※
「二度あることは三度あるか。まるでシンデレラのような見事な逃げっぷりであったな、あの119番。名前の記載欄に『法孝直』と書くほどのユーモアセンスの持ち主であったのに、惜しい。じつに惜しい」
と言いながらも、劉巴は、さすがにショックを隠せないでいる孔明に言うのであるが、もはや喜色をかくさずに、ちらり、ちらりと孔明を見る。
その視線を受け流しつつ、孔明はすっかりうんざりしてたずねた。
「あの、劉曹掾、この際ですから一気に確認したいのでありますが、もしや、荊州時代に、わたしの呼びかけにも答えず、南の蛮地へ旅立たれてしまったのは、単に志が云々というよりも、わたしの困った顔が見たかったからなのでございますか」
「そうだね」
「………成都に入ったときに、なかなか主公の前に出てくださらなかったのも?」
「そうだね」
「張飛を怒らせたのも、もしや」
「あれはじつに効果的だったね」
「なぜまた………」
「なぜと聞くかね。君のその困り顔、悲しげな顔は、見ているだけで、じつにゾクゾクとしてくるのだよ」
「風邪では」
「野暮なことを言う。この心の意味を知りたいかい」
「結構です」
どうしてわたしの周りには、こんなタイプばかりが集るのだろうと嘆息する孔明のもとへ、偉度が文偉と休昭をともなってあらわれた。
文偉と休昭は、なにを考えているのやら、目をきらきらと輝かせて、孔明の前にあらわれた。
しかもいつになくめかしこみ、文偉にいたっては、衣を香で焚き染めてきたらしい。
この匂いは、青雲アモーレ。
煙がすくなく、愛らしい形が自慢の一品です。
やる気に満ち溢れた二人と対称的に、偉度は面倒そうに孔明に言った。
「119番に逃げられたそうですね、おめでとうございます。とりあえず、次点の二人を連れてまいりました。煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」
「焙るという手もあるよ」
と、劉巴がにこやかに言う。
「残念ながら、わたしには、おまえたちを煮るつもりも焼くつもりも焙るつもりもない。義兄弟の話は終わりだ。孔明は三度、義兄弟の申し込みをして、三度とも断られた。それでよかろう。
わたしの生涯にやたらついてまわる三という数字が出てくるので、世間的にも妙に納得できる話になるであろうし」
言うと、文偉と休昭が、ぶうぶうと不平を鳴らした。
「せっかくここまで参りましたのに! 義兄弟に選ばれないとしても、せめて残念賞として、副賞のプリンスエドワード島旅行をいただけませんでしょうか!」
文偉のことばに、孔明は怪訝そうに眉をしかめた。
「プリンスエドワード島? なんだ、それは」
「あ、プリンシベ島でございましたか」
「プリンシベ島も知らぬ。ああ、そうか、H.I.Sに電話をして、キャンセルをしなければ」
「ええ? なぜでございますか。キャンセルするくらいならば、われらに下さいませ。義兄弟の話は気持ちよくすっぱりと忘れますので、ぜひ!」
「ああそうだ、言うのをすっかり忘れていたよ」
と、劉巴がまたも口をはさむ。
「副賞のP島だがね、なくなってしまったのだ」
「わたしの代わりに、キャンセルしてくださったのですか?」
孔明が問うと劉巴は首を振った。
「いいや、許長史が、『ちょっと行ってくる』と言いながら、持っていってしまったのだ」
「なにぃ!」
と、叫んだのは、休昭と文偉である。
「副賞を、横から取ってしまうなんてひどい! いくら父上の上役にあたる方でも許せぬ!」
「いまから追いかけて、ついでにわれらも連れて行ってもらおう、プリンスエドワード島!」
意気込むふたりに、孔明はふしぎそうにたずねた。
「おまえたち、いったい、さきほどからプリンスエドワード島だの、プリンシベ島だのと、なんなのだ? あの副賞のP島とは、おまえたちが望んでいるような観光地ではないぞ。そも、義兄弟が決まってしまった場合の保険としての最後のトラップだったのだからな」
孔明のことばに、文偉と休昭は、目をぱちくりとさせて鸚鵡返しにする。
「とらっぷ?」
「そんなに行きたいというのならば、これも経験のうち。行ってこい、パノラマ島」
「パ、パノラマ島!」
ちらりと孔明が見れば、もはやそこには文偉の姿も休昭の姿もなくなっていた。
「どこへ消えた」
孔明が尋ねると、偉度は、やれやれといったふうに答える。
「100メートル10秒切っているんじゃないか、という勢いで逃げました。しかしパノラマ島とは、許長史なら、すっかり馴染んでしまわれているのでは。
