カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-714 『牛』

2013年03月30日 | 日記






ぼお~と、遠いとこ見てる夢遊病者みたいな時間を潰してたんだね。

ふっと、気づいたらパソコンが消灯してる。べつに、思い悩んだり考えたりしてた訳じゃない。

ただ、ぼお~としてたんだね。意味の無い時間を、意識を遮断して浮遊してたんだね。なんか、ため息ついてるよ。






人が、嫌だよ、しんどいよって云ってるのに 「わっはははは」 は、ないわなあ。オレって、ホントに馬鹿だね。

なんか、気の利いた台詞が云えんかねえ。 「無理でしょう」 だろうねえ。 

「意識遮断して考えてないって、考えてんじゃないの?」 あっ、そうか。



















自分を生きるか・・・生きてきた積りなんだけどね? そうだったかなあ?

こんなのを考えると、独り、噴出すように笑ってんの。アホだから、まとまりなく漠然としか見えないよ。

今、生きてんだから、生きてきたんだろ? 「その程度かよ?」 






不満に慣れ親しみ過ぎたかねえ? 剥いて云えば、不満の上の満足で誤魔化して生きてきたんだろうね。

我慢強いのも考えもんだね。いつも、向き合ってる自分がどうしようもない奴だからね。こって丑だね。

丑そのものだね。踏ん張ったら動かねえよ。






子供の頃、バスに乗って大和川に遊びに来て土手に上がったら茶色い大きな牛が、口をモグモグさせて此方を見てる。

当時の大和川は、今とは違い清流の川だった。川底は、細かな砂利で、透ける水の中を魚たちが泳ぎまわっていたよ。

膝ほどの深さの川に入り、一日、友達と遊び呆けたね。見上げると、牛が口をモグモグするだけで、同じ位置で変わらない。



















夕陽が川面を染める頃、土手に上がると、やっぱり、牛は、口をモグモグさせるだけで、来たときと同じだね。

バイバイって、手を振ってさよならして土手を降りて振り返っても、牛は、来たときと一緒だったよ。

オレも、あいつと同じだね。




土手は、砂と子砂利の自然道だった。遠里小野(おりおの)辺りの堤防から見渡して、今ほど高い建物などなかったね。遠い昔だね。




「牛の写真どうした?」 世の中には器用な人が居るんだね。ちょっと、お借りして貼ったの。

「軽犯罪じゃないか」 鉄板みたいなこと云うなよ。凄えって思ったから貼ったんだよ。「どう思おうが泥棒じゃねえか」

こんなのも在りますよって、宣伝してんだよ。「頼のまれもせんことすんな」 盗られんのが嫌だったら出すな。




オレのん、欲しかったら勝手に使っていいよ。「誰が使うかっ」 だろうね。



















長い人生、大方のことは忘却の彼方なんだろうに、あの牛は、よく覚えているよ。あいつは、オレを覚えていてくれたかなあ?

時は流れ往くんだねえ。これからの十年は長い、過ぎ去り降り返る十年は「あっ」と云う間なんだね。

あのときの牛は、肉になり、人間の胃袋満たして消化されたんだろうね。「世界残酷物語」だね。映画で有ったね。






オレも、然程の内容の変化もないままに、おっさんになってしまったよ。どうでもええわい。






でも、大和川は、昔と変わらず、今日も流れているよ。おまえも、汚くなったねえ~老けたんかあ? 「おまえら、人間のせいじゃっ」

昔は、すっぴんでも透けるように綺麗だった。

今は、なんとか厚化粧で誤魔化して、ややもすれば綺麗にも見えるまでには回復したかね? 「ヘドロの上に砂をまぶしているだけよっ」






結局、オレも、死ぬまで変わらんのだろうね、子供の頃に見た牛と同じ、変わらぬままに、ただ消え去るのみだね。









あっ、明日の土曜は休みだねっ。そうかあ~最近、土曜出勤続いてたから思い違いしてた。儲けたあ~。こういう思い違いってのは、いいねえ~。
























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