<本居宣長の『古意』(いにしえごころ)その2。編集方法>
宣長が、生涯を通して迫ろうとしたのは、「いにしえごころ。」(『古意』)というものでした。
それに対して、その古意を、失わせるもの、それが、「からごころ。」(『漢意』)です。
宣長は、『玉勝間』に、こう書いています。
『漢意』(からごころ)とは、漢国(からくに)のふりを好み、かの国を、たふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非を論(あげつら)ひ、物の理をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍の趣なるをいふ也。」と。
多くの日本人は、中国のことを、引き合いに出しては、それをものごとを考える、『基準』にしているけれど、「その日本人の、中途半端な『編集』の仕方が、『からごころ。』というものだ。」と言っているわけです。
では、どういう「編集方法。」で、日本の本来や将来を、考えればいいのでしょうか?
それを、宣長は、『古事記伝』だけをとっても、全44巻を著述しつくして、35年をかけて、考えたのでした。
宣長の主張は、世界に通用するような原理や、どこにでも、適用したくなるような、普遍的な原則などを使って思考したり、説得するようなことは、「思考の力。」とは、認めたくないといっているのです。
宣長は、「普遍とか、中軸とか、基軸というような、考えかたはしたくない。」、そう、言っているのです。
宣長は、どうしたいのか?
宣長は、和歌や古典の物語に、「日本人の思考の本来が、有るはずだ、」と考えます。
そこで、歌論の『排蘆小舟』(あしわけのおぶね)を出発点にして、『源氏物語』を、研究しながら、「もののあはれ。」という心情が、発動していることを発見しました。
宣長が、いう、「あはれ。」とは、「見るもの、聞くこと、なすわざにふれて、情の深く感ずること。」というものです。
『石上私淑書』(いそのかみのささめごと)の言葉です。
この、「わざ。」にふれて、「こころ。」が、感じるというところが、宣長らしい、図抜けた『特色』で、ここでいう、「わざ。」は、歴史や文化の奥に潜んでいる、情報を動かす方法を言い当てている言葉を、しだいに実感しながら、それを使うことです。
使ってどうするのか?
そこで、文芸に向かうとか、何かを表現することに向かうに違いないでしょう。
けれども、宣長は、そうはしない。
だいたい、宣長は、和歌を詠んでも、ヘタクソでした。
そういう、文芸的表現では、自分の思索や感情を表すことはできなかった。
贔屓目に見ても、そういう才能は、なかった。
では、どうするかというと、そのまま歴史の奥の方へ、言葉の持つ意味の初源の方へ降りていくのです。
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