平安京エイリアンは、1979年に電機音響より発売されたビデオゲーム。東大の理論科学グループ(略称:TSG)が開発したということで、当時は東大生が作ったゲームとして話題となった。ゲームボーイ版平安京エイリアンは、株式会社メルダックより1990年に発売されている。
オリジナルの平安京エイリアンは、開発元の電機音響が平安京エイリアンの後、1作でビデオゲームより撤退したということもあってか、知名度の割には移植が少ない。有名なのは、学研の電子ゲーム版とPC-8001版。ゲームボーイ版は、ほぼ10年後と遅かったこともあってか、オリジナルとアレンジモードが付いている。95年には、日本物産よりSFC版も出ている。この時は、ニチブツアーケードクラシックス2として発売。その時点でニチブツにライセンスがあったので移植することができたらしい。
パッケージ背面。このゲームボーイ版の最大の特徴は、音楽が良いこと。MMSS=マルチ・マトリックス・サウンド・システムというのを搭載しており、2台を繋ぐと別々の音楽が流れる様になっていた。
このゲームを企画したナムコ出身の中潟憲雄氏の妻の兄が、平安京エイリアンの開発者であったため、アドバイスや資料などの面で協力を受けることが出来たのだそう。また源平討魔伝の京都面に平安京エイリアンが出現するのもこのため。なので、このゲームボーイ版の平安京エイリアンと本家電子音響版の平安京エイリアンとの間には、ただならぬつながりがあった。いわば正統性のある後継なのですね。太田出版から発売された超アーケードには、この平安京エイリアンの開発秘話等の貴重なインタビューが収められている。
個人的に思い入れが深いのは、学研より発売されたLSIゲームの平安京エイリアン。こちらはアーケード版とほぼ同時期に発売され、単純な動きしか作れない電子ゲームで、どうやってあの穴を掘って埋めるという複雑なゲームを再現するのかと謎だった。また、平安京エイリアンといえばゲームセンターあらし。こちらも代名詞と呼べるほどの関係で、当時I/O誌に掲載された攻略法が、漫画内で紹介されて一躍有名になった。ということでアーケード版の登場とほぼリアルタイムで発表されて、ゲームの世界観を広げることに一役買っていた。
前述のように平安京エイリアンは、開発元の電気音響が2作でゲーム製造より撤退したためかファミコンにも移植されず、有名なわりには移植にはあまり恵まれなかった。そのため、このゲームボーイ版が出た時には約10年後と時期を逸していて、ある意味時代遅れになっていた。けれど元々移植されることが少ない作品でもあったので個人的には嬉しくて、このためにわざわざゲームボーイ本体を手に入れたほど。オリジナルモードは、ハードの関係で迷路が小さかったけれど、電子ゲーム時代に夢にまでみた家庭用の平安京エイリアンということで感激したものです。この記事作成時にゲームボーイが30周年だそうで、ゲームボーイから1本を選べというお題には個人的にはこのゲームを挙げよう。
ゲームボーイ版平安京エイリアンは、こちらでも紹介されている。ということで、今なお色あせない魅力を持つゲームボーイ版平安京エイリアンでした。
参考:Wiki 平安京エイリアン、電気音響の項、ゲームセンターあらし/すがやみつる・小学館、超アーケード・太田出版