七技会のひろば

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「眠れる美女」

2013年07月09日 | お話サロン
東京は新橋、汽車ぽっぽに程近い居酒屋を拠点とする飲兵衛(うち一人は全くの下戸)4人の集まりがあります。
そのグループ内をメールが飛び交っています。
ご機嫌伺いに始まり、各種情報、写真、時には生き様、等々等。
この一環として舞い込んだのが今回掲載の作品「眠れる美女」
さっそく「七技会のひろば」に近況報告として掲載させていただくようお願いしました。
当初は、そんなつもりで書いたのではなく、あくまでグループ内のお話しとして云々との反応でしたが、
最後は快くご了承いただきました。
と言うことで、以下は「波多野さんの読後感想文風の近況便り」です。
ゆっくり読んでいただき、感想をお寄せください。
宛先は 7gikai@mail.goo.ne.jp です。
波多野さん、ありがとうございました。
                                           米田

訂正:
「感想等の送付先メールアドレス」に誤りがありました。
正しくは、 7gikai@mail.goo.ne.jp です。
訂正します。
ゴメンナサイ。


追記(2013.08.04):
投稿者のご意向を慮り「改行及び行明け」を全て原文に戻しました。
波多野さん、勝手に原文に手を入れたこと、お詫び申し上げます。
済みませんでした。






          「眠れる美女」
                         波多野


最近必要があって川端康成後期の傑作と言われる中篇小説「眠れる美女」を読みました。もう男廃業も間近い厭世と寂寞におそわれた有閑老人が、 睡眠薬で眠らされた全裸の美少女の肉体を透して訪れつつある死を凝視するという、極めてデカデント (退廃的)な小説です。

なぜ今頃川端康成のそんな没道徳的作品を読んだかと言うと、南米コロンビアのノーベル賞作家ガルシア・マルケスがこの小説に触発されて書いた短編「眠れる美女の飛行」を現在通っているスペイン語学校で購読中で、その読後感を教室でコメントするための参考にしたかったからです。ガルシア・マルケスの小説の主人公(著者自身らしいコロンビア人老作家)はパリからニューヨークへ向かうファーストクラスの座席で、古代のオーラを湛えた20歳前後の絶世の美女と隣り合い年甲斐もなく胸がときめきます。しかし彼女の方は飛行機が離陸してベルト着用のサインが消えたとたん、座席を水平レベルにまで倒し、スチワーデスにどんなことがあっても起こさないよう頼み、睡眠薬を飲んでさっさと寝てしまいます。

結局美女はシャルルドゴール空港からケネディー空港までの8時間余り死んだように眠り続ける訳ですが、彼女と親密な関係になりたいとの下心のあった主人公はすっかり期待はずれになってしまい、止む無く彼女と同じ水平レベルにまで座席を倒し、同じベッドの中にいるような気分になって眠れる美女の顔を見ながらさまざまな妄想に耽ります。そんな中で前年に読んだ日本の作家川端康成の「眠れる美女」を思い起こし、この快楽の精髄は美女が眠るのを見ることにあると悟り、その老境の洗練を理解するというお話です。

一方、この小説のネタ本となった川端康成の「眠れる美女」のほうは、京都の有閑老人(67歳)が、途方も無い金を支払って海浜の崖下にある秘密クラブに「安心できるお客様」として入会し、強い睡眠薬で前後不覚に眠らされた全裸の美少女に添い寝をしながら一夜を過ごす物語です。眠れる美女のみずみずしい肉体を透してかっての恋人や自分の娘、死んだ母親の断想や様々な妄念、夢が老人の胸に去来します。

この秘密クラブでは女の子に対する悪ふざけや性的行為、覚醒行為は一切禁止されています。世俗的には成功者である有閑老人たちは、近づく死の恐怖、失った青春の寂寞が胸の底から突き上げてくるとここを訪れ、「秘仏のような」熟睡した美少女に添い寝をし、「自分の存在がみじんも通じない」性的対象に陶酔、没入します。この小説の主人公の老人はまだ完全に男の機能を失ったわけではないので、時には熟睡した全裸の美少女を前にして本能が触発されそうになりますが、かろうじて押しとどまりその自制行為のなかに自虐的な快楽を見出します。主人公は数か月の間に6人の美女たちと同衾しますが、5人目の少女は飲まされた睡眠薬が効き過ぎ夜半に死んでしまいます。しかしあらかじめこのことを予期していた秘密クラブのやり手婆さんが6人目の「スペアー」の美女を用意してあったので、この没道徳的な閉塞世界は何事もなかったように継続すると言う、全く出口のない虚無の世界を描いた小説です。

人によっては「眠れる美女」は成金変態老人の妄想世界をねちねちと描いた低俗読物に過ぎないと言う人がいるかもしれません。現に我がスペイン語クラスの女性たちの間では川端康成変態老人説が有力です。しかし世評の多くは、「眠れる美女」は訪れつつある死を凝視する老人のデカダンスを描いた傑作と見ているようで、これまで日本で2回、海外で3回映画化されています。だからこそコロンビアの作家ガルシア・マルケスもこの小説に触発されて「眠れる美女の飛行」を書いたのでしょう

