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タナトス⑥ 要約

2010-09-01 05:40:10 | エッセイ
当初、フロイトは対象欲動――異性への愛――がリビドーであって、自我欲動はそれに含めていなかった。自我は、理論的には快楽原則と現実原則の妥協の産物にしかすぎず、リビドーと区別すべきものと見ていた。ところが、対象欲動にはサディズムや征服欲も含まれていて、それらは自我欲動と密接に繋がっていると考えられた。ここでフロイトの研究に重大な転機が訪れる。「抑圧されるもの」から「抑圧するもの」へと変換され、自我についても、妥協の産物という見方から、逆に、快楽法則を抑圧するものとしての自我という見方に変わる。自我の源泉を母子一体であった口唇期以前へと遠く遡ることとなる。それがナルシシズム的な快感の起源である。そこから自我には必然的にリビドーはまとわりつくことになる。自我と対象の区別を失ってリビドー概念は欲動エネルギーとして一般化してしまい、ユングの一元論とほぼ一致してしまうことになる。