脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

どうしたものか・・・

2012-12-24 22:24:07 | 私の思い 3
自分が自分である所以、
よってたつ基盤、
そうしたものすべてをなくしたら
人はどうやって生きて行く事ができるのだろう・・・?

名古屋のドクターは
自分の病状がどんなに絶望的であっても
人はやがてそれを受け入れていく」と言われた。
だが、夫はそのときすでに
そうした「思考」の手段としての言語を失っていた。
ドクターは
「ことばは理解できなくても、人の表情は理解できるから」といわれ、
夫の前では勤めてあかるく
分りやすい言葉で、夫が理解出来るように話をしてくださった。
ノバリスの前、「完全失語の一歩手前」といわれた時期だった。
このころは、とても不安そうな表情をしていた。

その後、ノバリスの効果か、
思考力が戻った時期があった。
思考力は戻ったが、表出言語が混乱していたため
夫が伝えたいことが私には理解できなくて
双方がとてもつらい思いをした。
このころはとても暗い目をしている。

でも、夫は、ドクターが言われたように
平安な心を取り戻していった。
それは、どんな心境の変化だったのだろう・・・?


私は、夫に支えられて生きてきた。
夫がいたから、
外では「しっかり者」を演じることができていた。
保護者会の活動も
NPOの活動も
夫が支えていてくれたからできたことだった。
夫が病気になって、すべての仕事を引き継いでもらった。
今は、戻る場所がない。
どこにも、私の居場所はない。

今は、生活のための仕事をしている。
障がい者支援のNPOで、
以前の、NPOの事務という経験をかわれての職場だが
自分たちでたちあげたNPOではないから
自分の理想とはかけ離れている。
それでも、生活のためには
黙って従うしかない。
自分の理想など言える立場ではない。
そんなことは、わかっている。

では、私は
なんのために生きているのか。

もう、私は
以前の私ではない。

私は、これから先
どのように生きて行くことができるのか
答えは見つからない。


年賀状に
「おめでとうございます」と書く気持ちになれなくて
どうしたものか・・・





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