなってきて、つられて笑っていた。
こんな困難のなかにあっても、陽気な連中だと思う。
江東がたとえ東華のごとき国であったとしても、かれらが陽気さをうしなわないように、かならず帰ってこようと、趙雲は決意をあらたなものにした。

つづく……
次回、最終回!
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小説
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