67camper's Blog

管理人67camperの空冷VW、北米輸入住宅、キャンプ、ジャズ、自転車、アコギ、カメラ、アメカジに関するログです。

THIS IS HONDA! 合掌。

2006-01-16 00:58:10 | jazz & vocal
THIS IS HONDA/本田竹廣
(TRIO PA-7005)

 クリスさん、バブさんのblogを見ていると、岩手が生んだjazz pianist, 本田竹廣氏が亡くなられたそうです。山本剛、菅野、辛島などと並ぶ自分のJapanese favorite pianistの一人でした。
  自分がjazzを聞き始めた頃に出会ったアルバムがこの"This Is Honda"です。国立音大出身でクラシックピアノを目指した彼がJAZZに転向し、トリオレコードからリリースした彼の最高傑作と思います。スタンダー ド中心で彼の唄ものに対する優れた解釈を聞くことができます。これも最初に聞かせていただいたのは新潟のジャズフラッシュだったと思います。20数年前 の、別府のストリートでライブも聞かせていただいた記憶があります。
  謹んでご冥福をお祈りいたします。


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9 コメント

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あらためて聴いています (バブ)
2006-01-16 22:38:31
TBありがとうございました。

私は、一度本田さんとお話しをさせて頂いたことがあります。

にもかかわらず、彼のアルバムを所有しておりませんでした。今日、喫茶店のマスターから2枚アルバムをお借りし、聴いております。



今宵は、あらためてバーボンを飲みながら、本田さんの冥福を祈りたいと思います。
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本田さんのことについて (Kazu)
2009-09-11 00:00:16
私が最初に本田さんの演奏を聴いたのは渡辺貞夫のグループでした。当時は本田竹彦の名前でした。板橋文夫がその後の貞夫バンドのピアノだと思います。その後本田さんのトリオや峰厚介のグループでのライブも聴きました。当時はパワフルな演奏でうなり声と良くペダルを踏み落としてしまうなんて話が伝説になっていました。真実かどうかは不明ですが。トリオからのアルバムとか幾つかのリーダーアルバムは聴いたのですがこれっていう代表作は残念ながら無かったのでは。先日コメントさせてもらったココズ・ブルースでの演奏は別格ですが。ただ、ライブで聴く本田さんは圧倒的でした。私が最後に聴いたのは10年程まえに上野広小路にある「G.H.9」のトリオでのライブです。リクエストで「誰かに見られてる」をお願いしましたが、本田さんは最初何の曲か分からなかったようで、演奏前に私に聞きにきてくれました。ミミ・ロジャースとJ.ベンジャミンが主演した同名の映画のサントラでスティングが歌っていた「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」であること告げるとすぐに分かっってくれました。とても素敵なスタンダード曲です。今も私にとっては大好きなピアニストの一人です。
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本田、菅野など (67camper)
2009-09-11 00:30:28
Kazuさん、コメントありがとうございます。
本田さんが亡くなってしまってから、もう3年も経過したのですね。あらためて古い記事を読み返すと当時の心境など思い出されて興味深いですね。
本田氏のライブは一度だけ聴きましたが、当時はフュージョン系のグループ、ネイティブサンだったと思います。印象は薄いですね。
このアルバムは当然ながら所有していたのでライブを聴いてがっかりした記憶しかありません。
個人的には日本人ピア二ストでは一番好きなのは菅野ですけどね・・・。
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タローのライブスケジュール表を見つけました。 (Kazu)
2009-09-11 23:25:12
私が70年代中頃、毎週のように通った新宿歌舞伎町のジャズ・クラブ「タロー」のライブスケジュール表をネットで見つけました。67camperさんが好きな菅野さんや本田さん、それに中村誠一さん、板橋文夫さん、ジョージ大塚グループ等のライブもこの店で何度か聴きました。料金も安く店も狭かったし客席も少なかったので出演者のギャラはあまり高くはなかったようです。ステージと客席が近いので自然とかぶりつき席状態になります。遅い時間のステージではピットインで演奏の終わったばかりの若手のプレイヤーが飛び入りで参加してジャム・セッションが始まることもありましたね。私にとってはジャズ・ライブを最も聴けた時期です。残念ながら火事になってお店はなくなってしまいましたが。当時の菅野さんはたいていウイスキーを飲みながらの演奏で、日によって演奏の出来にバラツキが激しかったように憶えています。途中で帰っちゃう人もいましたね。その日の運次第でした。