というか、おまえたち全員を、わたしが面倒みてやろうとか言い出して、島にいるフリークスをぞろぞろと連れて帰ってくるにちがいない。わたしはごめん蒙りますよ、これ以上の変わり者が、左将軍府に増えるのは」
変わり者ということばに、孔明はちらりと劉巴を見る。
「まったくだ」
そう答えて、孔明は嘆息した。
今日はほんとうに、厄日だ。
西の空が、あざやかなキツネ色に転じているのを執務室から眺めつつ、孔明は深く嘆息した。
おまけ
偉度が見つけたとき、趙雲は、巡察の結果報告をまとめているところであった。
「軍師の義兄弟の募集の告知を、ご存知なかったのですか」
問うと、趙雲はてきぱきと筆を動かしつつ、偉度のほうはみずに答えた。
「知っていた」
「では、なぜ無視してらっしゃったのです。気恥ずかしかったとか」
「そうではない。第一、俺は軍師の義兄弟になるつもりはない」
「ほう。それでは、どこの馬の骨ともわからぬ輩が、軍師の義兄弟になっても、黙ってみているおつもりか」
偉度が目を細めてたずねると、ようやく趙雲は顔をあげて、言った。
「あたりまえではないか」
「あたりまえ? なぜでございますか」
「軍師が、たとえだれを義兄弟にしようと、それが俺に、どういう影響がある」
突き放したような趙雲のことばに、偉度はおおいに顔をしかめ、口をとがらせた。
「軍師がなにをしようと、どうでもいいとおっしゃるのか」
「そうではない。軍師が、だれと義兄弟の契りをかわそうと、俺自身には、なにも変わりがないからだ」
「は」
「軍師がどうあれ、俺の心は変わることはない、と言ったほうが、おまえ好みの答えかな」
「えーと、つまり」
「つまり、軍師が変わったとしても、俺の位置は変わらぬ」
「はあ」
「ヒトに変わるなと言うほうが、どうかしていると思うぞ。そこで焦るよりも、つねに己は同じところにいるのだということを、黙って示すべきだ」
「………」
「わかったなら、もうよかろう。仕事がまだ続くのでな」
「………」
偉度は沈黙のまま、政務にもどる趙雲をしばし見つめていたが、やがて踵を返して立ち去った。
その後も、孔明の義兄弟候補は、あらわれていない。
おわり
やっと終わり! 御読了ありがとうございました。
(サイト「はさみの世界」 初出2006/04/12)
「二度あることは三度あるか。まるでシンデレラのような見事な逃げっぷりであったな、あの119番。名前の記載欄に『法孝直』と書くほどのユーモアセンスの持ち主であったのに、惜しい。じつに惜しい」
と言いながらも、劉巴は、さすがにショックを隠せないでいる孔明に言うのであるが、もはや喜色をかくさずに、ちらり、ちらりと孔明を見る。
その視線を受け流しつつ、孔明はすっかりうんざりしてたずねた。
「あの、劉曹掾、この際ですから一気に確認したいのでありますが、もしや、荊州時代に、わたしの呼びかけにも答えず、南の蛮地へ旅立たれてしまったのは、単に志が云々というよりも、わたしの困った顔が見たかったからなのでございますか」
「そうだね」
「………成都に入ったときに、なかなか主公の前に出てくださらなかったのも?」
「そうだね」
「張飛を怒らせたのも、もしや」
「あれはじつに効果的だったね」
「なぜまた………」
「なぜと聞くかね。君のその困り顔、悲しげな顔は、見ているだけで、じつにゾクゾクとしてくるのだよ」
「風邪では」
「野暮なことを言う。この心の意味を知りたいかい」
「結構です」
どうしてわたしの周りには、こんなタイプばかりが集るのだろうと嘆息する孔明のもとへ、偉度が文偉と休昭をともなってあらわれた。
文偉と休昭は、なにを考えているのやら、目をきらきらと輝かせて、孔明の前にあらわれた。
しかもいつになくめかしこみ、文偉にいたっては、衣を香で焚き染めてきたらしい。
この匂いは、青雲アモーレ。
煙がすくなく、愛らしい形が自慢の一品です。
やる気に満ち溢れた二人と対称的に、偉度は面倒そうに孔明に言った。
「119番に逃げられたそうですね、おめでとうございます。とりあえず、次点の二人を連れてまいりました。煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」
「焙るという手もあるよ」
と、劉巴がにこやかに言う。
「残念ながら、わたしには、おまえたちを煮るつもりも焼くつもりも焙るつもりもない。義兄弟の話は終わりだ。孔明は三度、義兄弟の申し込みをして、三度とも断られた。それでよかろう。
わたしの生涯にやたらついてまわる三という数字が出てくるので、世間的にも妙に納得できる話になるであろうし」
