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タナトス⑩ 生と死との永遠の戦い

2010-09-05 06:16:00 | エッセイ
「文化への不満」第六章の結論を要約するかのようにフロイトは書いている。

「文化は、最初は個々の人間を、後には家族を、さらには部族・民族・国家などを、一つの大きな単位――すなわち人類――へ統合しようとするエロスのためのプロセスである。われわれにわかるのは、それがエロスの仕事だということだけで、なぜぜひともそうでなければならないかの理由はわからない。これらの人間集団は、リビドーの力によって互いに結びつけられなければならない。なぜなら、労働共同体を作ったほうが有利だなどという必然性だけでは不十分と思われるからである。ところが、人間に生まれつき備わっている攻撃欲動――万人が互いに抱いている敵意――がこの文化のプログラムに反対する。この攻撃欲動は、われわれがエロスと並ぶに大宇宙原理の一つと認めたあの死の欲動から出たもので、かつその主要な代表者である。ところで、ここまでくれば、文化の発展の持つ意味はすでに明らかといってよいだろう。文化とは、人類を舞台にした、エロスと死の間の、生の欲動と死の欲動の間の戦いなのだ。この戦いこそが人生一般の本質的内容であるから、文化の発展を一言で要約すれば、人類の生の戦いだ。それなのにわれわれの乳母たちはこれら両巨人のこの争いを『来世についての子守唄』を歌ってなだめようとするのだ」477頁

 冒頭の「文化は、最初個々の人間を云々」は理解しづらいが、ユダヤ人であるフロイトは、原始生活からの巨視的なスパンで、人類文化史をイメージしていると解すべきだろう。彼はまた興味深いことに「労働共同体の必然性」よりもリビドーの優位を強調して、後論で展開される社会主義の問題点――「財産に対する人間関係を現実に変革する方が、どんな倫理的命令よりも効き目があるだろうということは、私にも明らかだと思われる。ところがこのせっかくの洞察も、社会主義の場合には、理想主義に基づく人間性についての新たな誤解によって曇らされ、実行しても無価値なものになってしまう」495頁――をあらかじめ提示していると言える。
「来世についての子守唄」については、訳者の注に「ハイネの『ドイツ・冬物語』に出てくる言葉」とあるので、ハイネの書を参照したが、内容文脈に影響ないと思われたので、これ以上の詮索を差し控えた。未来への希望を語って、ごまかす程度の理解で足りるだろう。