<福沢諭吉が言った、『私徳』(私欲)と『公徳』(公共心)の平衡>
人というものは、『本心』は「我が身中心。」でありますから、「自分の思う通り。」(=生まれ持つ性格傾向・実体)に生きてゆきたいものであります。 ところが人間は、社会的な生活する(一人では生きていけない)ものといわれているように、周りの人たちや環境と『協調』していく必要があります。
そこで、「自己中心的な心(の動き)。」(実体=遺伝的に持つ性格)と「周りの人(社会)に調和する心(の動き。)。」(運命=世に役立つ力)のバランス(平衡)をいかに取るかということが、その人の「生き方。」(生きる知恵)の『巧拙』となるといえます。
福沢諭吉が言った、『私徳』(私欲)と『公徳』(公共心)の平衡ということになりましょうか…。
ここで、先の「ストレス。」から病気になるという話なのですが、「思うように(自我)、いかない。」という他の人、事柄(環境)との関係が「不調和。」になっている場合に「イライラ。」として、「感情的。」になっているときに、攻撃型の「交感神経。」優位の状態となります。
「交感神経優位。」のときには、白血球のうちの「顆粒球。」が増大し「活性酸素。」を産生して、侵入したウィルスや細菌を死滅させます。 と同時に、健全細胞も破壊することが続けば、「ガンの発症。」ともなります。
同じことで、「交感神経優位。」のときには、副腎髄質より分泌されるホルモンのアドレナリンが血中に放出され、ストレス反応の中心的役割を果たして、心拍数や血圧を上げ、瞳孔を開きブドウ糖の血中濃度(血糖値)を上げる作用をします。 (不眠症、糖尿病などの根因)
そのときの精神状態は、「攻撃的。」で感情は高ぶった状態にあります。 「感情的。」になるというのは、その人の「性格傾向。」を無理にでも押し通そうという「我がまま。」(自我・自己中心)が、周りの人・状況との「不調和。」になっているときに起こります。
その反対に、「ま、良いか…。」と「ゆとり。」ある心の状態が保てれば、「感情的。」にはならないと思います。
「ああ、そうか。 そうすればいいのだな…。」と思うかもしれないのですが、ここが人生の「面白いところ。」で、どっこい「分かっちゃいるけど…。」思うようにならないのが、「心の不思議。」なところであります。
よく、「良い話。」を聞いて、「そうだな、そのようにしてみよう…。」と思ったりするのですが、平穏時には良いのすが、いざ状況が「トラブった時。」(有事の時)に、猛然としてその人の『本性』(実体・自己中心のわがまま)が発揮され「か~っ。」となって、「感情むき出し。」(アドレナリン全開)になります。
言ってみれば、折角「良い人。」を演じていたものが、「形状『記憶』合金。」のように、その人の持つ性格(実体)が200%『暴発』して、対人関係や上手くいっていた状況を一挙に「ちゃぶ台返し。」してしまうことさえあります。