両小説の共通点はテーマが「老人の性」であることと、作者二人がともにノーベル文学賞を受賞していることです。ガルシア・マルケスの小説では老人の美女への執着、憧憬が健康なエロティシズム漂う簡潔な文体でさらっと描かれていて、背徳・退廃的な匂いはみじんも感じられません。私はこれまでに彼の代表長編小説「百年の孤独」やその他の中短編を数冊、スペイン語勉強を兼ねて読みましたが、ほとんど全ての作品がヨーロッパ、アメリカ大陸を舞台にしていて物語の内容も多かれ少なかれ社会との関わりを持っています。彼は85歳の現在でもなお健在で、コロンビア国内で政府とゲリラ軍との停戦交渉を仲介するなど種々政治的活動を行っています。常日ごろから積極的に社会に係わっているガルシア・マルケスにとって、老人の若い美女への愛着を描いた「眠れる美女の飛行」は彼の幅広い作品の中では数少ない例外的な小説だと私は思います。

一方、川端作品のほうですが、熟睡した美女たちの執拗綿密な肉体描写が延延と続く閉ざされた病的、退廃的世界に私などは辟易してしまいますが、これが不道徳や悪を否定せず、「美」のみに価値を置く耽美主義(文学)の精髄なのでしょう。 私は世界に類をみない日本の私小説固有の陰湿な男女関係の話が好きではありません。私は何故彼がノーベル賞を受賞したのか今でも理解できませんが、当時の旧ソ連の政治的圧力により、本命の三島由紀夫から急きょ川端康成に変更になったという話を知り成程と思いました。ちなみに今日本でノーベル文学賞に一番近い作家と言われる村上春樹は「嫌いな作家」の第一に川端康成を挙げていますが、これは広く一般人の目線で画かれた村上ワールドと、閉ざされた耽美世界にのみフォーカスする川端文学の違いからすれば当然でしょう。ただ、川端康成作品に対する好き嫌いは別にして、「眠れる美女」が老人の心の奥底に沈殿している死への恐れと、老いとは対極な存在である美少女への異常な執着ぶりを表した、耽美主義文学の傑作と言われているのはどうやら事実のようです

以上、東西ノーベル賞作家二人の似たような題名の作品を紹介しましたが、これらの小説のテーマに関しては遠の昔に卒業した(?)後期高齢者世代に属するわれわれは、近づくOtro mundo(スペイン語で別世界の意)を前に何を心の支えにして生きて行くのでしょうか? それは絵画、写真、外国語、スポーツなど趣味の世界、またはボランティアなど社会活動なのでしょうか? それとも格別専心できるものもなく、ただこの世に未練のある往生際の悪い老人として死ぬまで生き永らえて行くのでしょうか? 登山家の三浦雄一郎は80歳でエベレスト登頂に成功し、その下山途中に早くも次の計画(世界第六位の高峰からのスキー滑降)を立てています。彼の一連の冒険登山を金持ちジイサンの売名道楽として片付けるのは簡単ですが(わたしも或る程度は同感ですが)、いかに経済的に恵まれているとは言え、誰もが真似のできない「道楽」であることも事実です。彼はおそらく死ぬまで何か大きな目標無しには生きて行けない種類の人間なのでしょう。金も体力もないわれわれはとてもこうは行きませんが、さて貴兄たちならどうするか?

 一昨年の入院で臨死体験をして以来、最近残された時間について考えることが多くなり、スペイン語にかこつけ日頃感じていることをちょっと書いてみました。


(後記)
ガルシア・マルケスについてちょっとした私的なことがらをひとつ。17年前に南米コロンビアへ赴任し30年ぶりにスペイン語学習を再開したのを機に、コロンビア滞在中に何とかして彼のノーベル賞受賞作「百年の孤独」(約400ページ)を読もうと思い原書を購入するとともに、読書のモチベーションを高めるため仕事の合間を見て物語の舞台となったカリブ海沿岸地方へ足を延ばしたりしました。しかし3年余りのコロンビア滞在中は業務多忙と語学力不足で全く手が付かず、結局そのまま本を日本へ持ち帰りました。帰国後も社業多忙を口実になかなかその気になれず、このままでは一生チャンスがなくなると思い数年前、思い切ってスペイン語学校校内誌に、私の夢は死ぬまでに「百年の孤独を」を読むことで、読破できるかどうか時間との競争だと書き自ら退路を断ちました。そして昨年春から夏へかけてなんとか読み切り、その読後感をスペイン語の先生や仲間達に報告しコロンビア以来の夢に一区切りつけました。幸い今のところまだ健在で、今回はなんとか時間との競争に勝ったようです。

目標達成に少し根をつめ過ぎたせいか、現在はちょっとした虚脱状態が続いていて、まだ次の目標へ向けてのエネルギーが湧いてきません。次の目標としてラテンアメリカ十大小説読破(原書)を考えたこともありますが、これは私にとって三浦雄一郎80歳のエベレスト登頂よりもはるかに厳しく、時間と競争しても間違いなく負けるでしょう。さてそれならどうするか? 現在思案中ですが、あまり時間は残されていません。


                                    以上