7 認識の構造
認識の構造そのものを作品化したかのように見える『檸檬』認識は、言語認識以外ではなく、視覚・聴覚・触覚などの超越であるとともに、それらの最奥を占める存在にかかわる認識である。
一顆のレモンを膨大な不安と等置し、さらにすすんで倒置させることによって、人間への――たとえ瞬時にせよ――救済としてもたらされる。くだらなくて、みすぼらしい、小さな果実が膨大な不安を等置までせり上げる仕組みは、なによりも、両者の徹底的な対立・矛盾・齟齬・反発にある。見方を変えれば、相互に飛び交う転換のメカニズムとも言えよう。
しかも、その対立を同時と呼べそうな一瞬のうちに視ることによって、認識の本旨は全うされ、救済の意志が至福として訪れる。レモンと不安との間のこの事変はあらゆる比喩の、すべての言語表現の有り様であり構造であること、決して諧謔や狂人芝居ではないことを梶井は見抜いている。作品『檸檬』の熟成は一顆のレモンを発端としながら、あくまでも、レモン自体に語らせるストーリーの自律性によって達成されている。
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