言うと、文偉と休昭が、ぶうぶうと不平を鳴らした。
「せっかくここまで参りましたのに! 義兄弟に選ばれないとしても、せめて残念賞として、副賞のプリンスエドワード島旅行をいただけませんでしょうか!」
文偉のことばに、孔明は怪訝そうに眉をしかめた。
「プリンスエドワード島? なんだ、それは」
「あ、プリンシベ島でございましたか」
「プリンシベ島も知らぬ。ああ、そうか、H.I.Sに電話をして、キャンセルをしなければ」
「ええ? なぜでございますか。キャンセルするくらいならば、われらに下さいませ。義兄弟の話は気持ちよくすっぱりと忘れますので、ぜひ!」
「ああそうだ、言うのをすっかり忘れていたよ」
と、劉巴がまたも口をはさむ。
「副賞のP島だがね、なくなってしまったのだ」
「わたしの代わりに、キャンセルしてくださったのですか?」
孔明が問うと劉巴は首を振った。
「いいや、許長史が、『ちょっと行ってくる』と言いながら、持っていってしまったのだ」
「なにぃ!」
と、叫んだのは、休昭と文偉である。
「副賞を、横から取ってしまうなんてひどい! いくら父上の上役にあたる方でも許せぬ!」
「いまから追いかけて、ついでにわれらも連れて行ってもらおう、プリンスエドワード島!」
意気込むふたりに、孔明はふしぎそうにたずねた。
「おまえたち、いったい、さきほどからプリンスエドワード島だの、プリンシベ島だのと、なんなのだ? あの副賞のP島とは、おまえたちが望んでいるような観光地ではないぞ。そも、義兄弟が決まってしまった場合の保険としての最後のトラップだったのだからな」
孔明のことばに、文偉と休昭は、目をぱちくりとさせて鸚鵡返しにする。
「とらっぷ?」
「そんなに行きたいというのならば、これも経験のうち。行ってこい、パノラマ島」
「パ、パノラマ島!」
ちらりと孔明が見れば、もはやそこには文偉の姿も休昭の姿もなくなっていた。
「どこへ消えた」
孔明が尋ねると、偉度は、やれやれといったふうに答える。
「100メートル10秒切っているんじゃないか、という勢いで逃げました。しかしパノラマ島とは、許長史なら、すっかり馴染んでしまわれているのでは。
というか、おまえたち全員を、わたしが面倒みてやろうとか言い出して、島にいるフリークスをぞろぞろと連れて帰ってくるにちがいない。わたしはごめん蒙りますよ、これ以上の変わり者が、左将軍府に増えるのは」
変わり者ということばに、孔明はちらりと劉巴を見る。
「まったくだ」
そう答えて、孔明は嘆息した。
今日はほんとうに、厄日だ。
西の空が、あざやかなキツネ色に転じているのを執務室から眺めつつ、孔明は深く嘆息した。
おまけ
偉度が見つけたとき、趙雲は、巡察の結果報告をまとめているところであった。
「軍師の義兄弟の募集の告知を、ご存知なかったのですか」
問うと、趙雲はてきぱきと筆を動かしつつ、偉度のほうはみずに答えた。
「知っていた」
「では、なぜ無視してらっしゃったのです。気恥ずかしかったとか」
「そうではない。第一、俺は軍師の義兄弟になるつもりはない」
「ほう。それでは、どこの馬の骨ともわからぬ輩が、軍師の義兄弟になっても、黙ってみているおつもりか」
偉度が目を細めてたずねると、ようやく趙雲は顔をあげて、言った。
「あたりまえではないか」
「あたりまえ? なぜでございますか」
「軍師が、たとえだれを義兄弟にしようと、それが俺に、どういう影響がある」
突き放したような趙雲のことばに、偉度はおおいに顔をしかめ、口をとがらせた。
「軍師がなにをしようと、どうでもいいとおっしゃるのか」
「そうではない。軍師が、だれと義兄弟の契りをかわそうと、俺自身には、なにも変わりがないからだ」
「は」
「軍師がどうあれ、俺の心は変わることはない、と言ったほうが、おまえ好みの答えかな」
「えーと、つまり」
「つまり、軍師が変わったとしても、俺の位置は変わらぬ」
「はあ」
「ヒトに変わるなと言うほうが、どうかしていると思うぞ。そこで焦るよりも、つねに己は同じところにいるのだということを、黙って示すべきだ」
「………」
「わかったなら、もうよかろう。仕事がまだ続くのでな」
「………」
偉度は沈黙のまま、政務にもどる趙雲をしばし見つめていたが、やがて踵を返して立ち去った。
その後も、孔明の義兄弟候補は、あらわれていない。
おわり
やっと終わり! 御読了ありがとうございました。
(サイト「はさみの世界」 初出2006/04/12)