脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

明日は・・・

2013-03-21 22:32:33 | 日記 3
無謀な計画実行の日。

豊橋の義姉(夫の姉)の家に行く。

明後日は義兄(夫の姉の夫)の命日なのでお参りに。
夫の名代。

夫の義姉の夫は、くも膜下出血だった。
夫はその命日が来るたび、
お参りに行きたがったが、
勤めの都合で実現できなかった。
今思えば、
無理をしてでも行けばよかったと思う。


遠出する時は
いつも娘と後部座席にいたので、
道も余り覚えていない。
果たして無事にたどり着けるのか?

残業続き

2013-03-19 22:06:04 | 日記 3
今の勤務先はあと10日。

次の方もほぼ毎日来てくださり、
引き継ぎは順調。
でも、私しかできない仕事もたくさんあり、
それらを片付けるため連日残業。
次の方に引き継ぐための書類整理は進まず、、、、。

疲れている。



睡眠

2013-03-18 01:18:04 | 私の思い 3
睡眠導入剤をやめて3ヶ月以上たった。
2~3時間眠れればいいほうという状態は変わらない。
時には1時間という日もあるが、
それでも、生きていられるから
私はずいぶん頑丈にできているらしい。

このごろ、少し変わってきたのは
「眠い」と感じるようになったこと。
仕事からの帰り道、
眠くて、眠くて、、、、
居眠り運転になりそうで危険。
夜も早い時間から眠くなり、
布団に入ると
1時間くらいで眠れるようになった。
ところが、1~2時間で目覚めてしまい、
そのあとは、
もう、絶対に眠れない。

完全に睡眠のリズムが狂ってしまっているんだろう。

それでも、
「眠い」と感じられ、
1~2時間でも、熟睡できるようになったのだから、
以前よりは眠れるようになっているのだと思う。


夫の最後の数日、
だんだんと間遠くなっていく呼吸を感じていたくて、
そして、いつ呼吸が止まってしまうのか心配で、
ベッドサイドの椅子で
ほとんど眠らずに過ごした。
夫の枕元で
夫の呼吸音に耳を澄ませながら、
「ありがとう」と「ごめんね」の数々を語り続けた。
両手ともマヒして感覚がなくなっていたから、
せめて頬は触ればわかるかと、
ずっと頬をさすり続けた。
少しも眠いとは思わなかった。

あの時、
夫の頬は発熱で熱かった。
額を冷していたタオルはすぐに暖かくなってしまった。
あの時、夫は何を思っていたのだろう、、、

今思い出しても
胸が潰れそうになるけれど、
それでも、あのときは
まだ夫がいてくれた、と思う。
夫の呼吸と体温を感じていられた
しあわせだった時間。
決して戻れない時間。

お祭り

2013-03-17 17:04:21 | 日記 3
今日はのお祭りだった。
昔ながらの「御神酒祭り」。
地区の神社におまいりして
集会所でみんなで飲む、というだけのお祭り。

地区の神社は山の上にある。
前日の朝、途中の道に幟を立てる。
これも、高齢化で結構大変な仕事だ。



神社へのおまいりも
山道を歩き、
たくさんの石段を登るのが大変で
高齢のおばさんたちには無理になった。





一昨年は名古屋の病院にいた。
その前の年は
娘の手術前で、
合併症等の心配で気もそぞろだった。
何の心配もなく、
笑っている人たちが
違う世界の人のようだった。

そして、今日も。

共通の話題など、何もない。
何の屈託もなく
夫婦喧嘩の話しや
こどもの結婚や孫の話題など、、、

どれも、私には遠い世界。

うらやむきもちなどないけれど、
話題にはのれない。

にぎやかな中で、
私だけが
違う世界にいるような違和感と孤独。


なにはともあれ、
怒濤の週後半と週末終了!

来週も予定がびっしり。

自分を叱咤激励しつつ、、、



乗りきった?

2013-03-16 20:55:32 | 私の思い 3
ハードスケジュールの三日間、
何とか無事過ぎた。

友人から
「動けるだけいいじゃない」と言われ
動かなくてもいいなら
そんな楽なことはないでしょ、と反論したくなった。

苦しくても、
へろへろに疲れていても、
やるべきことは待っていてくれない。
ほかに、誰も
代わりにやってくれる人がいないから
自分がやるしかない。

いつかくるその日は、
明日かもしれないと思うから
とても焦る。





今の職場の引き継ぎを
あと二週間で終えなければならないのに
次の週末には
更に無謀な計画を立てたので
果たしてどうなることか。