被後見者の選挙権が認められたニュースは嬉しかった。
相続の関係で娘の成年後見人に私がなって以来、
娘の選挙権はなくなり、
選挙に行けなくなっていた。
選挙に行くことが大好きだった娘は
投票日のニュースを見るたび
「選挙に行かないの?」と言いたげな表情で私を見たが
私は娘に選挙に行けない理由を説明することができなかった。
それほど理不尽な制度だったのだ。
やっと、また、
娘と一緒に選挙に行くことができる。
少し飛躍する連想かもしれないけれど・・・
娘にとって
選挙に行っていたことは
紛れもない事実であり、
その記憶は現実のものである。
お父さんと過ごした日々も
同じく、現実にあったことであり、
今も現実に記憶として
確かに残っているのではないだろうか。
そんなふうに考えると、
私が今、感じている
現実世界との違和感も説明できるような気がする。
私にとっても、
夫との日々は
確かに存在し、
今もなお、
私の中で存在し続けているものだからだ。
過ぎ去った過去ではなく、
現在進行形の日々。
夫の思いを体現することは
夫の思いが今もなお、
私の中で生きているから。
相続の関係で娘の成年後見人に私がなって以来、
娘の選挙権はなくなり、
選挙に行けなくなっていた。
選挙に行くことが大好きだった娘は
投票日のニュースを見るたび
「選挙に行かないの?」と言いたげな表情で私を見たが
私は娘に選挙に行けない理由を説明することができなかった。
それほど理不尽な制度だったのだ。
やっと、また、
娘と一緒に選挙に行くことができる。
少し飛躍する連想かもしれないけれど・・・
娘にとって
選挙に行っていたことは
紛れもない事実であり、
その記憶は現実のものである。
お父さんと過ごした日々も
同じく、現実にあったことであり、
今も現実に記憶として
確かに残っているのではないだろうか。
そんなふうに考えると、
私が今、感じている
現実世界との違和感も説明できるような気がする。
私にとっても、
夫との日々は
確かに存在し、
今もなお、
私の中で存在し続けているものだからだ。
過ぎ去った過去ではなく、
現在進行形の日々。
夫の思いを体現することは
夫の思いが今もなお、
私の中で生きているから。