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ゾイエン・ブロージュ美術館を訪ねて

2006-03-25 06:41:05 | 物語
 ゾイエン・ブロージュが、スイスの山荘での恋人同伴のパーティーで、階段から転げ落ちて即死したという痛ましいニュースを知り合いの画商から、聞かされた。私は二十年ほど前に彼の美術館を訪れたのを思い出し、その話をした。
ところが、ブロージュに詳しいはずの画商は、話を信じないばかりか、私の作り話だと云って、苦笑して変な目で私を見た。
 足を運んだにもかかわらず、今では自分の体験を信じられないでいる。仮に夢であったとしても、あの灰色の澄んだ瞳をどうして忘れられよう。どんな美術館案内を見てもゾイエン・ブロージュ美術館の名を見出すことはないのも事実なのだ。後はあの時と同じように訪ねて確かめる以外にない。
ごく少数の愛好家を熱狂させるだけのマイナーな画家の名を冠した美術館が房総のはずれにあると聞いたとき、私はほとんど信じられなかった。首都から地図上では近いといいながら、JRの駅から海岸線に向かってバスで三十分はかかった。
大人の丈を越す葦が一面にくり広がり、北も南も見当が付かなかった。地図を頼りにする限り、いったん海岸に出て、川の河口に至り、そこを遡るのがわかり易そうだ。思いがけなく、鉄道の錆付いたレールに阻まれた。今は地図にも記されていないが、戦前、海岸の漁港とT市を貨物列車の路線が走っていたと聞いた記憶があった。すでに昼時は過ぎていたが、じりじりと照りつける真夏を思わせる日差しは、手加減を緩めなかった。私は当てずっぽうに廃線の赤茶けた二本のレールを伝って、東に向かった。浅葱色の高い空をギンヤンマが飛び交っているのを見たのは終戦直後下町の焼け跡以来であった。約十五分もすると、行く手の葦の葉陰に二階建てのベージュ色のモダンな建物を見つけた。
 間違いなく、目指すゾイエン・ブロージュの美術館であった。茫漠とした葦の草原の中に、敷地だけ刈り取られたという風情で、百坪ほどのエスカルゴ型のビルが建てられていた。ぐるりと一回りしたが、辺りは深閑として人の気配はない。入り口の垣根は丁寧に手入れが施されていた。車庫にシトロエンの2CV、草色の小型乗用車が二台、――そっと肩にふれるものがあった。ふり返ると、鳥打をかぶった一人の老紳士が微笑んでいた。
「わざわざ、この美術館へ」
 紳士の瞳は灰色に渦巻き、じっと視線をそらさない。
「いやぁ、一日に一人も来場者がないこともあるんですよ。地元の観光の目玉になると思ったのですがね。どうぞ中にお入りください、暑かったでしょう」
 残念ながら、この美術館のオーナーと思しき人物との会話はこれだけで、老人は、ドア口に私を案内すると、シトロエンに乗り込み去って行った。いくら金持ちであったとしても、紳士の神経を疑った。ブロージュの名を知っている人が日本にどれだけいるであろうか、ごく少数の画廊関係者の間で話題になる程度の非具象の画家である。
 館内は、入った途端に汗が冷たく感じるほどの完全冷房であった。
ブロージュの絵は、素人が見れば、巷で見かけるビル解体の現場からコンクリートの壁を引き剥がして来たものを額縁に入れただけと思うかも知れない。実際、この前衛画家の製作過程は、コンクリートの下地に光沢のある油絵具を幾重にもニスのようにぬったくったものだと言う。引き込まれるような焦げ茶を基調としていて、あるかなきかの黄や赤や青の原色で点や切れ込みを入れてアクセントをつけているだけという、色彩的にも地味な作品であった。
 この館には、ブロージュの絵のほかに、もう一つ見事な展示物があった。それは飛びきり美人の受付嬢で、老紳士の身内のものであろうか、館内で見かけたたった一人の人間。色白であるが、正真正銘の東洋系の端正な顔立ちである。足もとがなにかに触れて、見ると、体をすり寄せるようにして、まといついてきた灰色の猫、灰色に渦を巻くビー玉のような目でじっと見上げている。手を伸ばして抱き上げると、そっぽをむいて、するりと身をかわし女性の影に隠れた。
 「必要がありましたら説明いたします」という親切な申し出を断って、中央の吹き抜けの螺旋階段を二階にあがる。光彩、温度の管理は申し分ない。二階にはブロージュのデッサンと小品がうるさくなく上品に飾られていた。疲れたので、小椅子にかけて何気なく窓の外を見ると、海岸線の砂浜が美しい曲線を描いていた。距離にして1キロくらい先であろうか、おだやかな波のうねりにサーファーらしき姿がちらほら確認できた。時折、鈴の音がころころとじゃれるように響く、猫がついてきているのである。
 香ばしい匂いにひきつけられて、一階に戻ると、小卓にコーヒーが用意されていた。
「この猫、男性の方が大好きなんですよ」美しい女性は降りてきた猫を抱きかかえて言った。私が海岸までの路を訪ねると、地図を出して丁寧に説明してくれたあと、
「館長がおりましたら、浜辺まで自動車でお送りして、差し上げられましたのに」とやさしげに言った瞳は猫の目とそっくり。
 炎天下三十分歩いて、サーファー相手の〈海の家〉にたどり着く。私は青みがかった灰色の瞳のやさしい心遣いを思い、哀愁を帯びた水平線のかなたに思いをはせ、サザエのつぼ焼きでビールを一本空けた。そして、帰りの最終バスに乗り込んだのであった。

 もし、廃館になったとして、あの豪華な建物と大量のブロージュの絵はどうなったのか。百歩譲って、この思い出が信用できないとしても、私の書斎に飾られた、汚れた壁にも見える深みのある広がりを持つ小さな絵は間違いなく私のものである。ゾイエン・ブロージュの絵で、美術館訪問の直後に東銀座の画廊で購入したのだ。
 ブロージュの享年は六十六歳、私の歳と同じである。階段とアルコールそして美女の組み合わせには気をつけたい。 (了)

Diary
たしかアラン・ポオであったか、詩は短いものであり長い詩は二律背反だと書いていたと記憶している。この言葉は深い。古代ギリシア人もホメロスの叙事詩と抒情詩を混同するようなことはなかった。叙事詩は現在で言う詩とは異質のものだろう。ここで言いたいのは、短編が限りなく詩と近いということ。ファッション的な思いつきに過ぎない星新一風のショートシュートは論外として。必ずしも星新一氏の作品を否定するものではないが。