http://dolphin-dance.cocolog-nifty.com/photos/jazz_club_19741977_/index.html
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よく残っていましたね (67camper)
2009-09-12 07:57:06
Kazuさん、コメントありがとうございます。
ピットインは一度行ったことがありますが、タローに至っては場所すら知らないのです。それにしてもよくこんな紙切れが残っていたものです。このスケジュール表の74年なんて言うのは四国の高校生でした。恐らく修学旅行で生まれて初めて東京に行き、すご~いなんて感動していた時代ですから・・・。
76年に大学入って、東京は身近になりましたけど。ピットインは火事で焼失したのですね。貴重な情報ありがとうございました。
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VAN99ホールについて (Kazu)
2009-09-12 10:05:53
菅野邦彦さんの関連ですが、70年代青山通りにあったVAN99ホールで菅野さんのソロコンサートを聴いたのを思い出しました。時期は74年頃だったと思います。あまり好きな表現ではないですが「日本のE.ガーナー」みたいな宣伝パンフでした。日野グループも1度聴きました。ジャズライブ中心というわけでは無く、演劇や、ボクシング、他の音楽ライブもやっていた多目的ホールです。大学時代の同級生がVANジャケットに就職し、担当スタッフになっていました。ただ99円の入場料でジャズライブが聴けた時代は懐かしいですね。今はベル・コモンズが建っているあたりにあったと思います。67camperさんはアイビーがお好きなようなのでご存知かもしれませんが。http://www.geocities.co.jp/fmcgr918/van99hall.htm
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IVY (67camper)
2009-09-12 11:20:50
Kazuさん、コメントありがとうございます。
VANはホールまで持っていたのですね。知りませんでした。当時新進気鋭の菅野さんのライブ、凄かったでしょうねぇ・・・。エロール・ガーナー、フィニアス・ニューボーンなんてのが彼のスタイルに影響していると思います。

IVYはとても好きでした。今もですが・・・。ベル・コモンズと言うとキラー通りの角でしたっけ?近くにテイメン、ブルックス、クルーズ、ビームスとあってアイビー、アメトラ好きにはたまらない街でしたね。懐かしいです。
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菅野邦彦さんについて (Kazu)
2009-09-12 17:35:55
VAN99ホールはあらためて所在を確認したら、現在のベル・コモンズのところではなく、外苑方向から行くと南青山3丁目の交差点を100m位渋谷方面に向かったところでした。菅野さんの名前は鈴木勲「ブロー・アップ」が出る前は一部のジャズ・ファンを除いてそれほど有名ではなかったと思います。お兄さんのレコーディング・エンジニアの菅野沖彦さんはオーディオ誌等で有名でしたので、私の中ではその弟さんのジャズ・ピアニストという位の存在でした。当時のオーデイオ雑誌では菅野沖彦さんが録音した菅野邦彦さんの音源をこんなオーディオ装置で再生したら、なんて特集記事を目にすることもありましたから。主に自由が丘にあった、いそのてるおさんがオーナーの「ファイブ・スポット」とかで演奏していたように思います。ブローアップではかなり力の入ったところと、高音の鍵盤を転がすようなW.ケリーばりの素晴らしい演奏が印象的でしたがライブではパワフルとは正反対の力の抜けたリラックスした演奏スタイルだったと感じました。やや気障な帽子をかぶって、ウイスキーのグラスを片手にステージに登場する姿はW.ケリーのイメージですかね。本人もW.ケリーが好きだとのコメントを当時残してましたね。
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すがちんのバルバドス (67camper)
2009-09-12 17:55:05
Kazuさん、コメントありがとうございます。菅野沖彦氏も有名でしたが、自分にとっては弟さんのピアノは特別でした。彼のライブはそれまでにも聴いていたのですが、ある時、高知のアルテックでソロでしたがリラックスしたステージがありました。当時としては値段も安く、客席のリクエストに応えてピアノ演奏を聴かしてくれるものでした。自分がリクエストしたバルバドス(ニューボーンの演奏が有名。彼自身もFinger Poppin')を急速調で弾いてくれたのです。途中で恐らく指のもつれが会ったと思うのですが、こっちに一瞥をくれニヤッと笑ってくれたのを思いだします。ステージの後に持参していたアルバムに全てサインをいただきました。風のうわさでは、最近お酒で体調を崩されているとか・・・。
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