心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

橋下市長と体罰教師とは同じ権力支配依存症候群!

2013-01-20 12:35:44 | のほせんの心理カウンセリング

こんにちは、のほせんです。
温暖なこちらでも、さすがに冷え冷えする毎日ですが、
それでも日の出がいくぶん早くなり、日没もすこしゆっくりになってきて、
遠い春に向けての自然のいとなみが静かに感じられるようになりました。
みなさんのところではどのように感じられますでしょうか?

ところでついに、パソコンがすっかりというかやっぱりというかダウンしてしまい、
正月早々困ったことになっています。
あたらしいパソコンは一週間経ってもまだ届きません。
心理カウンセリングのホームページは古びたポスターのように貼りついたままになっているのでしょう。
みなさんにご迷惑をかけてしまいまことに申し訳ないことです。・・・

さてそれでは気をとり直して、
今回はマスメディアでいま盛んに報道されている大阪市立桜宮高校バスケットボール部の、
生徒の自殺と教師の体罰の問題についてみなさんといっしょにかんがえてまいりましょう。

はじめに、自殺された生徒さんのご冥福を心からお祈り申しあげます。・・・
ただし、心理カウンセリングの側からこの問題をとらえてみるとき、
ほんとうは生徒さんの自殺という問題と、この生徒にかかわった教師の体罰の問題とは切り離してとらえなければなりません。
そこはすこし理解しにくいかとおもいますが、なんとかご理解を得られるようにお話していきたいとおもいます。
そしてそこへ追いやったとみなされている「体罰教師」というものの存在についてかんがえてみたいとおもいます。

- この国の「体罰」の歴史はおそらく戦前の徴兵制にさかのぼるとおもわれます。
社会の階層や貧富とは関係なく、皆一律に兵隊さんに召し上げられたときから、
あらたな「統率」の問題がうまれたわけです。
すなわち帝国日本軍部の焦りが、現場の下士官に過剰に反映されるとき、
一糸乱れぬ指揮統率を担わされた下士官たちが、それに見合った強迫意識をかかえこみ、
競って暴力による支配強制をよりどころとしていったといえるでしょう。

またそこには暴力支配につきものの「快感」が、つぎなる暴力を催促し欲求する回路がうまれてくる。
そしてさらに悲しいことには、その暴力支配によるコントロールに麻痺して、
しだいに暴力支配をうけいれてゆく傾向が大半であることです。
こうした帝国軍隊の病理的悪弊が指揮指導の唯一の具体性として負の遺産となって体育会系にひきつがれてきている。・・・

残念ながら、この構図が今回の桜宮高校でもあてはまることは否めない。
「体罰は受け入れるべきものだ」という信仰のような思考回路が支配する側もされる側にも存することは
この学校に限ったことではないことは最近のアンケート結果にも如実にあらわれている。

くりかえしますが生徒の自殺行動はあくまでかれの固有の心の病理に由来し、
そして本来自殺(自殺年慮)は鬱病の哀しい結果をしめすということが理解されなければならないのだが。・・・
したがってあえて生徒固有のという意味は、
当然ながら自殺に至る鬱病におちいらない場合も考慮されてしかるべきということが含まれています。

そうしてかんがえてみれば、もっともなことですが、
桜宮高校ではいままでむしろ自殺しない生徒がほとんどだったわけです。
これは何を意味しているでしょう?

ひとつには、まさに鬱病と引き換えに
生徒たちが「体罰という暴力支配」に抑圧されつづけたギリギリの忌まわしい苦悩によって成り立つ哀しい歴史にほかなりません。
生徒たちは、背負わなくていい苦悩をかかえさせられたまま卒業させられていったということでしょう。

また自殺をえらんだ生徒は、他の生徒以上に体罰教師との距離が無くなった関係の中で
教師の体罰支配コントロールの術中のなかでだけの、狭められた視野思考の世界で
気づけば行き場を見失い、孤立した世界に立たされていたといえる。
そこはもはや家族も誰もいない凍りつく孤立の世界なのだ。・・・

そして腹立たしいことに、もし生徒の自殺が露見しなければ、
この体罰教師は「優れた教師」のままだったはずであり、
現にいままでそうして、この学校はある種のブランドを作りあげ、それを誇ってきたわけだ。

ただ、橋下大阪市長のように鬼の首でもとったようなはしゃぎぶりはいかがなものかと。・・・
はじめから自分だけが正義の者のように立ち振る舞う行状はあまりにも逸脱をしめして独善が過ぎる。

その根拠が市民に選挙で選ばれたからだという民主主義制度を逆手に市民を人質にとる、
詭弁を弄していて噴飯ものである。

それどころかかれにはどうみても、体罰教師と同じ体臭がただよっていると感じられるのだが。・・・
むせかえるその尊大な体臭とは、権力支配依存症とでもいえるものにほかならないだろう。

まったく「教育」とは無縁の、
橋下市長の学力点数至上主義と体罰教師の勝利至上主義は
おなじ根っこから生まれた生徒の「個の尊厳」など無視する権力支配者思考そのものである。
周囲がおどろくほどに、その権力を存分に誇示しふりまわす快感は暴力をふるう教師の快感に通じる、
おぞましくも甘美なものにちがいない。・・・・・

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-01-27 18:02:53
橋下の心理が良く分かりました。
権力依存症かぁ。
あの矛盾だらけの理論。依存症と考えると
納得出来てしまいます。

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