THIS IS HONDA/本田竹廣
(TRIO PA-7005)
(TRIO PA-7005)
クリスさん、バブさんのblogを見ていると、岩手が生んだjazz pianist, 本田竹廣氏が亡くなられたそうです。山本剛、菅野、辛島などと並ぶ自分のJapanese favorite pianistの一人でした。
自分がjazzを聞き始めた頃に出会ったアルバムがこの"This Is Honda"です。国立音大出身でクラシックピアノを目指した彼がJAZZに転向し、トリオレコードからリリースした彼の最高傑作と思います。スタンダー ド中心で彼の唄ものに対する優れた解釈を聞くことができます。これも最初に聞かせていただいたのは新潟のジャズフラッシュだったと思います。20数年前 の、別府のストリートでライブも聞かせていただいた記憶があります。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
私は、一度本田さんとお話しをさせて頂いたことがあります。
にもかかわらず、彼のアルバムを所有しておりませんでした。今日、喫茶店のマスターから2枚アルバムをお借りし、聴いております。
今宵は、あらためてバーボンを飲みながら、本田さんの冥福を祈りたいと思います。
本田さんが亡くなってしまってから、もう3年も経過したのですね。あらためて古い記事を読み返すと当時の心境など思い出されて興味深いですね。
本田氏のライブは一度だけ聴きましたが、当時はフュージョン系のグループ、ネイティブサンだったと思います。印象は薄いですね。
このアルバムは当然ながら所有していたのでライブを聴いてがっかりした記憶しかありません。
個人的には日本人ピア二ストでは一番好きなのは菅野ですけどね・・・。
http://dolphin-dance.cocolog-nifty.com/photos/jazz_club_19741977_/index.html
ピットインは一度行ったことがありますが、タローに至っては場所すら知らないのです。それにしてもよくこんな紙切れが残っていたものです。このスケジュール表の74年なんて言うのは四国の高校生でした。恐らく修学旅行で生まれて初めて東京に行き、すご~いなんて感動していた時代ですから・・・。
76年に大学入って、東京は身近になりましたけど。ピットインは火事で焼失したのですね。貴重な情報ありがとうございました。
VANはホールまで持っていたのですね。知りませんでした。当時新進気鋭の菅野さんのライブ、凄かったでしょうねぇ・・・。エロール・ガーナー、フィニアス・ニューボーンなんてのが彼のスタイルに影響していると思います。
IVYはとても好きでした。今もですが・・・。ベル・コモンズと言うとキラー通りの角でしたっけ?近くにテイメン、ブルックス、クルーズ、ビームスとあってアイビー、アメトラ好きにはたまらない街でしたね。懐かしいです。